なんでもないことで落ち込む日がやたら増えた話

なんでもないことで落ち込む日がやたら増えた話

気づけば落ち込んでいる自分に気づく瞬間

最近、やたらと「なんでこんなことで…」と落ち込むことが増えた。別に何か大きなトラブルがあったわけでもなく、事務員が辞めたとか、登記が却下されたわけでもない。朝起きて、洗顔タオルが湿っていた。それだけでテンションが下がる。歳のせいなのか、気力の減退か、わからない。でも、気づいたら落ち込んでいて、そこから立ち直るのに妙に時間がかかる。昔はもっと切り替えが早かったはずだ。今は「切り替えよう」と思えば思うほど、余計に深く沈んでいく気さえする。

朝のコーヒーがぬるかっただけで一日が台無しに感じる

ある朝、いつものようにインスタントコーヒーを淹れたんだけど、なぜかお湯がぬるくて、コーヒーもぬるかった。たったそれだけのことなのに、「今日もうまくいかないな」って思ってしまった。そこから、机に向かっても気が乗らないし、依頼者の電話にも元気が出ない。たかがコーヒーじゃないか、と自分に言い聞かせても、そのぬるさが一日中、心の中に残ってる。もしかしたら、コーヒーの温度に気分が左右されるぐらい、余裕がなくなってるのかもしれない。

本当は疲れてるだけなのかもしれない

身体がだるいわけでもないのに、気持ちだけが沈むのは、きっと見えない疲れが溜まってるんだろう。忙しさにかまけて、休んだ気になっているだけで、心は休まっていない。気力って目に見えないぶん、知らないうちにすり減ってる。休みの日にスーパーのチラシを見るのが精一杯で、「やりたいこと」が何も浮かばないことが増えた。疲れというのは、肉体よりも精神のほうが扱いが難しい。

自分を責める癖が止まらない

そして厄介なのが、「こんなことで落ち込む自分ってダメだな」と思って、また落ち込むというループ。昔から完璧主義的なところがあって、失敗を人に見せたくない性格だ。元野球部のクセに根性も粘りも続かない自分に苛立ちを感じる。でもそれって、誰かと比べて自分を責めてるだけなんだよな。責めたところでコーヒーは熱くならないし、気持ちが晴れるわけでもない。

他人の一言が妙に刺さる日もある

たまたま耳にした何気ない言葉に、必要以上に反応してしまう日がある。「また太った?」とか「元気そうですね〜」とか、ほんの軽口のつもりなんだろう。でも、こちらの心が薄くなってる時には、その一言が心臓をピンポイントで突いてくるような痛さになる。そんな日は、自分から人に近づくのが怖くなる。

悪気がないのは分かってるのに勝手に傷つく

先日、依頼者との打ち合わせ後、帰り際に「司法書士さんって、思ったより地味なんですね」って言われた。悪意はまったくない、むしろ親しみのつもりだったのだろう。でもその瞬間、なぜか胸にズシンときた。「思ったより」ってなんだ。「派手」に見られたいと思ってるわけでもないのに、存在そのものを否定されたような気になってしまった。こういう時、心の防御力が下がってるのを実感する。

受け止める余裕がないときの心の守り方

本来なら、そういう言葉はスルーすればいい。笑って「そうなんですよ〜」って流せばいい。でも余裕がないと、心にバリアを張れない。最近は「受け流す力」ってのがいかに大切か思い知らされる。そこで最近試しているのが、いったん「今日だけは感情を麻痺させよう」と決めること。完全にシャットアウトするんじゃなくて、クールダウンの時間を持つイメージ。傷ついたまま無理に元気になろうとしないことで、少しずつ立て直せる気がしている。

