気づかないふりにも限界がある
その日は、朝からなんとなくソワソワした空気が事務所全体に流れていた。隣のビルに入っている司法書士事務所から、妙に人の出入りが多い。お祝いの花束を持ったスーツ姿の人たちが、何人もエレベーターに吸い込まれていく。最初は誰かの開業記念かと思ったが、違った。「ご結婚おめでとうございます」と書かれた札を見て、ようやく気づいた。隣の司法書士、あの人が結婚したのだ。まさか、という思いが一気に押し寄せる。正直、独身仲間だと勝手に思っていた。
まさかと思ってたけどまさかだった
隣の彼とは、挨拶以上の会話はない。たまに廊下ですれ違って「お疲れ様です」と声をかけ合う程度。それでも、勝手に親近感を持っていた。年齢も近そうだったし、土日も事務所の灯りがついていることが多かったから。勝手に「同志」と思っていた相手が、知らぬ間に人生の転機を迎えていたなんて、なんとも言えない虚しさがこみ上げてきた。
昼休みに飛び交う「おめでとう」の声
昼休みにコンビニに行こうと外に出たら、花束を持った来訪者たちが笑顔で話していた。「奥さん、すごくきれいだったよ!」とか「本当にお似合いだった!」とか、あまりに現実感のある祝福の言葉が突き刺さる。別に羨ましいとか、そんな感情じゃない。なんというか、取り残されたような、置いていかれたような感覚。こっちは毎日登記簿と向き合って、昼飯もコンビニのパスタだ。
名刺入れにそっと挟まれた結婚式の写真
午後の打ち合わせで、共有の会議室を使った。そのとき偶然、会議室の机の上に名刺が何枚か置いてあり、その間に一枚だけ写真が挟まっていた。白いドレスを着た女性と、タキシード姿の彼が笑っていた。見なければよかったと思った。でも見てしまったからには、もう胸の中のざわつきは止められなかった。あの笑顔と、自分の今とを比べてしまったのだ。
比べるつもりはなかったのに比べてしまう
そもそも、他人の幸せと自分の不幸を比べるのは無意味だとわかっている。だけど、比べてしまうのが人間というもの。結婚が全てではないし、家庭があれば幸せとも限らない。それでも、現実に目の前で祝われている姿を見ると、心の中で何かが軋む。自分には、こんなふうに祝ってくれる人がいるだろうか?いや、そもそも祝われるような出来事が、この先あるのだろうか。
独身同士という安心感の崩壊
隣の彼が結婚したと聞いたことで、自分の「独身仲間」という勝手な仲間意識が崩れ去った。話したことがあるわけでもないのに、勝手に連帯感を感じていた。孤独の中でも、誰かも同じように孤独だと信じていれば、少しは楽だった。でも今は違う。彼は“選ばれた側”で、自分は“残された側”だ。現実が突きつける違いが、予想以上に重たかった。
笑って「お幸せに」と言ったその夜
夕方、廊下ですれ違ったときに、つい口をついて出た。「ご結婚、おめでとうございます」彼は少し驚いた顔をして、でもすぐににこやかに「ありがとうございます」と答えてくれた。きっとあの人に悪気なんてない。むしろ、いい人なのだろう。ただ、そのやり取りの後、自分の心にぽっかり穴があいたようだった。帰りの車の中で、なぜかラジオの恋愛相談がいつもより刺さった。
事務所に戻れば変わらぬ業務
そんな一日を経て、帰ってきた自分の事務所には、いつものように依頼書類の山と、鳴り続ける電話が待っていた。人生の転機なんてどこ吹く風。現実は何も変わらない。登記簿謄本の字を追いながら、「ああ、俺の人生ってこんなもんか」と思ってしまう。誰かと並ぶことなく、一人で走っている感じ。でも、それが悪いとも言い切れないのがまた、ややこしい。
依頼人には関係ないこちらの感情
依頼人は今日も待っている。こちらがどんな気持ちであれ、書類は期限内に仕上げなければならないし、登記は正確でなければならない。感情を持ち込む暇もないのが、この仕事の厳しさだ。誰かの幸せを横目にしながら、黙々と業務をこなす。それが司法書士の現実。だからこそ、自分の気持ちに気づかないふりをしてしまうのかもしれない。
謄本をめくる手が少し重かった
その日の最後の業務は、不動産登記の確認作業だった。何百回もやってきた作業なのに、妙に手が重い。書類の文字が滲んで見えるような錯覚さえした。集中できないまま、机に伏せたくなる気持ちをこらえて、なんとか終わらせた。疲れというより、心が重かったのだろう。そんな日は、早く寝てしまった方がいい。
そもそもなぜモテないのか
ふと、ここまでの自分の人生を見返してみた。なぜこうもモテないのか。なぜ誰とも縁がないまま歳を重ねてしまったのか。正直に言えば、自分でもよくわからない。ただ、気づけば仕事一筋になっていて、休日に誰かと会うこともなくなり、気づけば「婚活」と呼ばれるものも面倒になっていた。モテないというより、努力をやめていたのかもしれない。
忙しさを理由にしすぎていたかもしれない
「忙しいから」「今はそんな余裕ないから」と、何度も言い訳してきた。でもそれは、本当の理由じゃなかった気がする。誰かと向き合うのが怖かったのかもしれない。過去にうまくいかなかった経験や、自分の不器用さを思い出すと、もう一歩踏み出すのが億劫になる。それなら、一人でいた方が楽だ。そうやって、気づけば一人が当たり前になっていた。
元野球部でも今はただの肩こり持ち
昔は体力に自信もあったし、試合に勝った日は仲間と盛り上がっていた。あの頃は、未来に何かが待っていると信じて疑わなかった。でも今は、肩こりと格闘しながら書類を製本しているだけの毎日。かつての自分と今の自分が、別人のように感じる瞬間がある。何が変わってしまったのか、あるいは何も変えられなかったのか。
ユニフォーム姿の記憶が遠い
グラウンドで泥だらけになっていたあの頃、まさか将来、独身のまま登記簿とにらめっこしているとは思ってもいなかった。あのユニフォーム姿の自分は、今の自分を見てどう思うのだろう。少し情けないが、それもまた人生だと受け入れるしかない。誰もが理想通りに生きられるわけじゃない。
それでも明日はやってくる
隣の司法書士が結婚したという事実は、きっとこれからも心のどこかに引っかかるだろう。でも、それはそれ。自分の人生は、自分のリズムでしか進められない。他人の幸せに焦らず、自分のペースで歩いていくしかない。そう思えるまでには少し時間がかかったが、ようやく少しだけ前を向けるようになってきた。
誰かと比べるのは今日までにしておこう
あの午後から数日が経った今、ようやく落ち着いてきた。人は人、自分は自分。そう思うことで、少しだけ肩の力が抜けた。無理に笑う必要もないし、無理に前向きになる必要もない。ただ、比べすぎずに、自分の今日を丁寧に過ごすこと。それが今の自分にできる、ささやかな前進だ。