一人で「お疲れ様」とつぶやく夜
今日も事務所を閉めて帰る道すがら、ふと自分に向かって「お疲れ様」と声をかけてみる。誰に言われるでもない、独り言だ。もう慣れたけれど、やっぱり少し寂しい。近くのスーパーで割引になったお惣菜を買って、小さな缶ビールを一本だけ。これが最近の“お疲れ様会”だ。何も特別なことはないけれど、自分なりの区切りとして、ちょっとだけ肩の力を抜ける時間があるのは、案外悪くない。
誰かと乾杯なんてもう何年もしてない
同業の先輩や同期と飲みに行っていた頃が懐かしい。開業したての頃は情報交換だの励まし合いだのと、無理してでも誘っていた。でも気づけば皆、家庭ができ、子どもの話ばかり。独身のままの私は話題に入れなくなり、足が遠のいた。今では、最後に「乾杯!」と言ったのがいつだったかも思い出せない。缶ビールのプシュッという音が、唯一の開会の合図になっている。
地元の居酒屋に行っても誰もいない
たまには誰かと会話したい、と思って地元の居酒屋にふらっと入ることもある。けれど、そこには知り合いもおらず、テレビの音と、厨房の鍋の音だけが響いている。カウンターに座り、スマホをいじって過ごす時間は、家にいるのと大差ない。むしろ、「一人で飲んでる中年男性」というラベルを自分に貼ってしまって、帰り道に余計に落ち込む。
一人焼き鳥、一人酒、ただのルーティン
それでも、たまに食べる焼き鳥が旨い。ビールが沁みる。誰かに評価されたいわけじゃない。でも、誰にも見られていない日々が続くと、自分の存在があいまいになっていくようで、怖くなる。「頑張ってる」と言ってくれる人がいないのなら、自分で言うしかない。だから私は、焼き鳥をつまみに一人で「お疲れ様」とつぶやきながら、今日を終える。
今日もちゃんと働いた。それだけで十分のはずなのに
朝から複雑な相続登記の相談が二件、午後は書類の取り違えで法務局まで二往復。誰にも迷惑をかけずにやりきった。それだけで十分なはずなのに、心はどこか満たされない。誰にも見られず、誰にも褒められない日常の積み重ねは、想像以上に体と心を蝕む。
完了した登記の数より、心のすきまが増えていく
忙しさに身を任せていれば、孤独を感じる暇はないと思っていた。だけど、帰宅して一人の部屋に入ると、静かすぎて耳が痛い。達成感よりも虚しさの方が勝つこともある。自分が処理した登記の数よりも、心の中の“空白”が少しずつ大きくなっている気がしてならない。
事務員の明るさが唯一の救いだけど、心配かけたくはない
うちの事務員は本当に明るい。仕事もよくできて、私がくたびれていても空気を変えてくれる。でも、私の弱音を聞かせるわけにはいかない。上司として、経営者として、「元気そう」でいなければと思う。そう思えば思うほど、本音を言う場所がなくなっていく。
「大丈夫です」って言いながら、誰に聞かせてるのかもわからない
依頼人には「問題ありません」と、事務員には「大丈夫」と、いつもそう言っている。でも、ふとしたときに、自分が誰に何を伝えたかったのかわからなくなる。もしかしたら、「大丈夫」と自分に言い聞かせてるだけなのかもしれない。それでも、言い続けないと崩れてしまいそうで怖い。
愚痴を聞いてくれる人がいたら、それだけで違ったのか
昔は電話で友達に愚痴っていた。くだらない話で笑って、少し救われていた。でも、今はそういう相手もいない。気がついたら、声を出すのは仕事のときだけ。自分の気持ちを言葉にする機会すら、なくなってしまった。
相談されるばかりで、相談できる相手がいない
司法書士という職業は、常に“聞き役”であることが多い。依頼人の困りごと、悩みごとを受け止めて解決する。それはやりがいでもあるが、自分の心の荷物を誰にも預けられないという側面もある。ふと、自分の話を聞いてくれる人がいればと思ってしまう。
電話は仕事だけ。LINEは既読すらつかない
スマホの通知は、ほとんどが業務連絡かお知らせ。プライベートで連絡が来ることはない。LINEのタイムラインも、知り合いの幸せそうな写真が流れるだけ。誰にも頼らず、誰からも頼られない時間が、日に日に増えていく。
そんな自分でも、まだ踏ん張ってる理由
正直、辞めたくなるときはある。でも、依頼人の「ありがとう」や、ふとした瞬間の達成感が、ほんの少しだけ背中を押してくれる。大きな夢なんてないけれど、小さな納得のために、今日もまた頑張っている。
依頼人の「ありがとう」が胸に残る夜もある
先日、亡くなった父親の登記手続きをした依頼人が、手続き完了後に丁寧なお礼の手紙をくれた。涙が出るほど嬉しかった。たった一言でも、自分の仕事が誰かの役に立ったと感じられる瞬間があるから、まだやっていけるのかもしれない。
自分で自分に言う「よくやった」でも、けっこう沁みる
だから私は、今日も「お疲れ様」と自分に言う。誰にも褒められないけど、自分だけは自分を認めてあげる。それが、明日も働ける小さな理由になる。きっとそれで十分なのだ。
司法書士という仕事は、孤独と隣り合わせ
地味で目立たず、表舞台には立たない。でも、確かに人の役に立っている。そんな司法書士という仕事は、孤独と向き合いながら続けていくものかもしれない。誰にも見えなくても、コツコツとやるしかないのだ。
同業者同士で愚痴をこぼせたら、少しは救われるかもしれない
同じような立場の誰かと、月に一度でも愚痴をこぼし合えたら、それだけで救われる気がする。完璧じゃなくていい。優秀じゃなくてもいい。ただ、「わかるよ」と言ってくれる誰かがいたら、それだけで十分だ。
このコラムが、そんな場の一つになれたら
もし、この記事を読んで「自分も同じように感じていた」と思ってくれる人がいたら、それだけでこの文章を書いた意味がある。私自身も、誰かに共感してもらいたくて、この“お疲れ様会”を綴っている。孤独でも、独りじゃないと信じて。