新築建物登記で「住所未定」に出くわすという悲劇
それはある平凡な午後、いつものように登記の依頼が舞い込んできた。新築の住宅で、建物表題登記をお願いしたいという案件。図面も揃っており、特に難しいところはなさそうだと安心していた。ところが、いざ資料を確認してみると、どうにも「所在地」が見当たらない。番地の一部が確定しておらず、いわば“住所未定”の状態だったのだ。目の前に建物はあるのに、その住所がないという、なんともおかしな話。これが地味に、しかし確実に、私の頭を抱えさせる原因となった。
最初はよくある建物表題登記のつもりだった
登記の依頼というのは、もちろんケースバイケースではあるが、ある程度はパターンが読めるようになってくる。とくに建物の表題登記は、必要な書類さえ揃っていれば、あとは形式的に処理するだけ。そう思っていたのだが、今回はその“揃っている”と思い込んでいた中に、大きな落とし穴があった。建築確認通知書にも、工事完了報告にも、番地が「予定地番」と書かれている。嫌な予感がしたまま、建築主に連絡を取ることになった。
物件概要を見た瞬間の違和感
提出された配置図や案内図には、確かに建物の位置が記されている。が、どれも「●●町○丁目(仮)」と書かれているのだ。仮ってなんだよ…と思わず声に出してしまった。建築確認番号も通ってる、現地も出来ている、なのに住所が仮。事務所の片隅でコーヒー片手に唸っていると、事務員さんが「どうしたんですか?」と覗き込んできた。「いや、住所が…ないんだよね」とだけ答えると、彼女は一言「そういうの、よくありますよ」と返してきた。いや、それで片付けられる問題じゃないんだけど…。
「あれ、これ住所どこにも書いてない…?」
登記申請書を作成しようとして、所在地欄で手が止まった。書くべき番地がない。地番でもなく、住居表示でもない。とりあえず「●●町○丁目地内」などと書いて提出するケースもあるが、それが果たして今回許されるのか。あれこれ考えていたら、時間だけが過ぎていく。ひとつの登記にここまで悩むとは。正直、登記ってのは「決まったルールに沿って処理すればいい」と思われがちだが、こういう“決まってない”ケースが、一番消耗する。
管轄法務局に電話してもスッキリしない現実
迷った時は、管轄法務局に確認を取る。これは私の中で鉄則になっている。今回も迷わず電話した。事情を話すと、担当者は「そうですね、仮の住所で結構ですよ」と言ってくれた。が、「仮の住所」って一体何だ?と、モヤモヤが残る。仮ってことは、あとから修正する必要があるのか、それともこれで通してしまうのか…。聞けば聞くほど「ケースバイケースですね」と返されるのが現実。誰か、はっきりと言い切ってくれよ、と心の中で叫んだ。
「仮の住所で出してください」って…それでいいのか?
こちらとしては、法的に問題がない範囲で処理を進めたい。だからこそ、「仮でいい」と言われると、逆に怖い。依頼者からすれば、新築の家に引っ越して、郵便も電気も水道も通ってるのに、「登記の住所は仮です」では納得いかないだろう。その違和感をどう説明するか。法務局の言葉をそのまま伝えればいいのか、それとも自分なりに噛み砕いて説明すべきか。地味に、いやものすごく悩むポイントだった。
“一時的な処理”のはずが恒久化する不安
「後で直せばいいや」と思って仮の住所で進めた案件。だが、実際には“後で直す”ことはあまりない。現場も落ち着いてしまえば、誰も動かない。それどころか、「え、これ仮だったんですか?」と依頼者に後で驚かれることもある。後で修正するのは手間だし、また依頼を受け直すのも億劫になる。気づけば、仮のまま年月だけが経過していく。制度の限界と現場のズレ、その狭間で揺れる自分がいた。
なぜこんなことが起きるのか?制度のスキマと現場の温度差
住所がない、という状態がなぜ生まれるのか。その原因は、制度上のタイムラグにある。建物の完成と、役所が住居表示を決定するタイミングがずれると、登記する時点で住所が未確定という事態になるのだ。これが初めての依頼者であれば、なおさら理解されにくい。こちらが説明しても「なんでそんなことになるんですか?」と聞かれる。説明できるけど、納得はされない。そんな歯がゆさが、日常の一部になっている。
建築確認があっても住所が確定していないことの矛盾
建築確認申請が通っているなら、住所も当然決まっていると依頼者は思う。私も昔はそう思っていた。でも実際は、建築確認の段階では“予定地番”での申請が可能。つまり、法的な建物の存在は認められているのに、所在地は未確定という妙な状態が生まれる。書類上はOKでも、登記上はNG。そのズレに悩まされるのは、いつだって現場の司法書士だ。
