「今日も元気そうだね」に隠された疲れ
「先生、いつも元気ですね」なんて言葉をかけられるたび、胸の奥がズキッとします。元気そうに見せてるだけです。というか、そう見せないと回らないんです、この仕事。司法書士って、なんとなく“頼れる大人”に見られがちですよね。誰かの不安を受け止める立場である以上、自分が弱ってる顔なんてできません。だけど本当は、疲れてるし、寝不足だし、心がどこか空っぽなときもあるんです。ただ、それを言えない。それだけなんです。
本当は全然元気じゃないとき、ありますよね
笑顔って、案外便利なものです。少し口角を上げていれば、周りは勝手に“この人は大丈夫だ”って判断してくれる。でも、それは錯覚です。僕も過去に、父親の介護が大変だった時期があって、その日も笑って接客してました。でも内心、「今日の夕飯どうしよう」「ヘルパーさん来るのかな」ってぐるぐる。元気なんて言葉が遠くに感じる毎日でした。あの時も「先生、笑顔が素敵ですね」なんて言われて、泣きたくなったのを覚えてます。
笑顔で応じながら「これって誰のための笑顔だろう」
お客さんのため、職員のため、家族のため、誰かの不安を和らげるために、僕たちは笑っている。でも、それって本当に自分のためになってるのか?時々ふとそんな疑問がよぎります。自分の気持ちはどこへ行ったんだろう、と。まるで、自分の“心の在庫”を無理して削りながら笑っているような感覚。正直、疲れるんです。でも、笑わないと「どうしたの?」って聞かれるでしょ?それが一番面倒だから、また笑う。そんな循環です。
やさしい人ほど、無理して笑ってる気がする
これは持論ですが、やさしい人って、自分を後回しにしてでも空気を壊さないようにふるまう傾向があると思うんです。僕自身がそうだから。昔から「怒ったことなさそう」って言われるし、「気にしなさそう」って言われるけど、全部気にしてます。本当は怒ってるし、落ち込んでます。でも、それを出したら誰かが困るだろうなと思って、笑って済ます。それってやさしさじゃなくて、ただの自己犠牲かもしれませんね。
仕事を断れない自分に、また自己嫌悪
「忙しいですか?急ぎじゃないんですけど…」そんな言葉の後に続く依頼を断れた試しがありません。僕みたいな地方の司法書士にとって、断るという選択肢は“もう次は頼まれないかもしれない”という不安に繋がる。しかも相手は親戚だったり、地元の知り合いだったりする。断れない構造ができあがってるんです。で、結局夜にひとりで「あれもやらなきゃ、これも終わってない」と自己嫌悪。これは自分で撒いた種だと分かってても、しんどいです。
「忙しいなら言ってくださいよ」に言葉を失う
ごくまれに、「あの時忙しかったんですね、言ってくれればよかったのに」と言われることがあります。やさしい言葉なんですけど、そう言われると余計に言えなくなる。忙しいって伝えたら、気を遣わせるし、気まずくなる。だから、忙しくても「全然大丈夫ですよ」と言ってしまう。でもそれは、自分の心と時間を削る選択でもある。あとから「なんであんなに無理して引き受けたんだろう」って、自己嫌悪に陥るのが常です。
事務員さんに任せられない…全部自分で抱える日常
うちの事務員さんは本当に真面目で助かってます。でも、やっぱり重要な部分は自分でやらないと気が済まない性格なんです。登記の内容チェックや法務局対応、細かい計算…。ミスが許されない仕事だからこそ、「自分がやるしかない」という呪いに近い思考に囚われてます。結果、休みの日もどこかで“あの件どうなってるかな”と気になって気が休まらない。任せられないのは信頼してないからじゃなくて、自分の性格なんですよね。
結局、自分の首を締めてるだけなのにね
自分で全部やろうとすることで、安心できる部分もあります。でもそのせいで残業が続いたり、休日も働いたり。よく考えると、結局は自分で自分の首を締めてるだけなんですよね。それに気づいてるのに、やめられない。そんな自分にまたイライラする。でも、他人に迷惑をかけるよりはマシだと思ってしまう。これが正しいのかどうかなんて、もう分かりません。ただ、「今月もよく頑張ったな」と誰かに言ってほしいだけなのかもしれません。
書類ミスに気づかれず、夜にひとり反省会
完璧じゃないといけない。そんなプレッシャーを抱えながら仕事をしています。ある日、相続登記の資料に微妙な誤記があって、でも誰にも指摘されずそのまま通ってしまったんです。お客さんも気づいていない。それでも僕の中では“大きなミス”でした。その夜、一人で確認しながら「こんなミスするなんて、どうかしてる」と自己嫌悪。司法書士って、誰にも褒められない仕事ですけど、誰にも責められないぶん、自分で自分を責めてしまうんですよね。
相手は気づいてないけど、自分は忘れられない
仕事って、意外と“誰かに言われないと気づかない”ことが多いです。でも司法書士の仕事はその逆で、“言われなくても自分で気づいていなければならない”という性質がある。だから、たとえミスに気づかれなかったとしても、自分がわかっている限り、それはミスなんです。お客さんにとっては些細なことかもしれない。でも僕にとっては、信頼を裏切った気分。寝る前にそのことを思い出して、ため息が出る夜が何度もあります。
寝る前にふと思い出して胃がキリキリする
仕事が終わって、風呂に入って、布団に入って…。ようやく一日が終わるというタイミングで、「あの書類、あれで本当に良かったっけ?」と急に頭に浮かぶんです。一度気になると、もうダメですね。スマホで資料を見返したり、翌日の予定を確認したり。リラックスなんてできません。そんな夜が何度あったことか。これ、同業者ならきっと一度は経験あるはず。仕事に“終わり”がない感覚、あれが一番しんどい。
「完璧」は目指してないけど、やっぱり悔しい
正直、完璧なんて無理です。でも、「できる限りのことをしたい」という気持ちはある。だからこそ、ミスや抜けがあるとものすごく悔しいんです。ミスしないために時間をかける。でも時間をかけすぎると他の仕事が遅れる。そしてまた夜に反省会が始まる。なんなんでしょうね、この無限ループ。自分に厳しくするのが美徳だとも思ってません。ただ、どうせ誰も褒めてくれないなら、自分くらいは自分を褒めてあげたい。そう思える日が、いつか来たらいいなと願ってます。