毎日がタスクとの終わりなき追いかけっこ
朝のコーヒーを一口飲んだその瞬間、ファックスの音が鳴り響く。内容を確認すれば、新たな相続登記の依頼。昨日「やっと一区切りついた」と思っていたばかりなのに、また今日も一から段取りを組み直し。司法書士の仕事は、見た目ほど整然としていない。タスクが終わったら、何かしら新しい用事が舞い込んでくる。気がつけば、ToDoリストは毎日少しずつ肥大化している。机の上のメモも、PCの付箋も、頭の中の整理すら追いつかない。そんな“追いかけっこ”が、ここ数年の日常だ。
「やっと一段落」と思った矢先に届く封筒
先日、ようやく数ヶ月がかりの案件が完了し、久しぶりに机の上が片付いた。事務員さんと「少しは落ち着きましたね」と話した翌日、今度は見慣れない差出人から書留が。開けてみれば、相続人の一人が音信不通で連絡が取れず、対応を求める内容。やれやれと思いながら、再び調査からのスタートだ。終わったと思っても、終わらない。そんな封筒がいつもどこかからやってくる。
なぜか連鎖する「予期せぬ問題」たち
不思議なもので、一つトラブルが起きると、なぜか他の案件でも何かが起きる。登記に必要な書類の抜け、依頼者の意向変更、連絡のすれ違い。しかもそれが、同じ日に重なったりするから始末に負えない。「今日はスムーズにいきそう」と思った朝ほど、だいたい何かが崩れる。予期せぬ問題というのは、どうも群れをなしてやってくるようだ。
書類は山のようにあるのに、机は片付かない
「紙で来る案件は減った」と言われる時代だけど、現場ではむしろ逆。書類の山は毎日増えていく。裁判所、法務局、金融機関、それぞれの様式も違えば対応期限も違う。どれかを優先すれば、別の案件が停滞する。全部に気を配っているつもりでも、気づいたら「あれ、これどこまで進んだっけ?」という状態になる。
整理しても戻ってくる「散らかり」現象
たまに思い切って書類の整理をする日がある。不要なコピーを捨て、ファイルをまとめ直して、見た目だけでもスッキリさせる。けれど、その効果はもって2日。次に郵送物が届けば、また積み上がっていく。完了した書類の控え、スキャンした原本、ついでに個人メモ。きれいにするほど、散らかるまでのスピードが速くなる気がする。
完了よりも「対応中」が常に多い現実
司法書士の仕事は、基本的に「途中」で止まっている案件が多い。登記申請も、相続関係の調整も、こちらが一方的に進められることばかりじゃない。相手の返事待ち、資料待ち、他士業との調整──終わるのは一瞬だけど、そこに至るまでが異常に長い。そのため、いつまでたっても「終わった感」が得られないのがつらい。
事務員ひとり、頼れるけど限界もある
うちの事務所には事務員がひとり。気が利いて、書類も丁寧に扱ってくれて、正直かなり助かっている。でも当然、すべては任せられないし、無理もさせられない。結局、自分のタスクは減らずに残り続ける。ありがたいけれど、頼りすぎてしまう自分にも後ろめたさがある。
小さな所帯の良さと苦しさ
2人だけの事務所は、意思疎通が早く、無駄な会議もない。そこはありがたい反面、どちらかが体調を崩せばもう業務がまわらない。忙しいときのフォローもしづらく、「今、声かけても大丈夫かな」と気を遣う日もある。結局、助けを求めにくくなってしまう。
お願いしすぎてしまう罪悪感
こちらも余裕がないから、つい急ぎの仕事をポンと渡してしまう。後で「あれ、無理させたかも」と反省する。でも、今さら「さっきのやっぱり自分でやるわ」とも言えず、ぐるぐると気まずさが残る。優秀な人ほど我慢してしまうから、余計に申し訳ない。
一人分の穴は二人では埋まらない
例えば、役所への確認電話が重なったとき。事務員が外出中で、こっちも相談中だと、何もできずに時間だけが過ぎる。こういう瞬間に、「人手が足りない」という現実を痛感する。二人でなんとかまわしているつもりでも、実は常にギリギリなのだ。
それでも、この仕事を辞めない理由
どれだけしんどくても、この仕事には“意味”がある気がしている。書類の山の中にも、小さな人間ドラマが詰まっていて、それに少しでも関われることが救いになる瞬間がある。誰かの人生の一部に静かに関与して、最後に「ありがとう」の一言をもらえたら、それだけで報われることもある。
小さな「ありがとう」が不思議と沁みる
派手な仕事じゃない。拍手をもらえるわけでもない。それでも、終わった後に「助かりました」と小さく言われるだけで、なぜか心が軽くなる。「こんなに疲れてるのに、また続けようと思っちゃう自分って変だな」と思いつつ、それがこの仕事の魔力かもしれない。
疲れの奥にある“必要とされている感覚”
誰かに必要とされている、という感覚。それがなかったら、とっくに辞めていただろう。忙しさと疲れの中にも、やりがいがある──そう自分に言い聞かせながら、また今日もファックスの音に反応してしまう。片付いたと思ったら、またひとつ。それでも向き合っていくのが、この仕事だ。