司法書士って公務員じゃないのと聞かれるたびに思うこと
「司法書士って公務員なんですか?」この質問、たまにじゃなくて、けっこうな頻度でされます。法務局に出入りしている姿を見かけたり、登記の書類を黙々と作っている様子が「お役所の人っぽい」らしくて、そんなふうに思われがちなんでしょうね。実際は完全な民間の資格業。自営業みたいなもんです。でも聞かれるたび、正直ちょっとだけ心がチクリと痛みます。公務員という安定を羨ましいと感じてしまう自分もいるからでしょうか。
そもそも司法書士とはどんな仕事か
司法書士は、主に不動産登記や商業登記、遺言や相続に関する書類作成、裁判所提出書類の作成などを代行する法律専門職です。国家資格ではあるけれど、どこかの公的機関に属しているわけではなく、あくまで個人事業主や法人として業務を行っています。僕のように地方で小さな事務所を営んでいる司法書士は特に、事務も営業も経理もすべて自分たちでこなさなければならず、「公務員らしさ」とは正反対の現場です。
資格職であって、役所の人ではない
司法書士は、国家資格であることから「偉そう」と誤解されがちですが、実際にはお客様と法務局や裁判所の間に立つ地味な役割です。制服もなければ安定した給与体系もない。町の中小企業の社長みたいなものです。公務員というより、どちらかと言えば自営業の八百屋さんに近い気さえします。地元の人に支えられ、トラブルの火消し役を担いながら、地味に生きている。それが現実です。
でも書類を持って法務局に出入りしてると誤解されがち
確かに、毎週のように法務局に出向き、提出窓口で担当者とやり取りしている姿は、傍から見れば役所の職員のようにも映るかもしれません。名刺を出しても、「ああ、法務局の人?」と返されることもしばしば。でもこっちは一民間人。登記申請でミスがあれば突き返されるし、責任も重く、仕事が終わっても誰からも「お疲れさま」なんて言われません。
なぜ公務員と勘違いされるのか
これはもう、見た目と仕事の内容が誤解を生みやすいとしか言いようがありません。スーツを着て、静かに書類と向き合っている姿。法務局にいる時間が多い。おまけに「司法」なんて漢字がつくから、なんとなく「公的な存在」っぽく思われてしまう。僕自身、大学時代に親戚から「公務員になるんだね」と言われて苦笑いしたことを思い出します。
スーツ着て真面目そうにしてるから?
地味で無口、愛想がない、でもスーツだけはきちんとしてる。そんな僕の姿が「公務員っぽい」んでしょうね。実際、服装がキッチリしていればしているほど誤解される気がします。しかも外回りが少なく、役所にこもっている日が多いと、ますます「中の人」っぽくなる。まあ、もう少しラフな格好でいれば勘違いされないかも…でもそれはそれで信用されないし。なんとも面倒です。
法務局との関わりが多いから?
毎日のように法務局とやり取りしていると、自然と顔見知りにもなります。窓口の人と雑談も交わすし、書類の不備があれば呼び戻される。でもそれはあくまで「お客様」としての立場なんです。でも周囲から見れば、「あの人、法務局の人なのかな」と思われても仕方ないかもしれません。僕も昔、実家の母親から「転勤とかないの?」と聞かれて力が抜けた記憶があります。
「安定してていいですね」と言われたときのモヤモヤ
「司法書士って安定してていいですよね」…このセリフ、言われるたびに心の中で「はあ?」とつぶやきたくなります。確かに資格職ではありますが、景気や地域の動きに左右されやすく、実際のところ「安定」とは程遠いのが現実です。特に僕のように田舎で小さな事務所を一人で切り盛りしていると、毎月の収支にヒヤヒヤすることもあります。
見た目と実際のギャップに疲れる
きちんとした服装、丁寧な言葉遣い、淡々とこなしているように見える業務。外から見ると、落ち着いた安定職に見えるのでしょう。でも実際には、案件の波が激しく、忙しい月と暇な月の差も大きい。大雨の日に依頼が集中したり、予定していた登記が急にキャンセルされたり、もう精神的にもジェットコースターです。何より、孤独感もなかなかキツい。
書類提出の裏での修羅場
