断れない自分をやめたいと思った日

断れない自分をやめたいと思った日

いい人を演じ続けて疲れていく日々

「先生って本当にいい人ですね」——この言葉を何度聞いたかわからない。でも、そのたびに胸のどこかがモヤモヤする。自分でも“いい人”を演じていることには気づいている。気づいているけど、それをやめる勇気が出ない。相手を傷つけたくない、自分が悪く思われたくない、そんな気持ちが先に立って、つい「はい」と返してしまう。頼まれたら断れない。休日でも電話が鳴れば出るし、報酬が発生しない相談にも、できるだけ丁寧に応じてしまう。気づけば、誰のための人生かわからなくなっていた。

断れない性格が生まれた背景とは

断れない性格というのは、突然身につくものではないと思う。自分の場合、小さいころから「空気を読む子」として育てられてきた。親にも先生にも、「人に迷惑をかけるな」と教えられてきた。その教え自体は悪くない。けれど、いつの間にかそれは「人にお願いされる=応じるべきこと」とすり替わっていた気がする。大人になってもその癖は抜けず、今も「いい人」モードのまま仕事をしている。誰かが困っていたら手を差し伸べる。でも、その手が自分をすり減らしていくことに気づくまで、時間がかかった。

元野球部の上下関係が染みついている

高校まで野球部だったことも、この性格に拍車をかけている気がする。野球部といえば上下関係が厳しい世界。先輩には絶対服従、監督の指示には逆らえない。いわば「従順であること」が求められる環境で育った。その名残がいまだに抜けず、今でも年上や依頼者に対しては、断るという選択肢が頭から抜け落ちてしまう。「はい」と返事をすることが正義だった10代の名残が、40代の自分を苦しめているのだと思う。

地方の人付き合いは無視できない圧がある

地方で司法書士をやっていると、人付き合いの圧が半端じゃない。都会のようにドライな距離感ではなく、「顔が見える関係」が日常に根付いている。たとえば「○○さんの紹介だから断れない」とか、「あの人にお願いされたら断るとあとが怖い」とか、そんな人間関係のしがらみが、断る自由を奪っていく。自分が断ったことで、回りまわって誰かに迷惑がかかる——そんな思考回路が植えつけられていて、それがまた疲れる。逃げ場のない優しさという名の足かせだ。

いい顔をしていても仕事は減らない

「いい顔をしていたら、きっと相手もわかってくれる」——そんな期待は、何度も裏切られてきた。結局のところ、人は自分の都合で動く。こちらが無理して応じても、相手がそれに気づくことは少ない。むしろ「この人は何でもやってくれる人」と思われ、どんどん要求がエスカレートすることさえある。自分の経験で言えば、報酬の話が曖昧なまま依頼され、結局無償で対応したことも何度もある。それでも「ありがとう」と言われれば満足だった。でも、疲れは確実に溜まっていく。

優しさが呼ぶ無償の追加業務

たとえば登記手続きの相談で来られた方に、「ついでにこの書類も見ていただけませんか?」と頼まれる場面。普通なら「別料金です」と言えばいいのだろうが、そう言うのが苦手な自分は、つい「まあいいですよ」と引き受けてしまう。こうした“ついで”が1日に3件も4件もあると、それだけで1時間以上のロスになる。しかも、そういう人に限って「無料でここまでしてくれるんですね」と当然のような顔をする。それがさらに疲弊を招く。

相手は感謝してるつもりでもこっちは疲弊

依頼者の方に悪気があるわけではない。「いい人」として応じている自分に問題があるのはわかっている。でも、相手は感謝してる“つもり”であって、こちらの疲労や時間を思いやってくれるわけではない。そこにすれ違いが生まれ、自分ばかりが損をしている気がしてしまう。「ありがとう」があれば疲れが吹き飛ぶ、なんてのは若い頃の話。今はその一言ではどうにもならない疲労感の中にいる。

事務員にも気を遣いすぎてしまう

事務員さんにもつい気を遣ってしまう。年下だけど、女性だし、あまり無理をさせたくない。でも、その優しさが自分の首を絞めていることも多い。たとえば残業になるような場面でも「もう帰っていいよ」と言ってしまう。その結果、残った仕事を全部自分で処理することになる。優しいだけでは回らない、それが現実だと、最近ようやく痛感してきた。

優しさと気遣いが裏目に出る瞬間

「やってあげよう」「無理させたくない」——そういう気持ちは決して間違っていないはずなのに、それが結果として自分を孤立させる。仕事の分担が不公平になると、かえって不満も出てくる。でも、それを口にすると「じゃあ最初から頼めばよかった」と自己嫌悪に陥る。優しさって、時に自分を追い込む刃になる。相手のためと思っての行動が、結局誰のためにもなっていない。そんなジレンマに、日々押し潰されそうになる。

お願いもできず自分で抱え込む

「ちょっとこれお願いできる?」と頼む一言が言えない。自分でやったほうが早いし、気を遣わなくて済む。そう思ってすべてを抱え込む。でも、それは限界を超えた働き方に直結する。事務所の中では自分しか登記内容の判断ができないというプレッシャーもあり、ちょっとした入力ミスも「全部自分の責任」と背負い込んでしまう。協力する体制を作るべきなのに、優しさが邪魔してそれができない自分がいる。

気を使いすぎて雑務ばかりが積み上がる

本来なら事務員さんにお願いしていいような雑務も、つい自分でやってしまう。封筒の宛名書き、書類のスキャン、電話の折り返しまで全部。そうなると本業に集中する時間がどんどん削られていく。まるで自分が“便利屋”になったような気分になるときもある。これもすべて、気を使いすぎて何も頼めない自分のせいだ。でも「任せたら迷惑じゃないか」と思ってしまうあたり、やはり自分は“いい人すぎる”のかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。