相談相手にはされるけど、恋愛には発展しない僕たちへ

相談相手にはされるけど、恋愛には発展しない僕たちへ

なぜか「いい人止まり」で終わる司法書士という肩書き

気づけば、いつも「話しやすい」「頼れる」と言われる。だが、そこから一歩先に進んだことはほとんどない。恋愛の話になると、急に話題が逸れたり、軽く流されたりする。司法書士という職業は、真面目で堅実なイメージがある。それが信用に繋がる一方で、「ときめき」や「ドキドキ」とはほど遠い存在に見られるのかもしれない。誠実さが恋愛の足を引っ張るだなんて、皮肉な話だ。

「先生って安心感あるよね」の言葉に隠れた距離

「先生と話してると安心する」と言われるたびに、嬉しさと同時に、どうしようもない切なさがこみ上げてくる。安心されるということは、それだけ信頼されているということ。でもその安心感は、恋愛感情とは別の枠に入れられているような気がしてならない。こちらは何気ない会話にも期待してしまうのに、相手はまったくそんな気配も見せない。なんだか、自分だけが一歩前に出ているみたいで、空回りしているような感覚に陥る。

職業柄、信用される。でも恋愛の対象にはされない。

司法書士という仕事は、確かに人の人生に関わる大切な場面に立ち会う。相続、離婚、不動産、借金整理。だからこそ、相談される立場になる。でも、それはあくまで「専門家」としての立ち位置であって、「個人」としての自分ではない。仕事の延長線上で好かれても、プライベートで恋愛対象として見られることは少ない。自分自身の魅力というより、肩書きの信用でしかないと感じることがある。

安心される=恋愛感情と結びつかない矛盾

不思議なもので、恋愛において「安心感」は重要だと言われる。にもかかわらず、実際にはその安心感が「ときめき」を奪ってしまう。私たちは誠実に接しているつもりなのに、それが相手には「面白みがない」と映ってしまうこともある。ちょっとした冗談や軽口も、なんだか不自然になってしまう。気を遣いすぎて距離を詰めることができない。そうして「いい人で終わる」パターンが繰り返される。

相談されるけど、心の奥には踏み込ませてもらえない

恋愛相談や職場の悩みなど、女性から相談されることが多い。それ自体はありがたいことだし、役に立てるのは嬉しい。でも、そこには決して踏み込んではいけない「線」が引かれている気がする。「聞いてくれてありがとう」と言われた後に、「やっぱり先生ってお兄ちゃんみたい」と笑われると、何とも言えないむなしさが残る。結局、自分は“聞き役”としてしか必要とされていないのだ。

仕事の相談には乗れる。プライベートになると遠ざかる

仕事の延長で相談されるうちは、ある程度の距離感を保ちながら話せる。でも、それがプライベートな領域に近づくと、急に壁が現れる。その壁は決して見えないわけじゃない。むしろはっきりと感じられる。話題を変えられたり、視線をそらされたり。「これ以上は踏み込まないで」というサインを敏感に察知してしまう。気を使って引いてしまう自分にも、腹が立つことがある。

「頼れるけど異性としては違う」壁の正体

これはもう、どこかで「カテゴリー分け」されてしまっているのだと思う。親切、信頼、安心。それらはすべて“人として”の評価だ。けれど「異性として惹かれるか」は別の次元。そこには外見や雰囲気、タイミングといった不確定要素が絡む。努力ではどうにもならない部分に、苦しさがある。自分ではどうしようもない壁の存在を感じるたび、無力さを痛感する。

やさしさが裏目に出る瞬間

やさしさを大切にしてきたつもりだった。相手の話を否定せずに聞いて、言葉を選んで返す。感情的にならずに、冷静に向き合う。でも、それが「当たり障りのない人」「都合のいい相談相手」になってしまっている気がする。自分が大切にしてきたことが、結果的に距離を生んでしまっているのだとしたら、それはあまりにも皮肉だ。

本音を言わないことで「都合のいい人」になってしまう

相手に気を使いすぎて、自分の気持ちを押し殺してしまう。相手が喜ぶように、困らないように、無意識のうちに自分を調整してしまう。そうやって優しさを装うことで、「都合のいい人」になってしまっていたのかもしれない。気づけば、感情を抑えることが癖になっていた。本当は傷ついているのに、笑ってごまかしてしまう。そんな自分にも、そろそろ疲れてきた。

相手を気遣うほど自分の立場があいまいに

やさしさというのは、時に自分の存在を曖昧にしてしまう。強く言わない、押し付けない、だからこそ印象に残らない。相手にとって自分が「記憶に残らない人」になってしまうのは、やさしさが原因だったのかもしれない。いい人ではあるけれど、特別な存在ではない。そう気づいた瞬間、何のために人にやさしくしてきたのか分からなくなった。

「言わなくても分かってくれる人」で終わる虚しさ

「言わなくても分かってくれる人」って、すごく聞こえはいい。でもそれって、「便利な人」ってことじゃないか? 何でも察してくれる人、自分の気持ちを汲んでくれる人。それは確かに貴重な存在だけど、そこに甘えてくる人は、自分のことを「特別」とは思っていない。ただの“器の大きな人”として見ているだけだ。そこに恋愛感情なんて芽生えない。残るのは虚しさだけだ。

同じように感じている誰かへ

こんな思いをしているのは自分だけじゃないと思いたい。全国のどこかで、同じように「相談されるけど恋愛には発展しない」ことに悩んでいる人がいるはずだ。仕事をがんばっても、真面目に生きても、報われるとは限らない。だけど、それでも自分を否定しないでほしい。僕らのような存在も、確かにこの社会に必要とされている。

モテなくても、自分の価値は消えない

恋愛対象にならないことが、自分の価値の否定にはならない。社会の中で誰かの役に立っている、それだけで十分誇っていい。司法書士という仕事もそうだ。誰かの人生の大事な節目に関わることができる。それは、恋愛とはまた別の意味で人に必要とされている証拠だ。寂しさがなくなるわけではない。でも、自分が無価値だと思い込むのはやめたい。

誰かにとっての「特別」じゃなくてもいい日がある

「特別な存在」になれなくても、ふと誰かの支えになれる日がある。特別じゃなくていい、必要とされていることを大事にしたい。恋愛という形じゃなくても、人と人のつながりはたしかに存在している。そのつながりを丁寧に感じられた日は、少しだけ自分を認められる気がするのだ。

仕事を通じて人に貢献できている、それが自分の支え

恋愛の代わりにはならないけれど、仕事が支えになる瞬間はある。お客様の不安を取り除けたとき、ありがとうと言われたとき。そのときだけは、「いてよかった」と思える。司法書士という仕事は、決して華やかじゃない。でも、地味に人を支えている。そんな役割も、悪くないと自分に言い聞かせている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。