見積もりに時間がかかるのは自分だけじゃないと信じたい
司法書士の仕事といえば、登記や書類作成を想像する人が多いかもしれない。でも実際のところ、「見積もり書をどう出すか」に頭を悩ませている時間の方が長かったりする。ひとつの見積もりに何十分も費やしてしまい、他の業務に手がつかない日もある。そんなとき、ふと「これって俺だけなのか…?」と不安になる。誰にも相談できず、孤独に見積もりと向き合うこの感覚。あの頃の野球部で、打順が回ってくるのをベンチで黙って待っていたあの重たい時間に少し似ている。
一件の見積もりに一時間かけてしまう焦燥
一見シンプルに見える「登記費用〇〇円」という見積もり書。でもその金額の裏には、依頼者の背景や案件の複雑さ、実際にかかる労力、自分の事務所の体力など、様々な要素が絡んでいる。頭の中で何度もシミュレーションを繰り返すうちに、時間があっという間に過ぎてしまう。気づけば一件の見積もりに一時間。まるで作文の宿題に「書き出し」だけで何時間も悩んでいた小学生の頃みたいに、筆が進まない。情けないやら、腹立たしいやら。
金額を下げすぎた過去の後悔が頭をよぎる
一度「ちょっと安くしすぎたな」と感じた案件があると、それが何度も頭をよぎるようになる。あのとき、値引きしたばかりに後の業務が赤字になった。おまけに、その依頼者が次も当然のように値引きを要求してくる。自分がまいた種とはいえ、「もう少し強く出ればよかった…」という後悔は、見積もりのたびにじわじわと胸を締めつける。それがまた慎重さを生み、時間をさらに食っていくという悪循環に陥っている。
事務員には聞けない小さなプライドと孤独
一人事務所とはいえ、事務員さんが一人いてくれるのは本当にありがたい。でも、見積もりの相談だけはなぜかできない。こっちの不安や迷いを見せると、「あの先生、大丈夫かな」と思われそうで…。結局、自分の中でぐるぐる悩み続けることになる。昔の先輩司法書士たちはこういうとき、誰に相談してたんだろう。今となっては聞ける人もおらず、画面の前で肩を落とす日が続く。
この金額でいいのかという迷いが止まらない
いざ金額を打ち込もうとすると、手が止まる。「高すぎると思われないか」「安すぎて足元を見られないか」…そんな不安が頭をかすめる。特に初めての顧客や紹介案件は慎重になりすぎてしまう。金額が全てじゃないとわかっていても、印象には大きく影響する。結局、自信のなさが見積もりにもにじみ出てしまい、ますます自己嫌悪に陥る。
依頼者の表情を思い出して手が止まる
見積もりを作るとき、自然とあの依頼者の顔が浮かんでくる。「この人、ちょっとでも高いと渋い顔しそうだな」とか、「誠実にやってるのはわかってくれるかな」とか。相手の反応を想像してしまうから、冷静な判断ができなくなる。野球で言えば、バッターボックスで相手投手の目線ばかり気にして、自分のスイングができなくなるようなものだ。
適正価格ってどこで判断すればいいのか
「適正価格」と簡単に言うけど、それが一番難しい。地域性もあるし、案件の微妙なニュアンスでも手間が大きく変わる。ネットで調べても答えは出ない。先輩に聞けるわけでもない。結局、自分の「これくらいかな…」という直感に頼るしかない。でも、その直感が信じられないからまた悩む。こうしてまた、画面の前で時間だけが過ぎていく。
見積もりにかける時間が業務を圧迫する現実
登記申請や書類作成は、やれば終わる仕事だ。でも見積もりは、始めても終わらない仕事だと感じる。時間をかけたからといって良いものができるとは限らない。むしろ、そのぶん他の仕事が遅れ、全体の流れが滞ってしまう。夕方になってから「あれもやってない、これもやってない」と焦り始めるのは、たいてい見積もりに時間をかけすぎた日だったりする。
書類作成よりも見積もりで一日潰れる恐怖
「今日はこの登記を終わらせよう」と朝は思っていたのに、依頼のメールが1通届いた瞬間、見積もりモードに突入。そこから資料確認、過去の案件の照合、念のための法務局チェック…気づけば昼過ぎ。そして午後にようやく金額を打ち込む頃には、もはや集中力ゼロ。結果的に登記作業は明日回し。こんな日が月に何度もある。自分の時間の使い方に、怒りと情けなさが同時にこみ上げてくる。
電話対応と重なって締め切りが詰む
