心をすり減らす毎日
司法書士というと、法的な手続きに長けた“事務職”的なイメージを持たれることが多い。でも実際は、気を遣いすぎて、帰宅後にぐったりする日ばかり。地方で一人で事務所を切り盛りし、事務員と二人三脚で日々をこなしていると、書類より人の感情に振り回されることが多い。毎朝の出勤前、胃のあたりがズーンと重くなるあの感覚。きっかけは、小さなことかもしれない。でも積み重なると、確実に心が削れていく。
朝イチで胃が痛い理由
「あの案件、またトラブってないだろうな」――そんな思いが頭をよぎるだけで、体が拒否反応を起こす。スマホに着信履歴が1件あるだけで、どこかの誰かが怒っているように感じる。自分は何も悪くないはずなのに、どこかで責任を感じてしまう。これが“メンタル職”だと気づいた最初の違和感だった。野球部時代の監督の怒号よりも、今は静かなプレッシャーの方がよほど苦しい。
電話を取るだけで気分が沈む
「はい、〇〇司法書士事務所です」――この一言を発するのがしんどい朝がある。かかってくる電話のほとんどが、相談かクレームか追加依頼。たまに「ありがとう」と言ってもらえる日は稀で、基本的には“面倒な連絡”ばかり。受話器を取った瞬間に声色で分かる。「あ、これは重たい案件だな」と。声だけで心を削られる感覚、伝わる人には伝わるだろうか。
依頼者の“感情”が重たい
登記や相続の相談と一言でいっても、背景には必ず人間関係のドラマがある。親族トラブル、遺産分割のもめごと、財産に絡む嫉妬や怒り。こちらは中立でいようとしても、無意識に巻き込まれてしまう。しかもその感情の矛先が、ふとした拍子にこちらに向くことがある。自分の言葉ひとつで、依頼者が不機嫌になったり、泣き出したり。それを毎日やっていれば、そりゃあ心も疲れる。
「慣れる」とは程遠い現実
この仕事、年数を重ねたからといって、精神的に楽になるわけじゃない。むしろ経験があるぶん、見なくていい未来まで想像してしまう。依頼者の一言に「これは後で問題になりそうだな」と感じたら、そこからが勝負。夜中に目が覚めて、「あの説明、ちゃんと伝わってたかな」と確認したくなる。メンタルが強くなるどころか、敏感になってしまっている気がする。
トラブル案件に慣れる日は来ない
「またか」と思う場面がある。相続で兄弟姉妹が揉めていて、話がこじれてきた。何件も扱っていればパターンは読める。でも、“慣れた対応”なんてこちらにはできない。人間関係には正解がないし、誰かを傷つける可能性を常に感じながら対応する。結局、毎回違う緊張感がのしかかる。だから、この仕事に慣れるというのは幻想だとさえ思う。
怒られるより謝る方が辛い
怒鳴られることは滅多にない。でも、こちらが悪くないとわかっていても「」と謝る場面は多い。それが地味にきつい。自分を押し殺して、場を収める。そういう立ち回りに慣れた頃には、ふと鏡の中の自分がどこか他人のように見える。本音で生きることと、仕事を回すことは別なのだと、自分に言い聞かせる毎日。
自分を支えるのは結局メンタル
体力的にはそこまでハードじゃない。でも、心は常に張り詰めている。感情の波をもらいやすい性格だと自覚しているから、なおさら。司法書士という職業をやっていくには、法律知識以上に“心の耐久力”が必要なんだと痛感している。誰かに助けてもらいたくても、誰にも甘えられない――そんな葛藤の中で、何とか自分を保っている。
法律より感情を扱っている気がする
「先生は法律の専門家なんだから」と言われるたびに、どこか違和感を抱く。たしかに登記や契約書の手続きは法律がベース。でも実際の相談内容は、法律じゃなく“人の感情”をどう整理するかが問われている。法律論だけでは通じない場面の方が多く、正論が人を余計に傷つけてしまうこともある。この仕事の本質って、たぶん「人をうまく受け止める力」なんじゃないかと思う。
書類の不備より怖いのは人の怒り
書類のミスは見直せば防げる。チェックを重ねれば回避できる。でも、人の怒りは予測できない。しかも理不尽な怒りの方が多い。たとえば、依頼者の中に「司法書士=何でもやってくれる便利屋」と思ってる人もいて、境界線があいまいになっていく。自分の心を守りながら、相手を立てる。そのバランスが毎度のように試されるのだ。
感情労働って何だよと嘆く日もある
朝から晩まで、感情の応対ばかりしていると、「俺って何の仕事してるんだっけ?」と頭がぼんやりする日がある。いわゆる“感情労働”ってやつだと思うけど、それが一番きつい。でも、感情の波に付き合い続けていれば、誰かにとって自分の存在が少しだけ“安心”になってるのかもしれない――そんな想像だけが、続ける理由になっている。
事務所は静かでも心は嵐
うちの事務所は田舎にあって、とても静かだ。外から見ればのどかな雰囲気に見えるだろう。でも、内心は常にぐるぐると思考が回っている。あの案件のこと、あの説明で良かったのか、不動産の評価ミスはないか――いくつもの心配が、ずっと頭の中でリフレインしている。外見と内面のギャップに、自分でも驚く。
「大丈夫?」と聞かれると涙が出そうになる
たまに、友人や事務員に「大丈夫?」と聞かれると、胸に詰まっていた何かが一気に押し寄せてくることがある。普段、誰にも弱音を吐けないから、その一言で崩れそうになる。泣くわけにもいかず、冗談でごまかす。でも実際のところ、誰かに「頑張ってるね」って言ってほしいだけなのかもしれない。
だからこそ伝えたいことがある
こんなにしんどい思いをしているのは自分だけじゃない。同じように地方で孤軍奮闘している司法書士も、士業を目指す人も、きっとどこかで心が疲れていると思う。だからこそ、弱さや迷いを共有していきたい。強くある必要はない。誰かの共感が、明日の自分を救ってくれることだってあるから。
しんどいのはあなただけじゃない
SNSで「今日もお疲れ様」とか「孤独に負けるな」なんて投稿を見かけると、思わず涙が出そうになるときがある。それくらい、自分が追い詰められているんだと気づく。頑張ってる人ほど、周りに助けを求められない。だからこそ、今しんどいと感じている人に「それでいい」と伝えたい。
メンタルが弱いから辞めたくなるわけじゃない
心が疲れたとき、自分を責めがちだ。でも、本当はメンタルが弱いんじゃなくて、感受性があるだけ。人の気持ちに敏感で、相手を思いやるからこそ、心がすり減ってしまう。そんな自分を責めないでほしい。むしろ、それはこの仕事に必要な“優しさ”なのだから。
野球部で培った根性はこんなところで役立つとは
高校時代、真夏のグラウンドで叫ばれていた根性論。「気合いだ!」「最後まで走りきれ!」なんて言葉、社会に出たら意味ないと思ってた。でも、まさか司法書士になって、精神の持久戦を強いられるとは。根性だけでは乗り越えられないけど、あのときの“しぶとさ”が、今の自分を支えている。