朝のデスクに積まれた現実
出勤してまず目に入るのは、コーヒーでも朝焼けでもなく、封筒の山。差出人を見るだけで胃が重たくなる。登記関係、遺産分割、債務整理……。どれも重い。どれも「急ぎでお願いできますか?」というプレッシャーがにじんでいる。最近は、事務員さんも何も言わずに黙々と振り分けてくれるが、その沈黙すら気まずく感じるほど、自分の処理スピードに自信がなくなってきた。
出社一番に目に入るのは笑顔ではなく封筒の山
昔はもっと余裕を持って朝を迎えていた気がする。だが今は違う。積み上がった封筒の数に比例して、心がすり減っていくのが分かる。「これを今日中に終わらせないと」そう思いながらも、結局は夕方に持ち越しになる。結果、翌日もその山は減らない。まるで終わりのないパズルを毎日組み直しているようだ。
どれも急ぎ どれも大事 どれもこちらの都合はお構いなし
依頼人にとっては人生がかかった案件だ。もちろん急ぎたくもなるし、こちらも手を抜くつもりはない。ただ、そういう案件が10件、20件と同時に来ると、どこから手をつければいいのか分からなくなる。「順番に処理しています」という一文すら書く余裕がなくなる日もある。
事務員さんの気配りに救われることもあるが
「先生、お昼まだですよね。温かいうちに食べてください」そんなひとことに、時折涙が出そうになる。気配りができる事務員さんがいてくれるから、何とか踏ん張れている。それでも、「これ以上負担をかけたくない」と思う気持ちが強くなる。優しい言葉すら、重荷になってしまう自分が情けない。
相談者の言葉に揺れる気持ち
依頼者と話しているとき、「あぁ、これは自分にしかできない仕事なんだな」と感じる瞬間がある。けれど、それと同時に「本当にこれが正解なのか?」という迷いも生まれる。法律に基づいたアドバイスをしているのに、「先生にお願いしてよかった」という言葉が、どこか自分に対する皮肉のように聞こえる時もある。
依頼は他人事じゃないからこそ しんどくなる
登記ミスひとつで裁判になるような時代だ。そんな状況で、相手の人生に関わる決断をサポートするのは、想像以上に精神的に消耗する。依頼者の言葉が胸に刺さり、夜眠れないこともある。「自分だったらどうするか?」と自問しながら仕事をするのは、本当にしんどい。
「先生にお願いしてよかった」の言葉が刺さる時
普通に聞けば嬉しい言葉のはずなのに、あるとき、その言葉に違和感を覚えた。「こんなにボロボロな自分のどこに、安心してもらえる要素があるのか?」と。書類のミスがないか、日々不安で仕方がない。人の信頼が重すぎると感じるときもある。
感謝の裏にある期待の重み
依頼者の笑顔を見ると、「頑張ってよかった」と思える。だが同時に、「また明日も、同じように頑張らなければ」というプレッシャーにもなる。期待されることは嬉しい反面、その期待に応え続けるのは体力がいる。いつまで走り続けられるのだろう、と考える日もある。
役所対応という名の精神修行
役所に行くたびに「またか」と思ってしまう自分がいる。窓口で何度も書類を突き返されるうちに、「もう少し柔軟になってくれないか」と愚痴の一つも言いたくなる。だが相手も仕事だ。そう思って飲み込んでも、やはりストレスは蓄積していく。
窓口で何度もため息をつかれる側の気持ち
こちらが悪いわけではないのに、相手の不機嫌そうな表情に萎縮してしまう。「またですか?」というトーンに、「じゃあ最初に全部教えてくれよ」と心の中でツッコミを入れる。こっちは一日に何件も回ってるんだ、という言い訳すら口にできない。
「書類が一枚足りませんね」の破壊力
一枚足りない、それだけで今日のスケジュールが崩れる。すぐ戻れる距離じゃない。移動時間も経費もかかる。しかもそれが自分のミスでなかったとしても、結局すべてのツケは自分に回ってくる。「完璧」って何だろう、そう思う。
訂正印を忘れただけで一日が無に帰す
何年もやっていても、うっかりはある。訂正印を忘れただけで、「また出直してください」と言われると、思わず天を仰ぎたくなる。そんな日は、書類の隙間からこぼれる溜息が止まらない。
ふとした時に感じる孤独
誰かと一緒に昼食をとるでもなく、誰かと電話で雑談するでもなく、ただ静かに仕事をこなす日々。騒がしさとは無縁なはずの職場なのに、なぜか「孤独」が妙に響いてくることがある。昼休みにふとスマホを見ると、他人の楽しげな投稿ばかりが並んでいて、さらに寂しさを感じる。
話しかける相手がいない昼休み
コンビニで買ったおにぎりをデスクで食べながら、事務員さんが戻るのを待つ。別に誰かと話したいわけでもないが、まったく会話がない時間というのは、不意に心を沈ませる。誰かの「お疲れさま」すら、ものすごく恋しくなる時がある。
元野球部のノリが通じない静かな職場
かつての自分は、ベンチで仲間に声をかけるのが得意なタイプだった。だが、いまやその声をかける相手もいない。職場で大声を出すわけにもいかず、無口になっていく自分に気づいては、昔の自分と比べて落ち込む。
SNSの幸せそうな投稿がやたらと目につく日
「今日は家族で温泉」「彼女と記念日ディナー」…そんな投稿が続くと、もうスマホを閉じたくなる。こちらは一人でカップラーメンをすする夜。何がいけなかったんだろうと、過去を振り返っては、また明日が憂鬱になる。
書類の隙間から漏れた一言が希望だった
ある日届いた封筒の中に、「お忙しい中ありがとうございます。くれぐれもご無理なさらないように。」と手書きで添えられたメモがあった。それだけで、一日が少し軽くなった。書類の山に挟まれたそんな“本音”が、自分を立て直すきっかけになることもあるのだ。
「お忙しいと思いますがよろしくお願いします」
たった一文でも、丁寧に書かれているだけで心に響く。こちらも人間だから、無機質な書類より、ほんの少しでも気持ちが伝わるやりとりがあると、心が温まる。仕事の忙しさで忘れていた感情が、ふと戻ってくる瞬間でもある。
ただの定型文でも 人の温度を感じることがある
同じ言葉でも、手書きだったり、字に個性があったりすると、不思議とその人の人柄が伝わってくる。そういうとき、「ああ、この仕事、やっててよかった」と思える。数字や法律だけでは測れない、温度のあるやりとりこそが、仕事の支えになる。
誰かの一言に救われて今日も机に向かう
やめたいと思った日もあった。誰にもわかってもらえないと思ったこともあった。それでも、誰かの「ありがとう」「お願いできますか」の一言が、今日も自分をこの机に向かわせる。書類の隙間に挟まった本音が、かすかな希望になる。そんな日々を、これからもなんとか乗り越えていく。