依頼は来たのに心が晴れないとき

依頼は来たのに心が晴れないとき

依頼が来た瞬間に感じる妙な違和感

朝、パソコンを立ち上げてメールを確認した瞬間、通知に「登記のご依頼です」と書かれていた。普通なら嬉しいはずだ。収入につながるし、事務所が選ばれたという事実でもある。でも、最近は「やった!」という気持ちよりも、どこか「はぁ、またか……」とため息が先に出てしまう。なんでこんな気持ちになるんだろう。忙しさに心がついてきていないのか、それとも仕事の内容に何か引っかかっているのか。地方の小さな司法書士事務所で、たった一人の事務員と回している今、この「妙な違和感」は日常になりつつある。

あれほど待ち望んでいたはずなのに

思い返せば、開業して間もない頃は依頼が来るたびに喜んでいた。「よし、また一歩進める」と張り切っていた。でも今では、受け取った瞬間に「これ、何日までに処理しなきゃいけない?」「この依頼人、ちょっとクセがあったような……」と、頭の中で不安と計算がぐるぐる回る。たとえるなら、野球部時代のノック練習で、ボールが来るのは分かっているのに足がすくむ感じ。心が構える前に、現実が次々に飛んでくる。依頼が嬉しくないわけじゃない。でも純粋に喜べなくなってしまった自分に、ちょっとした悲しさすら覚える。

「嬉しい」と思えない感情の正体

どうしてそんな気持ちになるのかを自分なりに掘り下げてみると、「抱え込みすぎている」ことが原因の一つだった。この仕事、どうしても責任の重さがのしかかる。依頼を受けたら最後までやりきらなきゃいけないし、ちょっとしたミスが大問題になる。そんな緊張感の中で、依頼が来るたびに「また戦いが始まる」と身構えてしまっていた。仕事は嫌いじゃない。でも、気軽に「やったー!」と言える余裕が、いつの間にかなくなっていた。

過去の依頼に引きずられている自分

さらに言えば、過去の嫌な記憶も影響している。「あの依頼人、連絡がつかなくなってトラブルになったな」とか、「あの案件、ギリギリのスケジュールだったな」といった記憶が、ふとよみがえる。そんなとき、新しい依頼にも同じような苦労が待っているような気がして、構えてしまう。いわば、トラウマのようなもの。元野球部のくせに、メンタルが豆腐みたいになってると自嘲したくなる。でも、それが今の現実だ。

忙しさと不安が常に隣り合わせ

この仕事、見た目よりもずっと体力と精神力を使う。ひとつの案件にどれだけの確認作業と連絡が必要かは、やったことがある人にしかわからない。さらに、依頼は重なるときは一気に重なる。そのたびに、自分と事務員一人だけでなんとかまわそうと必死になる。でも、余裕がないと小さなミスも増える。そうするとさらに自分を責める。負のスパイラルだ。

一人事務所のリアルな現実

地方で小さな事務所をやっていると、人手が足りないのが当たり前になる。事務員も頑張ってくれているけれど、専門的な判断が必要な場面は自分が対応するしかない。相談、申請、電話対応、書類作成――すべての責任が自分にかかっていると感じる日々。土日返上なんて珍しくもない。依頼を受けた喜びよりも、「これをこなせる体力、まだ残ってたっけ?」と自分の体調を心配してしまう始末だ。

事務員には任せられない領域の多さ

事務員が優秀で助かっている。でも、やはり専門的な判断や責任が生じる業務になると、結局は自分のところに戻ってくる。だから、事務員の手が空いていても、自分だけがずっと頭を悩ませていることも多い。ひとり相撲だ。肩の荷を下ろせる場面が少なく、常に何かしら抱えている感覚。それが積もり積もって、「依頼が来る=重荷が増える」と心が反応してしまう。

結局すべてが自分に返ってくるプレッシャー

司法書士の看板を掲げている以上、何かあれば自分の責任になる。当たり前のことだけど、その重さを毎回噛みしめるのは正直しんどい。ミスしたくない。でも、完璧ではいられない。そのジレンマが常に胸の奥にある。依頼が来るたび、「また緊張感が走る日々が始まる」と身構える。それはまるで、試合の前夜に眠れなかった高校野球時代の感覚に少し似ている。

それでも依頼を受けてしまう自分を許すために

こんなにしんどいのに、なんだかんだで依頼を断ることはほとんどない。それは自分が「まだ頑張れる」と思いたいからかもしれないし、「断ったら次は来ないかも」という不安があるからかもしれない。いずれにしても、気持ちが晴れないまま依頼を受けている自分を否定したくなる瞬間はある。でも最近は、そういう自分も「よくやってるよ」と少しだけ認めてやるようにしている。

「逃げてもいい」と思えるための心の準備

最近、ある先輩が言っていた。「全部やらなくてもいいんだよ。逃げるのも立派な選択肢だ」と。その言葉に救われた。司法書士は真面目な人が多くて、自分を追い込んでしまいやすい。でも、本当に大切なのは続けること。ちょっと疲れたら、少しだけペースを落とせばいい。そう思えるようになってから、心が少しだけ軽くなった。

理想の司法書士像に縛られすぎないこと

「依頼は全部受けるべき」「ミスなく完璧にこなすべき」――そんな理想像に縛られていたのかもしれない。でも、それは幻想だ。完璧な司法書士なんていない。だから、依頼が来たときに「ちょっとしんどい」と思っても、それを否定する必要はない。それもまた、司法書士としてのリアルな一部なんだと思うようにしている。

ちょっとしたことで気持ちが楽になる瞬間

最近、自分にとっての「ガス抜き」は、昼休みにコンビニでアイスコーヒーを買って駐車場で飲むことだったりする。ほんの10分の時間だけど、その間だけは誰からも連絡が来ないし、何もしなくていい。その時間があるだけで、午後からの依頼も少しは落ち着いて対応できる。小さなことだけど、積み重ねが大きい。依頼が来ること自体はありがたい。でも、心がついてこないときは、自分なりの方法で少しでも軽くしていく。それが今の自分にできる、精一杯のことだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。