優しくできなかった一日を引きずる夜
仕事で疲れ果てて帰宅した夜、ふとした瞬間に「ああ、あの時きつく言いすぎたな」と思い返すことがある。人に優しくしたいと思っているのに、実際の自分は真逆の言動をしてしまう。司法書士として依頼者に接する時間が多い中で、冷静な対応を求められるけれど、余裕がなくなると途端にそれができなくなる。そして決まって、布団の中でその場面を何度も再生してはため息をつく。誰かに「大丈夫だったよ」と言ってほしいけど、そんな自分を責める声の方がずっと大きい。
何気ない言葉にトゲが出る自分が嫌になる
ある日、事務員さんがちょっとした入力ミスをしていた。普段なら笑って流せるようなことだったのに、「ちゃんと確認した?」と、語気が強くなってしまった。その瞬間、相手の表情が曇ったのがわかる。自分でも「言いすぎた」とすぐに気づいたけど、引くに引けず、そのまま打ち合わせを続けてしまった。午後になってもその空気は元に戻らず、自分の中にもどんどんモヤモヤが溜まっていった。結局、その日は無言のまま解散。やさしくありたいのに、現実はそれを裏切るばかりだ。
本当は感謝を伝えたいのに
この仕事、事務員さんの力がなければまわらない。それは重々わかっている。役所とのやりとりや書類の整備、電話応対…自分一人じゃ到底こなせない。だからこそ、ほんの一言「ありがとう」と言えたらどれだけよかったかと思う。なのに、忙しさにかまけてその気持ちを飲み込んでしまうことが多い。言葉にするって、本当に難しい。感謝の気持ちはあるのに、それをうまく表現できないまま、ただ日々が過ぎていく。
余裕がないときほど言葉が乱暴になる
時間に追われているとき、心に余裕がなくなってくる。そんなときほど、言葉の選び方が荒くなる。特に自分のようなタイプは、「急いでいる」とか「忙しい」を口実に、配慮をすっ飛ばしてしまいがちだ。結局それが相手を傷つけ、さらに自分も落ち込むという悪循環に陥る。やさしさって、気持ちだけじゃなくて、時間と心のゆとりがセットなんだと最近ようやく思い知った。
朝の小さな言い争いが一日中頭に残る
ある朝、急ぎの登記案件でイライラしていて、事務員さんの報告にいちいち口出ししてしまった。言い返されることもなく、それで済んだと思っていたけれど、自分の中ではずっとモヤモヤが残っていた。夕方になっても引きずっていて、帰り際に「今日の俺、感じ悪かったよな」と反省。すぐに謝ればよかったのに、タイミングを逃して結局言えなかった。
誰にも気づかれずに自己嫌悪が膨らむ
周りには普通に見えるかもしれない。でも内心は、自己嫌悪でいっぱいになる。「もっと優しくできたはず」「あの言い方はなかった」と一人反省会が始まって、夜が長くなる。誰かに相談するわけでもないし、こういう感情をどう処理していいかもわからない。独身で一人暮らしだから、気を紛らわせる場もなく、結局こうして心の中で責め続けるしかない。
事務員さんの一言に救われたこともある
そんなある日、ふとしたことで事務員さんが言った。「先生、最近ちょっと疲れてませんか?」。その一言に、思わず涙が出そうになった。怒られる覚悟だったのに、予想外のやさしい言葉に、心がゆるんだ。優しくできない自分を責めていたけれど、優しさって必ずしも完璧である必要はないのかもしれないと、少しだけ思えた。
怒っていないふりをしているのがバレていた
その日は明らかに機嫌が悪く、自分でも顔がこわばっているのがわかっていた。でも「怒ってませんよ」と空元気で振る舞っていたら、「無理しなくていいですよ」と言われた。その瞬間、自分の不器用さも、無理してることも、全部バレてたんだなと思った。気を張ってるつもりでも、意外と人には見透かされているものだ。そんな中でかけられた優しい一言に、何度も助けられている。
人に優しくする前に自分を認めてあげる
最近思うのは、他人に優しくするには、まず自分に優しくしないと難しいということ。失敗した日も、不機嫌だった日も、そんな日があっても仕方ないと思える心の余裕が必要だ。自分を責めすぎると、ますます他人に厳しくなる。だから、まずは「今日もよく頑張ったな」と自分に声をかけてあげたい。うまくいかない日があることも、ちゃんと認めていこう。
今日は余裕ないですよねその言葉が沁みた
「今日は余裕ないですよね」と事務員さんに言われた日、それはまさに図星だった。余裕がないと自覚しているときほど、その言葉に救われる。相手を気遣う余裕がなくても、それを責めずに受け止めてくれる存在がいると、心がふっと軽くなる。あの一言があったから、翌日はちょっとだけ優しくなれた気がする。
優しさに見返りを求めていた自分に気づく
「自分ばっかり気を遣っている」と思う日がある。でもそれって、優しさを与えることで、どこかで見返りを求めていたんだと思う。承認欲求とか、自己満足とか。優しさって、相手の反応を期待しすぎると苦しくなる。司法書士という仕事は、時に報われない努力も多いけれど、それでも人に寄り添う仕事だからこそ、自分のスタンスを見直すきっかけにもなる。
自分が優しくされたいだけだったのかもしれない
優しくしたい気持ちの裏には、「誰かに優しくしてもらいたい」という気持ちがあったのかもしれない。特に孤独な時間が続くと、人のぬくもりが恋しくなる。優しくすることで、少しでも誰かとつながりを感じたかった。そう思えば、優しさの動機も悪くない気がする。完璧じゃなくても、不器用でも、自分なりに誰かを思いやることができたら、それでいいのかもしれない。
元野球部の上下関係が今の性格に影響している
高校時代、野球部で厳しい上下関係の中にいた。それが今の自分の言葉づかいや態度に影響していると感じる場面が多い。後輩には厳しく、先輩には絶対服従。そんな空気が体に染みついている。だからこそ、ふとした瞬間に「言い方がキツい」と言われると、自分の過去を責めるような気持ちになる。だけどそれも自分の一部。意識して変えていくしかない。
結局はまた明日もやさしくなれないかもしれない
いくら反省しても、また明日も余裕がなくて、優しくなれないかもしれない。そんな自分が嫌で、でも同時に「それでも続けてるんだ」と思いたい気持ちもある。司法書士の仕事は、淡々としているようで、人間関係の摩耗が激しい。だけど、今日の反省が、少しずつ自分をやさしくしてくれている気もする。
でもちょっとだけ反省してるから
優しくなれない日はある。でも、反省しているだけまだマシだと思いたい。何も感じないよりはずっとまし。人に優しくするって簡単そうで、実はすごく難しい。それでも「優しくしたい」と思ってるなら、きっと大丈夫。今日ダメでも、明日は少し変われるかもしれない。
それでも司法書士を続けている意味
この仕事、誰かに必要とされることが多い分、精神的にきつい。でも、自分が書類を整えて、登記を完了させて、依頼者に「ありがとう」と言われたときは、やっぱりやっててよかったと思う。優しさがうまく出せない日もあるけど、それでも誰かの役に立ちたい。その気持ちがある限り、きっと大丈夫だと信じたい。