朝の目覚めが重くなる日は突然やってくる
司法書士になって十数年。開業してからもそこそこ経ったが、ある朝ふと、布団から出るのが妙にしんどい日があった。「ああ、なんか今日は向いてないのかもな」と思ったその瞬間、何かがズシンと重くのしかかってきた。理由ははっきりしない。ただ、体が動かない。嫌な予感がしてスマホを見ると、未読LINEが30件。通知を見るだけで、心が折れそうになる。そんな朝が、ときどき唐突にやってくる。
やる気の問題じゃないと気づくまで
最初の頃は「気合が足りない」「気の持ちようだ」と思い込んでいた。根性論が染み付いているのは、元野球部の性分だろう。でも、どうにもならない日もある。身体は元気なはずなのに、精神だけが追いつかない。そういう日が増えてくると、だんだん「これ、もしかして向いてないのかな」と疑問が湧いてくる。なんだかんだで頑張ってきたけど、最近はその“なんだかんだ”すら重荷になっていた。
開業当初は不安しかなかった
今でこそ事務所はあるけれど、開業したばかりの頃は机とパソコンとプリンターだけの殺風景な空間だった。電話も鳴らないし、来客もない。今日は何をすればいいんだろうと考えながら、意味もなく書籍を並べ替えていた日もある。そんな時期を経て今があるのに、ふと「この仕事、向いてないのかも」と思ってしまう自分に驚く。あの頃の不安と、今の疲れはまた別の種類なんだ。
それでもなんとかなると思っていた
開業当初の私は、漠然と「なんとかなるさ」と思っていた。根拠はなかったけど、希望はあった。仕事が増えるにつれて忙しくなり、休みも減っていく。それでも「必要とされている」という実感があったから耐えられたのだろう。だが、気づかぬうちにその“なんとかなる”が“なんとかしなきゃ”というプレッシャーに変わっていた。
現実の“なんとか”は甘くなかった
実際は、なんとかなるどころか、なんともならない日も多い。依頼人に怒られたり、登記が思い通りに進まなかったり、ミスで事務員に謝ったり。自分ひとりで背負い込むには重すぎる場面もある。けれど、誰かに代わってもらえる仕事じゃないし、責任はすべて自分に返ってくる。そういう現実が、少しずつ心を削っていく。
事務所に向かう道のりで頭をよぎる一言
通い慣れた道なのに、最近は歩く速度も遅くなった気がする。電柱の影が長く見える朝は、特に重たい気分になる。スマホに手を伸ばし「体調不良で休みます」と送りたい衝動をぐっと飲み込む。「自分にはこの仕事、向いてないのかも」という言葉が頭をよぎるが、それを否定するエネルギーも残っていない。
なんでこんなに気が重いんだろう
業務量が増えたから?事務員に気を遣いすぎているから?依頼人との距離感がつかめないから?全部が少しずつ積もっているだけかもしれない。朝の通勤中、「これが自分の選んだ道だったよな」とつぶやいてみるが、なぜかむなしい。誰かが「やめたほうがいいんじゃない?」と言ってくれたら、素直に頷いてしまいそうな日もある。
同業者との会話に救われた日
そんなある日、久しぶりに顔を合わせた同業の先生と喫茶店で話す機会があった。「向いてないかもって思ったことある?」と聞いてみたら、「毎日思ってるよ」と返ってきた。思わず笑ってしまった。なんだ、自分だけじゃないんだ。あの時のコーヒーの味は正直覚えてないけど、あの言葉の温かさだけはずっと残っている。
事務員が帰ったあとの沈黙がつらい
夕方、事務員さんが帰ると事務所は一気に静かになる。資料を片付ける音、ファックスの電子音、それだけが響く空間に、時折「このまま一人で大丈夫かな」と不安が忍び寄る。音楽をかけても、静寂の隙間は埋まらない。だからといって、誰かに相談できるわけでもない。
話し相手がいないという現実
独身で、一人暮らし。仕事が終わっても「今日さあ、こんなことがあってさ」なんて話す相手がいない。SNSも苦手だし、友人も遠くなった。事務所が閉まった後は、まるで自分の存在が一時停止してしまったかのように感じる。誰かとつながっていたいのに、つながる術が見つからない。
ひとりごとが増えてきたら要注意
気づけば、机に向かって「さて、これはどうしたもんか」と声に出していた。誰もいないのに。こんな自分、ちょっと怖いなと思いつつ、それが癖になっている。無意識に言葉を発していないと、心の奥に溜まったものが爆発してしまいそうだからかもしれない。もはや業務じゃなく、自分との対話で乗り切っている感覚だ。
「このままでいいのか」と自問自答
ふと時計を見ると、もう夜の9時。なんでこんな時間まで働いてるんだっけ?誰かに頼まれたわけでもないのに、やめられないこの生活。このままでいいのか?と問うても、明確な答えは出ない。ただ、「やめても誰も困らない気がする」という考えだけが、なぜか頭の中で何度も繰り返される。
向いてないかもと思ってもやめられなかった理由
それでも、やめなかった。いや、やめられなかった。理由は複雑だけど、どこかに「自分の役割はまだある」という小さな灯が消えていなかったからかもしれない。そうでなければ、あの日の朝で終わっていた気がする。誰にも見えない場所で、踏ん張っていた。
依頼者の感謝が救いになるとき
「先生、本当に助かりました」と言われたとき、肩の荷がすっと下りることがある。その一言があるから、何とか続けられている気がする。複雑な登記が完了した時より、その言葉のほうが心に残る。報酬よりも、感謝が支えになるとは思わなかったが、そういうもんなんだと今では思っている。
誰にも見えない頑張りを自分だけは知っている
仕事の中には、他人から見えない苦労が山ほどある。書類一枚出すのに、どれだけ確認して、どれだけ調整したか。その過程を誰も知らなくても、自分は知っている。それだけで十分なときもある。昔は結果だけを重視していたが、今は過程にこそ意味がある気がしている。
独身でも誰かの役には立てる
家族がいないことを寂しく思うこともある。でも、自分が関わった案件が誰かの人生の節目になっていると考えると、少し救われる。結婚してなくても、人の役には立てる。独身でも、自分の存在に意味がある。そう思えるだけで、少しだけ気持ちが楽になる。
昔の野球部精神に助けられた場面
あの頃のしんどい練習に比べれば……と思うことで、なんとか乗り越えられる日もある。理不尽な上下関係や無意味なランニングも、今ではメンタルの筋トレだったのかもしれない。続けることに意味がある。そう教わってきた自分に、今は少しだけ感謝している。
それでも明日はまたやってくる
どんなに疲れていても、どれだけ向いてないと思っても、明日はまたやってくる。目覚ましは鳴るし、依頼は待っている。そして、きっとまた「この仕事、やっぱり続けてよかった」と思える瞬間が来る。そう信じるしかない。
向いてないと思ったところからが勝負
向いてるかどうかなんて、実はどうでもいいのかもしれない。大事なのは、そこからどう続けるか。迷いながらでも、不器用でも、続けていく姿勢こそが本番だ。自分に向いている“かも”と思う瞬間は、案外あとからやってくるものだ。
完璧じゃなくても続けていい
完璧じゃないからこそ、誰かの役に立てることもある。つまずいたからこそ、相談者の気持ちに寄り添える。独りよがりな業務でも、そこに込めた思いは誰かに届いているかもしれない。向いてないと思った日を越えてこそ、見えてくるものがある。今日もまた、机に向かう。