「住所は役所が決める」…けどその役所がまだ動いてない
「じゃあ役所に行って住所を決めてもらいましょうか」となるかというと、それもまた難しい。市町村によっては、新設道路の名称や住居表示が確定するまでに時間がかかることも。開発が先行し、役所の作業が後手に回る。その結果、我々が待たされる。依頼者には「今しばらくお待ちを」としか言えない。が、心の中では「待ってるの、こっちもなんだよ…」と叫んでいる。
登記の世界では“当たり前”のことが依頼人には通じない
登記の世界では「仮の住所」や「予定地番」といった概念は割とよくある。しかし、一般の依頼者にはそんなこと知る由もない。「え、家建ったのに住所ないんですか?」と驚かれるのが普通だ。説明しようとすればするほど、不安にさせてしまう。だからといって黙って処理してしまうと、あとでトラブルになる。この説明責任、毎回本当にしんどい。
「え?家建ったのに住所ないんですか?」という素朴な問い
このセリフ、何度聞いただろう。依頼者からすれば当然の疑問。でもこちらとしては、またか…とため息が出る。もちろん悪意はない。けれど、この瞬間が一番つらい。仕事に誇りを持ちたいけど、それを理解してもらえないとき、人はこんなにも虚しくなるのかと毎回思う。
こちらも答えに困る、もやっとするやりとり
「登記簿上の住所は仮ですが、生活には支障ありません」そう伝えても、「じゃあ正式な住所はいつ?」と返される。答えられない質問に、どう答えればいいのか。曖昧な返事をすれば不信感を持たれるし、正直に言えば不安にさせる。このジレンマ、どうにかならないかといつも思う。
一人事務所の現場は、こういう“未定”が一番キツイ
誰かと分担できればまだ楽だ。けれど、うちは私と事務員ひとり。判断するのも、説明するのも、全て自分。忙しさの中でこういう“判断不能”な案件にぶち当たると、体力も気力もごっそり持っていかれる。なんでこんな仕事選んだんだろうな…と、ふと思うこともある。
決めきれないことが日々を重くする
明確な答えが出ない仕事は、知らず知らずのうちに心を削る。ルールに沿って淡々とこなしたい。でも、現実は曖昧なものばかり。そんな中でも、なんとか正解を出さなければならない。ひとつひとつは小さなことでも、積もり積もって心が疲弊していく。
「何かあったらまた連絡します」に潜む地雷
あの一言が一番怖い。「何かあったらまた連絡します」…それ、もう解決しないやつじゃん。そんな予感を抱えたまま、案件が終わっていく。でもこちらは“未完了”として脳内で居座り続ける。その積み重ねが、また疲れる。
モテない独身司法書士の、孤独なデスクの上にて
夜、書類の山の中でひとりコーヒーをすすっていると、なんとも言えない虚無感に襲われる。「なんのためにやってるんだろう」とふと思うことがある。でも朝が来ればまた仕事。誰に頼まれたわけでもないのに、自分の意志で続けてる。それだけが救い。
悩みを相談する相手がいない夜
恋人もいない。友人も、そんなに頻繁に会うわけじゃない。相談できる相手がいないという現実が、ふとした瞬間にのしかかってくる。だからこそ、こうやって文章にすることで、少しでも共感を得られたら、それだけで報われる。
事務員さんは17時半で帰る、それが正しい
彼女は彼女の生活がある。だから定時に帰るのは当然だ。でも、ドアが閉まる音を聞いた瞬間のあの静けさ。たまらなく寂しくなることがある。「お疲れ様です」と言い合える存在がいるだけで、人間ってだいぶ救われてたんだな…と気づかされる。
けれども、“未定”があるから気づけることもある
完璧に決まっている世界なら、こんなふうに迷うこともない。でも、だからこそ考えることができる。悩んで、迷って、それでもやってみる。その過程が、自分を司法書士として少しずつ育てているのかもしれない。答えが出ない日々も、無駄ではないのだ。
答えが出ないことと向き合うことも仕事
「こうすればOK」というマニュアルがない世界だからこそ、私たちの存在に意味がある。依頼者の不安に寄り添い、制度の中で最適な処理を探る。その役割に誇りを持ちたい。いや、持たなきゃやってられない。
迷って立ち止まる日も、誰かの役に立っているかもしれない
今日、悩んだことが明日の誰かを救うかもしれない。そう信じて、また明日も書類に向かう。住所未定のあの建物も、いつかきっと「ここに暮らす人の物語」が始まる。私の仕事は、その物語の入口を整えること。そう思えば、少しだけ、救われる。