休みの日に何をしていいか分からない男の独り言

休みの日に何をしていいか分からない男の独り言

休みの日が逆につらいという矛盾

世の中の多くの人が「休みが欲しい」と言っているのに、いざ休みが手に入ると、なぜか心が重たくなる。私は司法書士として日々忙しく働いているが、ぽっかり空いた休日になると、手持ち無沙汰というか、不安というか、どこにも身を置けない感覚に襲われる。休めるはずなのに、気持ちはどこか落ち着かない。そんな自分を持て余しながら、今日もまた、何もせずに一日が終わっていく。

予定がないと不安になるのはなぜか

スケジュール帳が白紙の日曜日。多くの人が喜ぶようなことが、私には少し恐怖だったりする。何か予定があれば、「そのために準備しよう」「そこに行こう」という目的が生まれるが、予定がゼロだと、何を指針に動けばいいのか分からなくなる。誰かと会う予定もなく、電話も鳴らないとなると、まるで自分の存在が社会から切り離されたような孤独感に襲われる。

仕事に依存している自分がいる

私はいつからか、仕事をしていないと不安になる体質になっていた。登記の準備、顧客対応、役所とのやりとり。どれも面倒ではあるが、それが私の存在証明のようなものになっている。仕事があるから、私は「誰かの役に立っている」と実感できる。休日にそれが一切なくなると、「私、何のために生きてるんだっけ?」という思考に迷い込んでしまう。

忙しい日々が心の逃げ場になっていた

本来、仕事は休むべきものなのに、私にとっては逃げ場になっていた。仕事中は「考えるべきこと」が次々と目の前に現れるから、自分のことを考えずに済む。しかし、休みの日にはその“思考の盾”がなくなり、自分の寂しさや孤独と向き合うことになる。それがつらくて、また仕事に逃げてしまう。まるで堂々巡りだ。

昔は休みが楽しみだったはずなのに

思い返してみると、学生時代の休みは楽しみで仕方なかった。野球部の練習が休みの日は、友達とゲームをしたり、自転車でどこまでも走ったり。目的もなく過ごしていたけれど、それでも毎日が輝いていた。今の自分と何が違うのか、それを考えるたびに、少しだけ切なくなる。

学生時代と今の違い

当時は「やることがない」ことが、むしろ自由の証だった気がする。誰かと一緒にいて、くだらない話をして、それだけで楽しかった。今は、一人でいると「この時間、意味あるのか?」と自問してしまう。効率、意義、価値…。大人になると、何かを“消費する理由”がないと動けなくなってしまうらしい。

野球部だった頃のあの充実感

私は野球部で、日焼けして汗だくで、毎日ヘトヘトになるまで走っていた。グラウンドで声を張り上げて、仲間と笑って怒って、そんな日々が何よりも充実していた。あの頃は、何かしていなくても、「自分にはチームがある」という安心感があった。今の私は、その“場所”を失ってしまったのかもしれない。

何も考えずボールを追いかけていた日々

今でも、ふとキャッチボールをしたくなる時がある。ただボールを投げ合うだけの行為に、なぜか安心を覚える。それは、頭を空っぽにして夢中になれる行為だからだろう。司法書士の仕事では、頭をフル回転させているから、そういう無心の時間が恋しいのかもしれない。

仕事人間になってしまった結果

長年この仕事をしていると、いつの間にか「何をするにも仕事が基準」になってしまう。休みの日でも、気づけばメールをチェックしていたり、業務の進行を考えていたり…。意識していなくても、脳が常に“仕事モード”から離れられない。だから休みが「休み」にならない。

頭の中がタスクで埋まっている

朝起きて、「あ、今日は休みだ」と気づいた瞬間、ホッとする…はずなのに、「じゃあ今のうちにあれ片付けておこうかな」となる自分がいる。それはもう習慣というより“癖”に近い。どこかで「何もしていない=悪いこと」という意識がこびりついているのだろう。

やるべきことがないと落ち着かない

やることがない休日ほど、落ち着かない。逆説的だけど、次々とタスクがある平日の方が心は安定していたりする。忙しいのに、それを「自分らしさ」だと勘違いしてしまう。だからこそ、予定が白紙だと、自分を見失うような気持ちになるのだ。

休むことに罪悪感すら覚える

ソファに座ってテレビを見ていても、「こんなことしてていいのか?」と頭の片隅で声がする。それは誰に責められているわけでもなく、自分自身の中の“働けモンスター”の声だ。たぶんこのモンスター、司法書士という仕事と一緒に育ってしまった。

誰かの言葉に救われる日もある

結局のところ、休みの日に「何もできなかった」と落ち込むのも、自分一人で抱え込んでしまうからなのかもしれない。誰かと少し話すだけで、気持ちが軽くなることもある。だから私はこうして文章にして吐き出している。もしかしたら、この独り言が誰かに届いて、ふっと力が抜ける瞬間があれば、それだけで救われる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。