優しそうって、そんなに悪いことですか?
「先生って優しそうですね」――お客様にそう言われるたび、なんとも言えない気持ちになります。別に悪口じゃない。むしろ、褒められているのかもしれない。でも、なんだろう、この心の奥がざわつく感じ。怒らなさそう、優しすぎて強く出られなさそう、そんな風に見られているような気がしてしまうのです。こっちは命削って仕事してるのに、柔らかさばかりが印象に残るなんて、ちょっと切ない。
たしかに怒鳴ったりはしませんけどね
怒鳴るような仕事の仕方はしません。相談に来る人の多くは、何かしらの不安や悩みを抱えています。だからこそ、なるべく丁寧に、穏やかに、わかりやすく話すように心がけています。でもそれが、「優しそう」というラベルにされてしまうと、なんとも腑に落ちない気持ちになるんですよね。もっと言えば、「この人なら押せば動く」と思われている節もある。実際、妙に厚かましいお願いをされることが、ここ最近増えました。
柔らかい雰囲気が損になることもある
司法書士としての信頼は、専門知識や対応力で築くべきもの。なのに、第一印象で「頼りない」と感じられてしまうと、スタート地点でつまずくことになります。笑顔や丁寧な話し方が「軽く見られる原因」になっているのかもしれないと考えると、自分のスタンスが揺らぎそうになります。かといって、無理に怖い顔を作るのも違うし…。そんなふうに、雰囲気ひとつで仕事がやりづらくなるのは、なんとも理不尽な話です。
お客さんにナメられた経験、数知れず
「ちょっと聞きたいだけなんですけど」と言って無料相談を30分以上続けられたり、「これくらいタダでやってよ」と当然のように言われたり。「優しそうな人」に対して遠慮がない人は、本当に多いです。こっちは生活がかかってるし、善意だけでは食っていけません。そう言いたい気持ちを飲み込んで、またニコニコと対応する。優しそうな顔で、内心はぐったりしている自分に気づくと、なんだか虚しくなるときがあります。
事務員にまで遠慮される「優しさ」
うちの事務員も、わりと気を使うタイプで、たまにこちらの顔色をうかがいすぎているなと思うことがあります。私が「優しそう」に見えるからこそ、気を使わせてしまっているのかもしれません。「先生、こういうの苦手でしょ?代わりにやっておきますね」とか言われると、うれしいような、情けないような…。結局、周囲に気を使わせる優しさって、なんなんだろうなと、自問することもあります。
「先生」って言われるたびに思う、名ばかり感
世間的には「先生」と呼ばれる立場だけれど、実態はそんなに立派でも偉くもありません。むしろ、毎日書類と格闘し、電話に追われ、登記漏れがないか神経をすり減らす日々です。「先生」と言われるたびに、どこか肩がこそばゆくなる。名ばかりの「先生業」には、地味で地道な裏方仕事が山ほど詰まっているのです。
偉そうに見えない司法書士の悲哀
医師や弁護士のように「権威」を感じさせる仕事ではなく、司法書士はどこか中間管理職的な立場。なのに、肩書きだけは「先生」なんて言われる。見た目も雰囲気も穏やかな自分にとって、それは余計にミスマッチを感じる瞬間です。実力ではなく「先生っぽさ」で評価されることがあるなら、それって喜ぶべきことなのか、考え込んでしまいます。
相談されるけど、決めるのは他人
司法書士の仕事は「代理」や「代行」が多いですが、判断の最終責任を取るわけではない場面も多々あります。お客様にアドバイスしても、「じゃあ親族に確認してからにします」と言われることもよくあります。何度も同じ相談を繰り返されて、そのたびに同じ説明をする。先生と呼ばれていても、決定権はない。それがこの仕事の切なさでもあります。
それでも「優しそうですね」に返す言葉
「先生って優しそうですね」と言われたとき、どう返すのが正解なのか、いまだに正解がわかりません。「ありがとうございます」と笑って返すことが多いけれど、内心はモヤモヤしている。けれど、そこで怒ってしまえば、まさに「優しさ」が台無しになる。だったら、せめて「誤解されない優しさ」を目指したい。そう思って、今日も穏やかな顔を作るのです。
苦笑いか、開き直りか
最近ではもう、開き直って「そうなんですよ、優しいってよく言われます」と笑ってしまうこともあります。それで相手が安心してくれるなら、それも役割なのかもしれません。でもやっぱり、心のどこかで「もう少し毅然とした態度が取れれば…」と思う自分もいます。バランスって難しい。人に優しく、自分にも優しく。そんな生き方ができたらなぁ、と思います。
無理してでも「ありがとうございます」と言う理由
それでも「ありがとうございます」と返すのは、自分の中の小さなプライドです。どんなふうに見られても、相手を責めず、受け止める。その姿勢が、司法書士という仕事にふさわしいと信じているから。優しさは誤解されることもあるけれど、最後には信頼につながると信じて、今日もまた、モヤっとしながらも笑ってみせるのです。
社会の中で自分の役割を受け入れるということ
地域の中小事務所という立場では、派手な成功や称賛はほとんどありません。それでも、相談に来てくれる人がいる限り、必要とされているという実感は確かにあります。優しさも、「ただの印象」ではなく、「信頼の入口」なのかもしれない。そう思えるようになってきた自分が、少しだけ大人になったのかもしれません。
不器用でも、信頼される存在になりたい
どこか頼りなさそうに見える司法書士。それでも、不器用な優しさが誰かの不安を和らげることもある。そう信じたいのです。怖そうな先生より、「なんとなく安心できる」先生を目指して。誤解されたって、ちょっと損をしたって、自分らしくやるしかない。優しそうと言われることの意味を、自分なりに抱えて、今日もまた仕事に向かいます。