「誰かの共感になれば」と思う理由
司法書士として仕事をしていると、毎日のようにいろんな書類と格闘しながらも、誰とも会話せずに1日が終わることがあります。たった一人で向き合う現実に、時々「これって誰かの役に立ってるんだろうか」と疑問が湧く瞬間があります。このブログを書こうと思ったのは、そんな自問自答の中で、せめてこの小さな声が、同じような状況にいる誰かの支えになればという願いからです。誰かが「自分だけじゃない」と思ってくれたら、少しは救われる気がするのです。
ただの独り言にしないために
以前、仕事のストレスをノートに書き殴っていた時期がありました。自分だけのノートなら、誰にも気を遣わず、どんなことも書ける。でも、どれだけ書いても虚しさは消えなかったんです。それがブログに変わったのは、「もしかしたら誰かが同じ気持ちを抱えてるかもしれない」と気づいたから。愚痴を書いてもいい。弱音を吐いてもいい。でも、それが誰かの安心や共感につながるなら、ただの独り言じゃない。そんな気持ちが、この場所の原点です。
愚痴だらけの日々にも意味があると信じたい
今日も登記ミスの修正で法務局と何度もやり取り。依頼者には「まだ終わらないんですか?」と言われ、事務員には「その案件、また戻ってきました」と告げられ…。正直、やってられないと思いました。でも、そんな日常の繰り返しこそ、現場のリアルなんですよね。華やかさとは無縁だけど、この積み重ねが誰かの権利を守っている。そう信じていないと、やっていけない。意味を見出さないと、続ける理由を失ってしまう。だからこそ、愚痴にも価値があると思いたいんです。
地方の司法書士という生きづらさ
地方都市で司法書士をしていると、都会とは違う“孤独”があります。案件数は安定しているけれど、相談できる同業者も少なく、法改正の波にひとりで立ち向かう感覚。SNSで情報収集しても、実際に顔を合わせて話せる相手はいない。そんな環境の中、思考がぐるぐると内側に向いていく。声を出す場所がなければ、気づいたら沈んでいく一方です。
仕事はある、でも孤独
正直、経営的にはギリギリ食べていけるくらいの案件はあります。ただ、それが「充実感」や「つながり」につながるかというと話は別です。業務内容がルーチン化している中、気がつけば無言で机に向かい続けている自分に気づきます。目の前の仕事をこなすだけで、誰とも気持ちを共有しないまま一日が終わる。これは、精神的にはかなり堪えます。
相談相手がいないという絶望
たとえばちょっとした登記の判断に迷ったとき、「これ他の事務所ならどうしてるんだろう」と思っても、聞ける相手がいない。新人の頃はそれなりに同期とも連絡を取っていましたが、年数が経つにつれて徐々に疎遠に。悩みを共有できる相手がいないというのは、実務以上に精神を疲弊させます。だからこそ、こうしてブログを書くことで、せめて誰かとつながっていたいという欲が生まれるんだと思います。
他士業との距離感に疲れる
税理士さんや弁護士さんと連携しなきゃいけない場面って多いんですが、こっちは下請け扱いされることもしばしば。妙に上から目線で指示されると、「同じ士業だろ?」って突っ込みたくなります。誠実な方もいるんですが、こちらが低姿勢でいないといけないような空気感に、地味にストレスがたまります。もう少し、対等にやりとりできたらいいのにと思うんです。
同業とのつながりが希薄すぎる現実
地元の支部会には顔を出すようにはしていますが、どこか「探り合い」のような雰囲気があって、本音を言い合える場にはなっていません。横のつながりを求めるには、リスクも伴う。そんな中で、余計なことを言って評判を落とすのも怖くて、つい黙ってしまう。結果として、孤独感はさらに深まっていくわけです。
雇った事務員との距離感
現在、ひとりの事務員さんに手伝ってもらっています。とても真面目な方で助かっているんですが、だからこそ逆に「甘えちゃいけない」と自分にプレッシャーをかけてしまう。気軽に話しかけられるようでいて、業務の指示には緊張感がつきまとう。小さな事務所だからこそ、距離の取り方はいつも悩みのタネです。
指導と信頼のバランスが難しい
何かを教えるとき、「細かすぎるかな」と気を遣いすぎて、逆に伝えきれなかったりします。ミスがあったとしても、責めるような言い方になってしまうのも避けたい。とはいえ、事務作業の正確さは命。結局、自分がやったほうが早いという思考に陥ってしまって、仕事が回らない…。どこまで任せ、どこまで教えるか、その匙加減が本当に難しいです。
感情のやり場に困るときもある
人間ですから、イライラすることもあります。でも、その感情をぶつける相手は誰もいない。だからといって、事務員さんに八つ当たりするわけにもいかず、自分の中に溜め込んでいくしかない。気づけば表情が硬くなっていて、「先生、最近疲れてます?」と心配される始末。自分でももう少し柔らかくなりたいと思ってはいるんですが、なかなかうまくいきません。
愚痴りながらも、続ける理由
「なんでこんなにしんどいのに、続けてるんだろう」…そう思う日は何度もあります。でも、やめようとは思わない。不思議なもんです。やっぱり根底には、「誰かの役に立ってる」と信じたい気持ちがあるから。依頼者の笑顔や、感謝の言葉に救われる瞬間があるから。愚痴を吐きつつも、今日も事務所の鍵を開けています。
依頼者の「ありがとう」が支え
先日、相続登記の手続きを終えたおばあちゃんから「あなたにお願いしてよかった」と手紙をいただきました。内容は簡単なものでしたが、涙が出るほど嬉しかった。その一言で、一週間分の疲れが吹き飛ぶような気がしました。結局、自分はそういう言葉に弱いんです。そして、その言葉をもらうために、今日も頑張っているのかもしれません。
辞めたいと思いながら、辞められない現実
何度も「もう無理だ」「転職しようか」と考えたことがあります。でも、司法書士として積み上げてきたものをゼロにする勇気は出ないし、この町で生きていくには今の仕事を手放すわけにはいかない。愚痴を言いながらも、結局は続けている。それが今の自分です。
このブログが果たす役割とは
このブログは、誰かのために書いているというより、正直なところ自分のために書いている部分が大きいです。でも、その中で「共感しました」「同じような思いを抱えてます」と言ってもらえると、不思議と救われるんです。だから、これからも続けていこうと思います。
「わかる」と思ってくれる人が一人でもいれば
きっと、読んでくれる人の中には、同じように苦しみながら日々を送っている司法書士や士業の方がいると思います。そんな人たちに、「自分だけじゃない」と思ってもらえたら嬉しい。このブログは、そんな“誰か”との小さな接点になれば、それで十分です。
司法書士のリアルを残したい
今後もこのブログでは、格好つけずに、できるだけリアルな現場の空気を伝えていきたいと思います。華やかな成功談ではなく、日々の愚痴やつまずき、そして少しの喜び。そういうものこそ、後から振り返ったときに価値を持つと信じています。
キラキラじゃない現場の空気
広告に出てくるような「スマートな士業」とは程遠い、泥臭くて不器用な日常。でも、それが真実。そうした現場の空気感を、少しでも文字で伝えられたらと思います。
後進へのささやかなメッセージ
これから司法書士を目指す人には、良い面だけでなく、こうした現実も知ってほしい。苦しい時があるのは当たり前。でも、それでも続けていく中で、ちゃんと得られるものもある。そのことを、少しでも伝えられたらと思います。