通帳より心の残高が減っていく日々

通帳より心の残高が減っていく日々

数字は増えても心が減る感覚に名前をつけるなら

毎月末、通帳を記帳するたびに「まぁ、今月も何とかなったな」と一息つく。その瞬間だけは少しだけ安心するが、帰り道にふと感じるのは、満足感ではなくどこか物悲しさ。数字は黒字だ。でも心は赤字かもしれない。そんなふうに感じる日が増えた。司法書士という仕事は、信頼を扱う分、表では笑顔でも、裏では責任やプレッシャーが積もりに積もる。通帳の残高は、確かに安定している。けれど、心の残高は……どんどん減っていく感覚がある。

通帳の残高に安心できない理由

司法書士としてある程度の収入は得られるようになった。事務員さんの給与も払えて、事務所の家賃や経費もまかなえている。なのに、なぜか不安が消えない。特に、夜ひとりになったときにふと湧き上がる「このままでいいのか」という気持ち。数字上はうまくいっていても、心の奥では何かが擦り切れている。昔、野球部でケガを押して試合に出たときのような、身体は動くけれどどこか無理している感じ。そんな状態が、今の自分に近いのかもしれない。

稼げば稼ぐほど感じる空虚さ

依頼が続いてスケジュールが埋まり、忙しいほど収入も増える。でも、それに比例して心の余裕は減っていく。人に感謝される仕事であるはずなのに、終わったあとの脱力感の方が大きい日がある。先日も、難しい相続案件を終えたあと、車の中で一人でため息が止まらなかった。振り込まれた報酬より、その案件にかかった精神的エネルギーの方が重く感じられた。何のために働いているんだろうと、ふと考えてしまった。

目に見えるものと心のバランス

通帳に並ぶ数字は明確で、目に見える安心材料だ。でも、心の残高は見えない。だからこそ気づかないまま減っていく。先日、久しぶりに風邪をひいたときに「あ、今の自分、ちょっと限界だったかも」と初めて自覚した。身体の不調が、心の悲鳴を代弁していたのかもしれない。数字だけでは測れないものがある。むしろ、数字が増えても比例しないもの。それが「心の残高」なんだと思う。

心の残高ってなんだろう

「心の残高」なんて言葉は誰かが作った比喩かもしれない。でも、日々働く中で確かにそれを感じることがある。人の悩みに向き合い、解決に尽力し、感謝の言葉をもらう。やりがいはある。でも、それだけでは補えない疲れが残るときもある。心の残高とは、自分自身のエネルギー残量。気持ちの余裕。誰にも可視化されず、誰にも気づかれないが、自分の中で確かに存在する「もうちょっと頑張れるかどうか」の基準なのかもしれない。

誰にも記帳されない感情の累積

この仕事をしていて感じるのは、相談者の不安や怒り、時には悲しみを、こちらが受け止める場面が多いということ。その感情は帳簿には記載されないが、こちらの心には確実に積もっていく。まるで記帳されないまま積み重なる通帳のように。相談が終わっても、どこかに残っている感情の名残。それをうまく吐き出す方法があればいいのだけれど、なかなか見つからないのが現実だ。

人に頼られるほど減っていく心の余力

「先生にお願いしてよかった」と言われると、正直うれしい。でも、その一言が責任として心に重くのしかかることもある。頼られるというのは、裏を返せば「誰かの重荷を一緒に背負うこと」だ。その回数が増えるほど、自分の余白は狭くなっていく。嬉しさとしんどさが入り混じる。そうして、自分の感情をしまい込む癖がついてしまった。心の残高が減っていくとは、こういうことかもしれない。

ひとり事務所のリアルと孤独

誰にも頼れない、誰にも弱音を吐けない。そんな日々を送っていると、ふとした瞬間に自分の存在の軽さを感じる。事務員さんはいるけれど、気を遣わせたくないから弱音は吐けない。昔の野球部時代なら、ベンチで誰かと他愛もない話をして心が軽くなったけど、今はそんな場もない。ひとり事務所という環境は、気楽でもあるが、孤独とも隣り合わせだ。

誰も気づかない小さな叫び

「最近元気ですか?」と聞かれることはあっても、「最近疲れてませんか?」とはあまり聞かれない。こちらが元気に見せているからだろう。でも、内心は違う。「ああ、ちょっとしんどいな」と思いながら笑ってしまう癖がついている。ふと夜道を歩いているとき、心の奥から出そうになる小さな叫び。それを飲み込むたびに、少しずつ自分が壊れていくような気がしてしまう。

相談相手になっても自分は相談できない

職業柄、相談を受ける側であり続ける。でも、自分のことは誰にも相談できない。立場的に弱みを見せづらいのもあるし、何より「誰に話せばいいのか」が分からない。昔、飲みに行った同期に少し愚痴をこぼしたら、「意外と弱いとこあるんだな」と笑われた。それがトラウマで、それ以来、人に気持ちを打ち明けるのが怖くなった。心の残高が減っていくのは、こうした小さな出来事の積み重ねだ。

大丈夫ですよと言ってしまう癖

「大丈夫ですよ」と言うのが癖になっている。本当は大丈夫じゃないこともある。でも、言わないと前に進めない。司法書士という職業柄、安心感を与えるのも仕事のうち。だからつい、自分の感情を後回しにしてしまう。でもその癖が、心の残高をじわじわと削っていくことに、最近やっと気づき始めた。「大丈夫じゃない自分」を少しだけ認めることが、残高を回復する第一歩かもしれない。

心の残高を増やすにはどうすればいいのか

心の残高を増やす方法は、きっと人それぞれ。でも、自分の場合は「話すこと」「手放すこと」「笑うこと」かもしれない。ちょっとした雑談や、誰かとのゆるいつながり、無意味な笑い。それだけでふっと心が軽くなる瞬間がある。通帳には記帳されないけれど、そうした瞬間こそが本当の「価値」なのかもしれない。

誰かに話すだけで変わることもある

数ヶ月前、珍しく司法書士の先輩と電話で雑談した。特別な内容ではなかったけれど、それだけで不思議と気持ちが楽になった。相手の弱音も聞けたし、自分のしんどさも少し話せた。「自分だけじゃなかったんだ」と思えるだけで、こんなにも違うのかと驚いた。話すことは、記帳ではなく“放電”なのかもしれない。ため込んだ感情を、少しずつ放っていく。それだけで、心の残高は回復していく。

仕事以外の話をできる人のありがたさ

趣味の話、昔の野球の話、どうでもいいテレビの話。そういう話ができる相手がいるだけで、心のバランスが保てる。仕事に追われていた時期、完全にそれを忘れていた。でも最近、昔の同級生とLINEで他愛ないやり取りをして、「あ、こういうの大事だな」と実感した。心の残高は、特別な方法でしか回復しないわけではない。むしろ、日常のささやかなやりとりこそが、その回復の鍵かもしれない。

趣味に逃げるのは悪いことじゃない

無理に前向きになる必要はない。疲れたら、好きなことに逃げてもいい。自分にとってそれが最近は、夜にする素振りだったりする。バットを振っていると、無心になれる。誰にも評価されない時間。でも、それでいい。誰かの期待を背負わない時間を、自分の中に持つこと。それが、心の残高を保つ一つの方法なんだと思う。

元野球部のバットは今や素振り用

事務所の隅に立てかけてある木製バット。もう公式戦で振ることはないけれど、今でもたまに夜に振る。昔のように力強くはない。でも、その時間だけは過去の自分と繋がっていられる気がする。誰にも見られず、評価もされず、ただ自分の心を整えるためだけの動作。心の残高は、こういう静かな時間で少しずつ増えていくのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