異性と雑談が続かない僕が気づいたこと

異性と雑談が続かない僕が気づいたこと

話題がないわけじゃないのに続かない不思議

司法書士という仕事柄、依頼人と話す機会は多い。それも初対面が多いし、年齢も性別もバラバラだ。なのに、どうしてプライベートで異性と話す場面になると、頭が真っ白になるのか。最近そんな疑問が頭から離れない。話題がないわけじゃない。ニュースも見るし、趣味の話もある。だけど「何を話そうか」と思った時点で口が重くなる。結局、うなずくだけで終わる。あの沈黙の時間が怖くてたまらない。

業務のことなら延々と話せるのに

登記の手続きについては何時間でも話せる。相手が知っていようが知らなかろうが関係ない。「これはこうで」「法務局はこうで」と熱弁を振るえる。でも、これが異性相手になると話は別。仕事モードが抜けなくて、話題を選びすぎてしまう。無意識のうちに“聞かれてから話す”姿勢になっていて、雑談が生まれない。そう気づいたのは、事務員さんに「先生、いつも営業トークっぽいですよ」と笑われたときだった。

沈黙の時間が怖いのはなぜか

沈黙が怖いのは、相手に「つまらない」と思われるのが怖いからかもしれない。学生時代はそんなこと考えず、ノリと勢いで話せていた。だけど社会に出て、人と距離をとるようになった今、「何か言わなきゃ」という強迫観念がついて回る。特に異性相手となると、その沈黙が「興味がないと思われたらどうしよう」に変わる。沈黙の空気に耐えられなくて、自分を責める。そんな自意識過剰が、さらに口を閉ざす原因になっていた。

昔はこんなことなかった気がする

振り返ると、高校の野球部時代、異性の友達とも普通に話していた記憶がある。放課後の帰り道、部活の話、テストの話、しょうもない笑い話…今の自分にはもう出てこないような言葉たち。でも、あの頃は評価なんて気にしてなかった。純粋に話すことが楽しかった。今はどうしても“相手に良く思われたい”が前に出てしまう。それが、会話の楽しさを奪っている気がしてならない。

仕事柄、人と話すことには慣れているはずなのに

司法書士として、日々いろんな人と関わっているのに、なぜか異性との雑談には自信がない。人と話す=雑談とは限らないと、最近になってようやく気づいた。業務上の会話と日常の雑談とでは、必要とされる“間合い”がまるで違うのだ。特に僕のように「正確に」「誤解なく」伝えることを求められる職業では、言葉を選ぶクセが染みついていて、それが雑談のテンポを壊してしまうことがある。

依頼人との会話とプライベートの会話の違い

依頼人との会話は、目的が明確だ。手続きについて説明し、必要な情報を聞き出し、安心してもらう。それに対し、異性との雑談には“目的”がない。だから逆に難しい。つい質問責めになったり、「で、何が言いたいの?」と自分で自分の話を途中で止めてしまう。雑談とは、ただ言葉を投げ合うラリーのようなもので、勝敗も着地点もない。僕はそれがまだうまくできない。

感情よりも事実を伝える癖

仕事では「こうなっていて」「こうしないといけない」という事実を丁寧に説明するのが正解。感情を乗せすぎると、かえって誤解されることもある。だから自然と感情を隠すクセがついた。でも雑談って、感情のキャッチボールだと思う。嬉しい、悔しい、腹が立った…そういう感情をさらけ出すことで、相手との距離が縮まる。事実だけでは、距離は縮まらない。

無意識のうちに営業モード

たとえば食事の席でも、つい「今日はお忙しい中ありがとうございます」と口にしてしまう。完全に営業モード。相手に合わせようとするあまり、自分を抑えすぎる。だから本音も出ないし、会話が浅くなる。「もっと素でいていいんですよ」と言われても、どこかで“仕事と一緒”にしてしまっている。真面目すぎる性格が、雑談に向いていないのかもしれない。

野球部時代の会話はもっと単純だった

高校時代、野球部の仲間と話す内容は本当にシンプルだった。「昨日のあのプレーすげぇ」とか「今日の弁当ハズレだった」とか。内容より、笑えるかどうかが大事だった。異性の友達とも、変に意識せずに自然と話せていた気がする。大人になってからは、いつからか「この話は面白いか」「ちゃんと伝わるか」といちいち気にするようになった。その気にしすぎが、今の“雑談下手”の原因なのかもしれない。

とにかく笑って汗かいて叫んでいればよかった

あの頃は、気持ちを言葉で説明しなくても、グラウンドで一緒に汗を流すだけで通じ合えた。共通の目的と、同じ時間を過ごすことで自然と会話が生まれた。今は、そういう“共通体験”がないまま会話を始めることが多く、つながりを感じにくい。だから無理に話題を探すことになるし、それがまたプレッシャーになる。雑談って、無理にするもんじゃないんだなと、最近しみじみ思う。

雑談に「正解」を求めてしまう癖

会話に正解なんてないのに、「これを言えば盛り上がる」とか「これは言わないほうがいい」とか、頭の中でジャッジしながら話している自分がいる。そんなふうに考えていると、当然話はぎこちなくなる。相手も気を使うし、場がしらける。もっと自然体でいられたら、もっと楽しく話せるのに。そう思いつつも、なかなか抜け出せない。この“正解探し癖”は、司法書士という職業病なのかもしれない。

相手に好かれようとして逆に無口になる

「嫌われたくない」「つまらないと思われたくない」という気持ちが先に立つと、何も言えなくなる。結果として、会話が続かず、余計に気まずくなる。これは完全に悪循環。もっと話せばよかったと後悔するのに、次の場面でもまた同じ失敗を繰り返す。自分でも「何やってんだ」と情けなくなるが、改善には時間がかかる。

何を言ってもつまらない気がしてしまう

「この話、誰も興味ないよな」とか「自分の話なんて面白くない」と思ってしまうと、話す前から諦めてしまう。それで結局、相槌だけ打って終わる。でも、他人の話が全部面白いわけじゃない。それでも「一緒に過ごす時間」そのものが大事なんだと、最近になってようやくわかってきた。面白いかどうかじゃなくて、相手とどう関われるかなんだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。