今日も法務局で無力感に包まれた

今日も法務局で無力感に包まれた

待つしかないという現実がただただつらい

朝一番に出向いても、整理券番号はもう30番台。申請書類を出した時点で「1時間半ほどお待ちくださいね」と言われる。地方の法務局、混む時間帯なんて読めたものじゃない。結局、用意した案件の進捗は止まり、戻ったら他の顧客からの催促。待っているあいだにできる仕事も限られていて、「今日もまた、何のために事務所を飛び出したんだろう」と自問する。誰のせいでもない、仕組みの話だ。それでも、そんな仕組みに振り回されるのが悔しい。

自分の時間なのにコントロールできない

この仕事、自分で選んだはずなのに、肝心の時間はまるで他人のもののようだ。法務局の待ち時間に縛られ、次の予定は後ろ倒し。そのせいでお客さんに謝る羽目になるのも、毎度のこと。誰かの都合で自分の仕事が止まる感覚は、学生時代にはなかった。あの頃、時間は努力で切り開けるものだった。けれど今は違う。ただひたすら、窓口の番号が呼ばれるのを待ち、やっとの思いで手続きが進む。それが一日仕事になると、本当に心が折れる。

法務局の窓口で感じる小さな敗北

番号が呼ばれ、カウンターに進み、書類にミスがあればやり直し。たった一つの形式ミスで、また最初から。丁寧に準備しても、受付の担当者次第で解釈が変わる。運が悪ければ、「今日は受け付けられません」と突き返されることもある。そんなとき、思わず「何のために朝から来たんだ」と声を荒げたくなるけれど、もちろん言えない。周囲の視線を気にしながら、無言で立ち去る。その瞬間の無力感が、心にじわっと広がる。

一日のリズムがここで壊れていく

今日はやるぞ、と朝に立てた段取り表。その計画は、法務局の待ち時間であっけなく崩壊する。昼前に済ませておきたかった顧客対応は後回し。事務所に戻る頃にはもう午後。事務員も、気を使いながら「お疲れさまでした」と声をかけてくれるけど、内心「今日のタスク、どうするんですか?」と思っているはず。そんな空気を読んで、無理にでも笑顔で「これから巻き返すぞ」と言うけれど、実際はすでに頭の中がぐちゃぐちゃで何も手につかない。

「仕方ない」で済ませてきた代償

「まぁ、そういうもんだよね」と、何度自分に言い聞かせてきただろうか。でもその“仕方ない”を積み重ねていくうちに、何か大事な感覚を失っていった気がする。もっと変えられたかもしれない、もっと工夫できたかもしれない。だけど、もう疲れた。変えようと動けば動くほど、無力さにぶつかる。地方の現場では、特にその壁が厚い。都市部のやり方はここでは通用しない。それを理解していても、諦めずにいられるだけの気力は残っていない。

我慢するのが当たり前になってしまった

「司法書士は我慢強くないと続かないよ」と言われたことがある。確かにそうだ。でも、それって本当に健全な状態なんだろうか。我慢することが前提になってしまえば、改善の意識なんて生まれない。我慢強さが評価されるのではなく、我慢しないと回らない仕組みが放置されているだけ。どこかで「これじゃダメだ」と声をあげたいけど、そんな余裕もない。だって、日々の仕事をこなすだけで精一杯だから。

仕事の効率を誰も気にしない世界

「この手続き、もっと簡素化できないのか」と感じることは多い。でも、現場ではそんな声は聞こえてこない。むしろ、「それがルールです」と門前払いを受けるのがオチ。効率とか生産性とか、民間では当たり前の価値観が、ここには存在しないように思える。そのズレに気づきながらも、適応するしかない。まるで、時代から取り残された島に取り残されているような感覚。現代的な仕事の進め方とは程遠い、別の世界で生きている気がする。

独立しても自由ではなかった

開業すれば自由になれる、そう思っていた時期が僕にもありました。でも現実は、違った。結局、依存先が会社から法務局に変わっただけ。自由に動けるようで、実は誰かの仕組みに縛られたまま。それに気づいたとき、独立の意味を考え直さざるを得なかった。「何のためにひとりでやってるんだろう?」と、自分自身に問う日が増えた。決して嫌いな仕事じゃない。だけど、もっと納得感のある働き方がしたかった。それだけが本音だ。