「提出するだけでしょ?」と軽く見られる書類作成の裏には、実にさまざまなドラマがあります。期限ギリギリの依頼、必要書類が足りない、登記原因が不明確、関係者の意見が割れて調整が必要。そんな修羅場をかいくぐってようやく提出できた登記を「はい、おしまい」と思われると、正直やりきれません。誰にも見られない苦労ほど、つらいものはないですね。
一人で回してる現実と体力の限界
事務員さんは一人いますが、結局ほとんどの判断や作業は僕がしなければいけません。電話対応から相談、書類作成、提出、請求書発行まで、全部。特に年齢を重ねると体力的なきつさが身に沁みます。昔は夜中まで作業しても平気でしたが、今では徹夜明けに車を運転するのも怖い。「安定」の代償は、決して小さくないのです。
公務員に対する憧れと嫉妬心
正直、あります。土日休み、年末年始もちゃんと休めて、賞与も出て、転勤も制度に守られてる。そんな環境に憧れがないと言ったら嘘になります。でも僕が選んだのはこの道。自分で選んだ人生なんだから、と自分に言い聞かせながらも、心のどこかで「公務員になっていれば」と思う朝もあります。特に忙しさに押し潰されそうな日には。
休みの多さや年金制度が羨ましい
役所が閉まっている日=仕事ができない日。つまり、こちらも強制的に休みになる…はずなのですが、実際には休日も書類の確認やメールの返信、遺産分割協議書の作成など、仕事から完全に離れることはありません。その点、公務員は「休みは休み」という線引きがしっかりしている印象です。年金や福利厚生の手厚さにも、正直羨ましさを感じます。
独立開業のリスクと孤独
自分で開業して自由に働けるというと聞こえはいいですが、すべての責任は自分に降りかかります。売上が減れば生活が苦しくなるし、何かあれば自分で全部対応しなければなりません。相談できる同業者が近くにいない日には、誰とも口をきかず一日が終わることも。孤独との戦いは、開業司法書士の宿命なのかもしれません。
それでもこの仕事を続ける理由
文句ばかり言いながらも、なぜかこの仕事を辞めずに続けている。たぶん、それは誰かに感謝されたときの嬉しさが、すべてを上回るからです。誰にも頼れなかった人の手助けができたとき、ふと「司法書士でよかったな」と思える瞬間がある。その一瞬のために、日々の大変さを飲み込んでいる気がします。
依頼者の「ありがとう」に救われる瞬間
ある日、相続登記の相談に来られた高齢の女性が、「こんなに丁寧に話を聞いてくれたのはあなただけ」と涙ぐまれたことがありました。たったそれだけの一言が、数日間の疲れを吹き飛ばしてくれた。人と関わる仕事は大変だけど、こうした瞬間があるからやめられないんですよね。
誰かの役に立てているという実感
司法書士の仕事は派手ではありません。でも、確かに誰かの人生の節目に立ち会っているんです。家を買ったとき、会社を立ち上げるとき、大切な人を亡くしたとき。そうした瞬間に、自分が少しでも支えになれていると思えると、日々の孤独や疲れも報われるような気がします。
頼られることの誇りと責任
「こんなこと、誰に聞いていいかわからなくて…」という相談がよくあります。そんなとき、僕が最後の砦になれていることが嬉しい反面、プレッシャーも大きい。でもその責任感が、自分を奮い立たせてくれているのも事実です。頼られるというのは、しんどいけど、誇らしいことでもあります。
元野球部のしぶとさが生きている
僕は高校時代、野球部でした。泥まみれになっても食らいつく、そんな練習の毎日。その頃に身についた「しぶとさ」が、いまの仕事にも活きています。多少の失敗や嫌なことがあっても、次の日にはグローブを持ってグラウンドに立っていたあの頃の自分が、今の僕を支えているのかもしれません。
踏ん張る力だけはまだある
仕事が重なって寝不足が続いても、踏ん張る力はまだ残っています。若い頃の体力ほどではないけれど、気力でなんとか持ちこたえる。これも、あの頃の根性練のおかげかもしれません。辛くても投げ出さずにやり続ける。それが、司法書士としての僕の流儀です。
一人事務所のペースを守れる自由さ
不安定だけど、自分のペースで働ける。それは大きな魅力でもあります。無理に拡大せず、細く長く、信頼される仕事をしていく。そうした地道な積み重ねが、少しずつでも自分の居場所を作ってくれる気がします。今日もまた、誰かの相談に耳を傾けながら、静かにキーボードを叩いています。