静かなトーンで叫ぶブログ

静かなトーンで叫ぶブログ

静かに過ぎていく日常に、叫びたくなる瞬間がある

朝、事務所のドアを開けて、パソコンを立ち上げて、昨日と同じようにメールをチェックして書類を作る。それだけで、あっという間に昼になり、午後になり、日が沈んでいる。そんな日々を繰り返していると、自分がちゃんと生きているのかすら怪しくなってくる。別に大きな事件があるわけでもなく、トラブルがあるわけでもない。でも心のどこかで「このままでいいのか?」と叫びたくなることがある。

誰にも気づかれないまま終わる一日

何事もなく終わる一日は、平和である反面、何も残らない虚しさも抱えている。電話対応をして、登記の準備をして、お客様に説明して、確認の電話をかけて、それで一日が終わる。誰かに「ありがとう」と言われることもあれば、無言で帰られることもある。仕事が当たり前のように進むのは良いことだ。でも、そこに存在している自分が空気のように扱われると、なんとも言えない寂しさが残る。

感謝もされず、怒られもせず

感謝されることもなく、怒られることもなく、ただ粛々と業務が進む。ある意味で理想の職場かもしれない。でもそれは、感情のないロボットのような日々だ。人と関わっているはずなのに、心が触れ合う瞬間が極端に少ない。たまには「助かったよ」「ありがとね」って声がほしいだけなのに、それを期待する自分が甘いのかと自己嫌悪に陥る。

タスクをこなしても、「で?」と言われる現実

登記完了報告をしたときに、「で?」という反応をされたことがある。「で、いつ印鑑証明くるの?」「で、これ急ぎだよね?」そういう返しに、思わず心の中で深いため息をついた。こっちは前の日の夜までかかって、どうにか間に合わせたんだけどな。それを表に出せないのが司法書士の仕事。いや、大人の仕事か。

時間が溶けるように消えていく不安

毎朝「今日はここまでやろう」と思って机に向かう。でも、気づけば夕方。あれ、まだ半分も終わってない。そんな日が積み重なると、時間に対する感覚がどんどん鈍ってくる。日々の業務に追われて、自分の成長も未来のことも考える余裕がなくなる。そして、ふとしたときに「何してんだろ、俺」と思う瞬間がやってくる。

カレンダーは埋まっているのに、心は空白

スケジュール帳は打ち合わせや申請の予定でぎっしり。でもその中に、自分の意志で動いた予定はどれだけあるだろう。全部「対応」ばかり。「依頼」されて、「確認」して、「報告」する。そのルーティンに追われて、自分が何をやりたいのか、何を感じていたのか、すっかりわからなくなってしまった。

一日が終わっても何も達成した気がしない

やるべきことはこなしている。期限も守っている。でも、心のどこかで「今日も何もできなかった」という感覚に襲われる。登記を一件終えたところで、誰にも気づかれず、誰にも評価されず、ただカウントされて終わる。そんな日々が続くと、「司法書士って誰の役に立ってるんだろう?」と疑いたくなる。

司法書士としての責任と孤独

ミスの許されない仕事というプレッシャーのなかで、僕ら司法書士は一人で戦っている。法律の知識、書類の正確さ、期限の厳守。そのすべてをクリアしても、「当たり前」と思われる仕事。でもその裏には、眠れぬ夜や、胃の痛みを抱えた朝がある。

「プロ」としての顔を貼り付けて

お客様の前では、常に冷静でいなければならない。どれだけ精神的に不安定でも、感情を表に出すことはできない。相手が怒っていようが、無理を言おうが、「大丈夫ですよ」と返さなければいけない。まるで仮面をかぶっているような感覚になることもある。

弱音を吐ける場所がないという呪い

同業者にも本音を言いづらい。「しんどい」なんて言おうものなら、「あの人、もう限界らしいよ」なんて噂されるかもしれない。事務員にも見せられない。となると、吐き出せるのは帰り道の車の中か、誰もいない事務所のトイレくらいだ。

失敗できない仕事ほど、夜が眠れない

登記にミスがあれば、大きな損害が出る。しかも「すみません」では済まされない。だからこそ、寝る前に「あれ、あの書類ちゃんと添付したっけ?」と思い出して布団から飛び起きることもある。そんな日は、何度確認しても眠れなくなる。

ひとりで全部背負う日々

事務員がいても、結局最後の責任は自分。書類の確認、押印の段取り、申請の送信、すべてが自分に返ってくる。だから任せるのが怖いし、信用していないわけじゃないけど、最後は自分でやったほうが安心する。だけど、気づいたら全部自分でやっていて、また疲弊する。

事務員に任せきれない性格のせい?

「もっと事務員さんに任せたら?」と周囲に言われる。でも、過去にミスされた経験があると、どうしても怖くなる。自分が最終的に責任を取るなら、自分でやった方が楽。だけど、それってチームじゃないよなと葛藤する。

「もうちょっと人を頼ったら」と言われても

「もうちょっと人を頼ったらいいのに」。優しい言葉なんだろうけど、その「もうちょっと」が怖い。人に頼ってミスされるくらいなら、自分が倒れる方がマシ。そんな考えが頭にこびりついているから、孤独な働き方を続けてしまう。

誰にも言えない、誰かに聞いてほしい

たまには愚痴をこぼしたい。たまには泣きたい。でも、誰に?どこで?そんな声を出せる場所が、この歳になると見つからない。SNSではキラキラした日常が並び、自分の叫びは埋もれてしまう。

「がんばってるね」と言われたいだけなのに

別に賞賛がほしいわけじゃない。ただ、「ちゃんとやってるね」「すごいね」って、誰かに言ってほしい。それだけで、もう少し頑張れる気がする。でも大人になると、それすらも言われなくなる。逆に言われると気恥ずかしくて、うまく受け取れなくなってしまった。

承認欲求を否定することに疲れた

「誰かに認められたい」って気持ちは、昔から持ってた。でもそれを表に出すと「子どもっぽい」とか「まだそんなこと言ってるの?」とか言われる。それが嫌で、ずっと隠してきた。でも本当は、褒めてほしい。がんばってるよって、言ってほしい。

それでも見せる「余裕」の顔

「大丈夫です」「余裕ありますよ」そう言って笑うのが癖になってる。でも、その笑顔の下ではいつも「もう限界かも」と思っている。誰にも迷惑をかけたくないから、ギリギリでも「大丈夫」を繰り返す。いつか、本当に倒れてしまう気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。