何年後かの自分を想像できないという不安
「このままで本当にいいのか」——そう思いながら今日も登記書類とにらめっこしている。45歳、地方の司法書士。独身、モテない、自営業、気づけば仕事と事務員さんとの会話しかない日々。将来のビジョン?そんなもの、資格を取った瞬間に燃え尽きて、以来ずっと霧の中だ。老後のことを考えると、何かしなきゃとは思うけど、じゃあ“何を”やればいいのか、皆目見当がつかない。世間には「人生設計」「資産形成」なんてキーワードが溢れているけど、正直ピンとこない。ただただ、次の依頼、次の締切、それだけで生きている。
毎日がただ過ぎていくだけ
朝起きて、飯を食って、書類を確認して、法務局に行って、クタクタで帰ってくる。気がつけば、もう夜。こういう日が10年も続いている。手を抜いてるわけじゃないし、怠けてるつもりもない。でも、何かを築いているという実感はまるでない。ふと時計を見ると、「あれ?今年もう半分終わってるのか」と思う。そうやって年単位で日々が流れていく。
予定は埋まってるのに、未来は空白
スケジュール帳はびっしり埋まっている。来週の面談、来月の裁判所提出書類、その次の相談…。目の前の予定は明確なのに、5年後、10年後の自分はまるで描けない。結婚してるか?してないだろうな。事務所はどうなってる?同じ場所で、たぶん同じように忙しくしてる気がする。でも、それって望んでる未来なのか?わからない。ただ“こなしてるだけ”の日々を生きてると、未来を考える余白なんてなくなってくる。
「来週の火曜14時」の予定は立つのに、5年後はまるで見えない
思えば司法書士という仕事は、常に期限と納期の連続だ。だから自然と「次の予定」には敏感になる。でも、その“次の次”の次が何なのか、自分の将来像としては何一つイメージできていない。「退職金も出ないし、老後どうすんだろ」と思うけど、それも漠然とした焦燥感だけで、結局は何もしない。来週の火曜14時には間に合うのに、人生というカレンダーは白紙のままだ。
「このままでいいのか?」という問いとの付き合い方
「これでいいのか?」と自問自答することはよくある。でも、その問い自体がもう疲れる。どうせ答えは出ないし、出ても実行する余裕も気力もない。周囲の同年代は子どもの進学だの、親の介護だのと人生がどんどん展開していくのに、自分はなぜか“止まってる”気がする。
考えるヒマもなく仕事が押し寄せてくる
日々の業務が忙しすぎて、自分の人生を俯瞰する時間がない。たまに夜、風呂に入りながらぼんやり考えようとしても、仕事のミスや明日の予定が頭に浮かんできて、気づけば眠ってしまう。たとえるなら、ずっと走り続けてるのにゴールも給水所も見えないマラソンみたいなもんだ。
事務所を構えて10年以上、それでも答えは出ていない
この事務所を始めてからもう10年以上が経つ。自分なりにやってきたつもりだし、お客さんもリピートしてくれる。でも、「これがやりたかったのか?」と聞かれると、たぶん違う。ただ、他に何ができるわけでもないし、結局“続けている”というだけ。10年かけても答えが出ない問いに、これから先も付き合っていくのかと思うと、正直しんどい。
司法書士という仕事の特性が未来を見えにくくしている
司法書士というのは、誤解を恐れずに言えば「大きな変化がない仕事」だと思う。特に地方では、新しい分野の開拓とか、画期的なビジネスモデルなんてほとんど縁がない。ただ粛々と、登記や相談業務を積み上げていくだけ。
大きな変化のない業務の中で
何年やっても、目の前の仕事の種類は変わらない。不動産登記、相続、成年後見…。人が変わるだけで、やることは大して変わらない。経験が増えても「このスキルが次のキャリアに繋がる!」という感覚も薄い。これが“職人仕事”というやつなのかもしれない。
「次の目標」が見えない職業病
大企業なら役職が上がったり、部署が変わったり、転勤したりと変化がある。でも個人事務所は違う。「今のまま」が「この先も続く」構造になってるから、どこを目指していいのかわからなくなる。資格を取ったときが一番の達成感で、あとは下り坂みたいな感覚すらある。
資格がゴールだった、その先がずっと霧の中
20代で必死に資格を取った。あの時は「資格さえ取れれば人生変わる」と信じてた。でも実際は、取ってからの方が長くてつらかった。事務所の運営、顧客対応、収支のバランス…。理想を語る余裕なんてない。資格をゴールにしたツケを、今も払っているような気がする。
成長実感が得にくい日々
人間ってやっぱり、「できるようになった」とか「評価された」みたいな感覚がないと、心が折れてくる。でも司法書士の仕事は、“できて当たり前”が前提。失敗すれば怒られるけど、成功しても褒められることは少ない。
やってもやっても「できて当たり前」
この前、難しい相続案件を無事に処理した。かなり工夫もして、調整も頑張った。でも依頼者から言われたのは「ああ、終わったんですね、助かりました」だけ。もちろん感謝されるのはありがたい。でも、やっぱりどこかで「もっと何か報われたい」という欲が残ってしまう。
感謝よりもミスの指摘が多い現場
登記の世界はミスが許されない。だから、どうしても評価よりもミスの指摘が優先される。誰も悪くないんだけど、結果として「何も言われないのが普通」という世界になる。それが何年も続くと、成長しているのか、ただ劣化していってるのかすら分からなくなる。
将来が見えないことへの対処法
じゃあどうすればいいのか。答えなんてない。でも、いくつか「これで少しはマシかも」と思えた考え方がある。それは“未来を無理に描かない”ことと、“今をつなぐこと”だ。
過去を振り返って道をつなぐ
未来が見えないなら、過去を見ればいい。そう思って、昔の写真を見たり、初めて登記を完了させたときのメモを読み返したりすることがある。すると「ああ、自分なりに頑張ってきたな」と思える瞬間があって、少しだけ前向きになれる。
「どこから来たか」を思い出すことが、未来の道しるべに
大きな夢はなくても、「あの時頑張った自分」がいる。だったら、次の一歩も踏み出せるかもしれない。遠くを見ると不安になるけど、今までの足跡を見つめることで、自分を信じる材料になる。それが未来を想像するための、ささやかなヒントになる。
他人の人生と比べすぎない
SNSを見れば、他人の人生がキラキラして見える。でも、それと自分を比べても意味がない。比べるなら、過去の自分とだけにしたい。
同級生が家庭を築いてるのを見ると心がざわつく
同級生の子どもがもう高校生だと聞いて驚いた。でも、それを見て焦る必要はない。人生のタイムラインは人それぞれ。自分の役割、自分のペースで生きるしかない。
想像できないなら、無理に想像しない
未来を無理にイメージしようとするから苦しくなる。だったら、目の前の仕事を丁寧にやることだけに集中するのもありだと思ってる。
「今」を繋げていくことで見えてくるもの
明日の仕事をちゃんとやる。今月の収支を確認する。事務員さんとちゃんと会話する。それだけでいいんじゃないかと思うようになった。未来は、いまの積み重ねの先にあるのだから。