見積もり作業中に限って、電話もよく鳴る。「ちょっと聞きたいんですが」と話し始める依頼者の声に、表面上は丁寧に応対しつつ、内心では「今じゃない…」と叫んでいる。電話を切ってからまた見積もりに戻ろうとしても、思考は途切れている。再構築にまた時間がかかり、気づけば業務が全部ずれ込む。そして深夜、事務所の明かりが消せないまま、また見積もりが頭をよぎる。
忙しさの原因が意外と見積もりだったりする
最近ようやく気づいた。自分が忙しく感じる最大の理由、それは「見積もりへの迷い」だったと。見積もりが決まれば、仕事はスムーズに進む。でもそこで詰まると、全体の流れが滞る。まるで車のエンジンがかからない朝のように、全てが遅れていく感覚。たかが一枚の紙。でも、それが一日の行方を左右することもあるのだ。
自信を持てない自分を許すにはどうすればいいのか
誰だって最初は手探りだし、何年やっても迷いはある。だけど、それを認めるのは難しい。自信満々の司法書士なんて、実際にはそういないはずだ。たぶん、みんなそれなりに悩みながらも、なんとか前に進んでいる。完璧じゃなくても、誠実に考えて出した金額なら、それでいいと自分に言い聞かせることが、今の自分にできる最善なのかもしれない。
誰かに価格の妥当性を聞けたらどれだけ楽か
「この案件、いくらくらいで出してますか?」そんなふうに気軽に聞ける先輩や同業者がいたら、どれだけ心強いだろう。でも現実はなかなかそうはいかない。地元に同業者はいるけど、競合でもあるし、微妙な距離感がある。だからこそ、一人で悩み続ける。相談できる相手のいない孤独感は、見積もりの不安と相まって、重くのしかかってくる。
先輩も後輩もいない孤独な実務者の悩み
開業して十数年、気づけば周りに頼れる存在がいなくなっていた。先輩は引退し、後輩は別業種へ。相談相手がいないというのは、自由である一方で、不安定でもある。昔は見積もりのたびに先輩に電話していたけれど、今ではそれもできない。だからこそ、悩みながらも自分のやり方を信じるしかないのだろう。けれどそれが難しい。やっぱり誰かに「それでいいよ」と言ってほしいのだ。
元野球部でも空振りばかりの見積もり判断
高校時代、野球部では4番を任されていた。勝負どころの打席では、迷わずバットを振っていた。でも今、見積もりの「打席」では、振れずに見送ってばかりだ。自信がないと振れない。振らなければヒットも出ない。わかっているのに、手が動かない。あの頃の自分に「今のお前、だいぶ迷ってるぞ」と言われそうで、なんだか悔しい気持ちになる。
それでも見積もりは避けて通れない
仕事を受けるには、見積もりが必要だ。逃げようにも逃げられない。だったら、少しでも自分が納得できる形に近づけるしかない。完璧を目指すのではなく、「ここまで考えたから大丈夫」と思えるラインを探る。その積み重ねが、いずれ経験として自信になるのかもしれない。そう思って、今日もまた画面に向かう。悩みながら、でも止まらずに。
自分の時間単価を見直すという発想
最近は「自分の1時間の価値」を意識するようにしている。見積もりにかかる時間、それに対する報酬、そのバランスが崩れていないか。赤字になるような見積もりは、長い目で見れば自分を削ることになる。そう思うようになってから、少しずつ金額の決め方に芯が通るようになった。それでも不安はあるけれど、少しは前に進んでいる気がしている。
安請け合いが自分を苦しめる構造
「まあ、これくらいでいいか」と安易に値引きした結果、自分だけが消耗していく。依頼者は感謝してくれるけど、それで自分が倒れたら本末転倒だ。無理のない価格設定は、誠実な業務を継続するために必要なこと。その意識がないと、いずれ疲弊してしまう。優しさと自己犠牲は違うと、自分に言い聞かせながら、今日も見積もりを打ち込んでいる。
値上げするときの罪悪感との付き合い方
値上げを伝えるのは、今でも苦手だ。「申し訳ないですけど」と前置きをしながら話す自分に、情けなさを感じる。でも、こちらも生活がある。事務所を続けるには、適正な収益が必要だ。その大義名分を、ようやく受け入れられるようになってきた。罪悪感を完全に消すことはできないけれど、それでも一歩ずつ進むしかない。見積もりを書くという行為は、ある意味、自分自身との対話でもあるのだ。