パソコンの前で固まる毎日とその向き合い方

パソコンの前で固まる毎日とその向き合い方

気づけば固まっている時間が増えてきた

パソコンの前に座り、気がつけば数十分。マウスは動かず、画面の文字列だけが目の前に流れている。そんな状態が最近やけに増えてきた。かつては朝から晩まで手を動かし続けていたはずなのに、今は「あれ?何しようとしてたんだっけ」と思う時間が増えた。疲れてるのか、それとも歳なのか。理由をつけたところで、現実の時間は戻らない。

やることは山ほどあるのに手が止まる瞬間

依頼された登記、裁判所からの照会、返さなきゃいけないメール。目の前には明らかに「すぐやらなきゃいけない」ものばかり並んでいるのに、なぜか体が動かない。まるで冬の朝、布団の中で出られずにいるときのような、あの重たさ。仕事用のToDoリストを開いても、その文字列すらノイズに見える瞬間がある。

「今じゃない」と思い続けて気づけば夕方

「今やらなくても、昼過ぎにやればいいか」そう思っていたら、次は「夕方までにやればいいか」となり、結局その日は何も終わっていない。事務員さんが帰った後、ひとりで机に向かって、「あー今日もまたやらなかった」とため息をつく。動かなかったことへの自己嫌悪が、さらに動きを鈍くするという悪循環だ。

業務過多と脳内処理の限界

一人で抱える仕事量に、脳がついてこない。まるでCPUが熱暴走してフリーズしてしまうように、思考の回転が止まってしまう。案件の内容は複雑で、責任は重く、それでも処理しなければならないというプレッシャーはのしかかる。自分で自分を追い込んでしまう構造に気づいても、逃げ場がない。

思考の渋滞が手の動きを止める

「この案件を先にやるべきか、それともこっちを先に片付けるべきか」。選択肢が多すぎて、どれから手をつけていいか分からない。そんな状態に陥ったとき、結局、どれにも手をつけずにじっと座ってしまう。何かしている風に見せたくて、Excelファイルを開いたまま画面を見つめ続ける時間がどんどん増えていく。

タスク管理アプリも無力になるとき

タスク管理アプリやポストイット、スケジュール帳。いろんな工夫をしてみたが、結局それらを「見る気になれない」ときがある。せっかく整理したはずの予定表も、開くだけで憂鬱になる。便利な道具に頼ろうとしても、最後に操作するのは自分の手だという現実に突き当たる。

優先順位がつけられないという地獄

全てが大事に見える時こそ、人は優先順位をつけられなくなる。「全部すぐに対応すべき」だと自分を追い込むと、結局どれも手をつけられずに止まってしまう。しかもそれが一日で終わる話ではなく、毎日続く。たとえ昨日片付けたとしても、今日また新しい案件が山のようにやってくる。

誰もいない事務所で自分に問いかける

午後の三時を過ぎると、事務所内の音はほとんど消える。電話もならず、郵便もこない。その静寂の中で、自分に問いかける。「おまえ、このままでいいのか」と。忙しいけれど充実しているとは言えず、動けない時間が多いことに罪悪感すら覚えてしまう。誰も責めてこないのに、勝手に自分を責めてしまう。

「このまま固まっててどうするんだ」と思いながらも動けない

自分でも分かっている。「今、少しでも進めばあとが楽になる」「ちょっとだけ頑張ろう」。そう何度も心の中で唱えている。それでも、なぜか指がキーボードに向かわない。動けない理由があるわけじゃない。むしろ「理由がないこと」がまた自分を苦しめる。精神的なスタミナ切れ、なのかもしれない。

相談相手がいないことの孤独さ

独立して司法書士をやっていると、基本的にひとり。気軽に愚痴を言える相手がいない。職員には弱音を見せづらく、同業者にも「忙しいんですよ〜」としか言えない。誰にも見られていない空間の中で、ただ黙って過ごす数時間。それが「自由」ではなく「孤独」に感じる日もある。

過去の自分との比較が心を重くする

若い頃、開業したばかりの頃、あの頃の自分はもっとエネルギッシュだった。毎日が勝負で、終電まで働いても苦じゃなかった。でも今は違う。朝からの案件一つで消耗してしまい、午後は気力が続かない。そんな自分に「昔はもっとできたのに」と、つい比べてしまう。

若い頃はもっと動けていたのに

野球部時代、炎天下の中で走り続けていた頃。開業したての30代、無茶なスケジュールも乗り越えていた。今の自分が情けなく感じるのは、その頃のイメージが強く残っているからだ。「老い」という言葉を口にするには早いかもしれないが、明らかに昔とは違う。認めたくないが、身体も心も変わっている。

焦りと諦めの狭間で揺れる気持ち

このままではいけない。でも、どうすればいいのか分からない。やらなきゃいけないことは山積みだが、気持ちがついてこない。焦って無理に動こうとしても、翌日さらに疲れるだけ。結局、「もうちょっと待とう」と先延ばししてしまう自分。諦めたくないが、希望も見えづらい。

ちょっとしたことで動き出せることもある

動けない時間は確かにある。でも、ある日突然、ふと動き出せる瞬間もある。それは大きな理由じゃなくて、ほんの些細なきっかけだったりする。たとえば外の天気、誰かの一言、思い出したように鳴った電話。そうした小さなことが、思考のスイッチを切り替えてくれる。

コーヒー一杯が突破口になる日

自分で入れた熱いコーヒー一杯。それだけで頭がクリアになることがある。湯気を眺めながら「よし、一つだけやろう」と思えるようになる。仕事机から一度立ち上がって、リセットすること。それが、意外と効く。コーヒーというより、環境を変えることが大事なのかもしれない。

「まずは画面を閉じる」というリセット術

どうしても動けないときは、いっそ画面を閉じてしまう。目を休め、手を休める。そして「何も考えない時間」を意識的に取ることで、徐々に思考が整ってくる。焦って机にしがみつくよりも、少し距離をとった方が前に進めることもある。勇気を出して「今は休もう」と決めるのも、必要な選択だ。

BGMの選曲で気分が変わる不思議

静かな部屋に音を足すだけで、なぜか気分が切り替わることがある。昔よく聞いた曲、落ち着いたクラシック、あるいは雨音の環境音。音の波に身をゆだねると、不思議と手が動き出す。小さなBGMが、孤独な事務所に温度を与えてくれる気がする。

それでもまたパソコンの前で動けなくなる

いくら工夫しても、また同じようにパソコンの前で止まってしまう日はやってくる。完全に克服できるものではなく、波のようにやってくる。無理に消そうとせず、「そういう日もある」と受け入れることが、むしろ前進への第一歩なのかもしれない。

繰り返す無力感との向き合い方

同じ悩みが何度も繰り返されると、自分は成長していないのではないかと不安になる。でも、人間そんなにすぐに変われるわけじゃない。大切なのは、自分のペースを把握して、その中でできることをすること。無力感に飲まれるのではなく、付き合っていく感覚でいきたい。

そんな自分を責めないでいられるか

頑張れない自分、動けない自分、やる気の出ない自分。そんな自分をどうしても責めたくなる。でも、その責めの気持ちが次の「動けなさ」を生むと気づいたとき、自分への視線を少しだけ緩められるようになった。司法書士という職業は真面目な人が多い。だからこそ、「自分に優しくする」という視点も、たまには必要だと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。