夕焼けが沁みるのは、誰にも必要とされていない気がするから
夕焼けを見るたびに、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。あの朱色の空は、なぜこんなにも寂しさを引き出すのか。依頼はあるし、仕事もある。でも、どこか心が空っぽで、満たされない。この感情に名前をつけるなら、それは「虚無」かもしれない。誰かに頼られることと、誰かに一緒にいてほしいと思われることは、まったく違う。事務所で一人、沈みゆく太陽を見つめながら、その違いを噛みしめている。
仕事はある。けれど、誰かと喜びを分かち合えない
今日も登記が一件無事に終わった。依頼者は「助かりました、ありがとうございました」と頭を下げてくれた。でも、その感謝の言葉を受け取るたびに、どこか冷めている自分がいる。報酬はもらうし、感謝もされる。でも、誰かと「よかったね」と笑い合えるような時間は、もう長いこと味わっていない。事務所を出ても、家には誰もいない。連絡をくれる人もいない。ただ、淡々と、日が暮れていくだけだ。
「先生、お願いします」と言われる日常のむなしさ
肩書きのおかげで、人から「先生」と呼ばれる。頼りにされていることは確かだろう。でも、それは僕自身ではなく、「司法書士」という立場に対する信頼だ。僕個人のことなんて、誰も興味がない。書類を通して人と関わり、印鑑と書名でしかつながらない世界。そんな日常の中で、ふとした瞬間に「俺は誰かの人生に本当に関われているのか?」と考えてしまう。むなしいけれど、答えは出ない。
ありがとうが響かない、空っぽの事務所
感謝の言葉をもらっても、それが心に残らないのはなぜだろう。多分、それは僕自身が誰かに「ありがとう」と言いたい存在を失っているからだと思う。独身で、恋人もいない。両親は遠方に住んでいて、兄弟とも疎遠だ。事務所で一緒に働く事務員も、定時になると「お先に失礼します」と言って帰っていく。残された僕は、一人で静かすぎる空間に取り残される。それが日常だ。
夕焼けは毎日見える。でも誰とも共有できない
この地方都市の夕焼けは、本当に美しい。山の向こうに沈む太陽が空を赤く染め、事務所の窓からはそのグラデーションがよく見える。でも、それを誰かと一緒に眺めたことは、もうずいぶん昔の話だ。一緒に感動できる人がいないというのは、思っていたよりも寂しいものだ。写真に撮ってSNSに上げる気力もない。ただ、ぼんやりとその色に染まっていくだけの毎日だ。
事務員は先に帰った。俺はただ窓の外を見ていた
18時過ぎ、「お疲れ様です」と言って事務員が帰る。僕は「おう、おつかれ」と返すだけ。それきり事務所は静まり返る。外からはカラスの鳴き声と、近くの車道を走る車の音。コーヒーを淹れようかと思ったけれど、立ち上がるのも億劫で、ただ椅子に沈み込んだ。窓の外は真っ赤に染まっていた。誰にも見せたくないような、美しさだった。
一人きりで美しいものを見るのは、少しだけつらい
美しい景色というのは、誰かと見るから心に残るのかもしれない。感動を分かち合う相手がいないと、ただの「景色」にしかならない。昔付き合っていた彼女と一緒に見た花火をふと思い出す。もう10年以上前のことだ。あの頃は、景色よりも隣にいる人の顔ばかり見ていた。今は、その顔も曖昧で思い出せない。ただ、こんなに綺麗な夕焼けを見ているのに、心の奥底が冷えていく感覚だけが残る。
司法書士という肩書きの裏にある、誰にも言えない孤独
「先生って呼ばれていいですね」と言われたことがある。正直、その言葉に返事ができなかった。僕自身は、この肩書きに誇りを持っているかと聞かれれば、即答できない。社会的には「ちゃんとしている人」に見られているかもしれないけど、その内側は、孤独で、揺れている。誰にも見せない顔が、事務所の壁にだけ反射している。
「立派な仕事ですね」と言われるけど、そんな自覚はない
親戚や昔の友人に会うと、「司法書士なんてすごいね」とよく言われる。きっと、一般的なイメージでは「堅実」「安定」「知的」みたいな言葉が並ぶのだろう。でも、現実は違う。書類に追われ、人に気を使い、孤独な闘いを続けている。自営業ゆえの不安定さ、誰も助けてくれない重圧、それを「すごいね」の一言で片付けられるのは、正直つらい。
依頼者との距離感がつらい日もある
依頼者とは、ある程度の距離を取らなければならない。個人的に関わりすぎると、冷静な判断ができなくなるからだ。でもその分、関係はどこかで「事務的」になる。時には、事務的すぎて心がついてこないこともある。泣いている依頼者に言葉がかけられず、書類の手続きだけを粛々と進める。そんな自分が、機械のように思える夜がある。
世間のイメージと、自分の中の乖離
「司法書士ってきっとしっかりしてるんでしょうね」「安定してていいね」そんな言葉をもらうたび、胸が痛くなる。外側から見える自分と、内側で悩み続ける自分。どちらが本当なのかわからなくなる。恋愛もうまくいかないし、誰かに甘えるのも苦手だ。そんな不器用な自分を、どうやって肯定すればいいのか、今もまだ答えは見つからない。
事務所に泊まり込む夜、誰かの温度がほしくなる
繁忙期には、終電を逃して事務所に泊まることもある。ソファで横になりながら、ふと「このまま死んでも誰も気づかないかもしれない」と思うことがある。スマホの通知は鳴らない。LINEもメールも来ない。そんな夜は、誰かの温もりがほしくてたまらなくなる。
書類に囲まれたまま迎える朝
書類の山の隙間に体を滑り込ませて寝て、朝を迎える。シャッターの隙間から朝日が差し込む。昨夜のコーヒーの残り香と、少し湿った空気。それを吸い込みながら、「今日も一人だな」と思う。どれだけ働いても、空白のままの心を埋められない感覚は変わらない。
コンビニ弁当と冷たい蛍光灯の下で
朝食はコンビニのパン、昼もコンビニ弁当、夜もまた同じ。事務所の蛍光灯が冷たく白く照らしていて、心まで照らされてしまいそうになる。そんなとき、「なんのために頑張っているんだろう」とふと考える。でもその問いに答えるのは、また別の夕焼けが教えてくれるのかもしれない。