気にしすぎてしまう自分との付き合い方

昔から「気が利く」とか「細かいところに気づく」とか言われてきたけど、それって裏を返せば「気にしすぎる性格」でもある。気にすることで損をすることもあるし、逆に救われることもある。でも最近は、気にしすぎることで自分が疲弊している場面のほうが多い。気にしいな自分を否定せず、かといって振り回されすぎない距離感を持ちたい。まるで付き合いの長い友達みたいに、「また気にしちゃってるね」って軽く声をかけられるような自分になれたら、少し楽になれるのかもしれない。

仕事は順調なはずなのに気持ちが沈む理由

仕事はありがたいことに、それなりに順調だ。トラブルもないし、依頼も定期的に入ってくる。でも心は晴れない。むしろ「順調なのに晴れない」ということに罪悪感さえ抱く。「これで満足してないのか」「贅沢な悩みだな」と自分を責めてしまう。でも、仕事の成否と心の元気って、必ずしも一致しないということをようやく認めるようになった。

成果が出ても満たされない司法書士のリアル

ある程度キャリアを積むと、登記も相続もルーチン化する。新しい刺激や挑戦が少ない。達成感というより、淡々とした作業感。もちろん責任は重いし、気は抜けない。でも「誰の役に立ったか」「何が変わったか」が見えにくい日々が続くと、心のエネルギーが枯れていく。やりがいが減ったというより、手応えが薄くなってしまう。これは司法書士という職業の静かな孤独なのかもしれない。

誰にも褒められないという孤独

独立してからというもの、誰かに褒められることが極端に減った。事務員は一人で、あまりお世辞とか言うタイプではない。依頼者も「ありがとう」とは言ってくれるが、それは形式的な礼儀のようなもの。「自分はよく頑張ってるよ」と思いたいけど、それを自分で言うのもむなしい。気づけば、褒められたいという承認欲求が満たされずに燻っている。これは小さな火種のように、じわじわと心を蝕む。

自営業は自分に優しくするのが一番難しい

会社員なら上司や同僚から労いの言葉をもらえるかもしれない。でも個人事業主にはそれがない。だからこそ、自分で自分をいたわる力が必要なのに、それが一番難しい。忙しさや責任にかまけて、自分のことはいつも後回しになる。もっと自分をねぎらう時間を持つべきだとわかっていても、習慣にはなっていない。「今日はよくやった」と自分に声をかけるだけでも、少しは違うのかもしれない。

元気そうに見える人ほど落ち込みやすい矛盾

「いつも元気そうですね」と言われるたびに、「そんなことないけどな」と思う。無理に笑ってるわけじゃないけど、元気なふりがクセになってるのかもしれない。司法書士としての顔と、自分の素の心とのギャップが日に日に広がっていくのを感じる。

しっかりしてそうと言われるほどつらい

「しっかりしてる」「落ち着いてる」「頼りがいがある」。そう言われると、期待に応えなきゃと思ってしまう。でもその裏で、誰にも頼れず、自分を締めつけていることも多い。人に弱みを見せないようにしてきたツケが、今になって心を圧迫してるのかもしれない。しっかりして見える人ほど、実はギリギリで踏ん張っていることを誰かがわかってくれるだけで、救われる気がする。

ネガティブを隠すことが逆効果になる瞬間

気分が沈んでいる時ほど、「元気そうに見せなきゃ」と思ってしまう。でも、無理にポジティブを装うと、あとから反動が来る。それが疲れとなり、落ち込みの原因にもなる。最近は、無理に前向きな言葉を使わないようにしている。「今日はあまり調子よくない」と正直に言える相手がいること、それだけで心が軽くなる。ネガティブを否定せず、認めることでようやく前に進める気がする。

元野球部でもメンタルは折れることがある

「元野球部です」って言うと、なぜか「根性ありそう」とか「メンタル強そう」と思われる。でも現実はそんなに強くない。高校のときはベンチだったし、試合に出るたびに緊張で吐きそうになってた。むしろプレッシャーに弱いタイプだ。社会人になっても、責任が重くなるほどその傾向は強くなる。だからこそ今は、強がらずに「折れるときは折れる」と認めるようにしている。そこから回復する力のほうが、大人には必要なんじゃないかと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