時間に縛られたままの開業人生

自由業とは名ばかりで、実際は時間に追われっぱなし。朝から晩まで予定はぎっしりで、誰かが遅れればすべてが崩れる。顧客の希望、法務局の都合、事務員のシフト、全部を自分が吸収しなければならない。時計を見るたびに、「また間に合わなかった」とため息が出る。結局、会社員時代よりも不自由なのでは?という疑念が頭をよぎることもある。でも、引き返す道はない。自分で選んだ道だからこそ、誰のせいにもできない。

組織を離れても変わらない部分

組織から独立しても、人に振り回される現実は変わらなかった。むしろ、すべての責任が自分に集まる分、精神的にはさらに重い。誰かに頼ることもできず、ミスをしても自分で尻ぬぐい。開業前は「上司に文句言われるくらいなら、自分でやったほうがいい」と思っていたけど、今では「誰かに怒られるだけのほうが楽だったな」とすら感じることがある。自由と責任は常にセットだと、身をもって思い知らされた。

地方ゆえの不便さに慣れるしかない

都市部ならオンライン申請も活用できるが、地方では未対応の手続きも多い。物理的に足を運ぶしかなく、時間も交通費もかかる。それでも「そちらの都合ですよね?」と言われる始末。地元で続ける覚悟を決めたはずなのに、ふと「やっぱり東京でやってたほうが良かったかも」と思う瞬間がある。だけど、家族の近くにいたい気持ちもあるし、今さら都会のスピードについていける自信もない。だから、ただ受け入れるしかないのだ。

優しさと愚痴の狭間で

文句ばかり言ってると思われたくはない。でも、誰にも愚痴れない日々が続くと、どこかで心が詰まってしまう。優しくいたい、笑っていたい、でも本音は全然違う。独立してからの毎日は、愚痴と優しさの綱引きみたいなもの。誰かに話を聞いてもらえたら、少しは楽になるのかもしれない。だけど、話す相手も、時間も、いない。それが今のリアルだ。

文句を言いたいけど誰にも言えない

同業者同士でも、リアルな愚痴を言い合える関係はなかなかない。「そんなのうちも一緒だよ」と軽く流されることがほとんど。愚痴るには、信頼と余裕が必要なのだ。だけど、毎日目の前の仕事に追われていたら、そんな余裕なんて生まれない。結局、自分の中に溜め込むしかなくなる。そしてある日、ふとしたきっかけで爆発する。自分でもびっくりするくらいの怒りが、何でもない瞬間に湧いてくる。それが一番怖い。

事務員には聞かせたくない心の声

事務所には事務員がひとり。真面目でよくやってくれている。でも、だからこそ、愚痴はこぼせない。職場の雰囲気を壊したくないし、弱音を見せたくないという気持ちもある。「この人のもとで働きたい」と思ってもらいたいから、いつも明るく振る舞っている。だけど実際は、帰宅してから一人で布団に顔を埋めて、「もう無理だ」とつぶやいてしまう夜もある。

優しさが自分を追い込む時もある

人に優しくすることは、自分に厳しくすることでもある。「自分さえ我慢すればいい」と思うそのたびに、少しずつ自分が削れていく感覚がある。でも、それに気づいたときにはもう遅くて、身体も心も悲鳴をあげている。優しさは美徳だけれど、それを盾にし続けてはいけない。そう思いながらも、「でも、怒ったら関係が壊れるかもしれない」と怖くて、また何も言えなくなる。このループから、なかなか抜け出せない。

今日もひとりで帰る夕暮れ

一日の終わり、事務所のシャッターを下ろし、誰もいない道を歩いて帰る。周囲の家には明かりが灯り、夕飯の匂いが漂う。その中をひとり歩く自分が、まるで世界から切り離された存在のように感じる。これが毎日だ。別に嫌じゃない、でも決して好きでもない。ただ、慣れてしまっただけ。そんな夕暮れが、今日もまた、静かに背中に降りてきた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。