書類を開く手が止まった夜

書類を開く手が止まった夜

一枚の書類に心が折れることもある

たった一枚の書類。それが、どうしてこんなにも重たく感じるのか。業務としては何度も処理してきた形式的な登記の書類。けれど、その夜は違った。目の前に広げたA4の紙が、まるで心の中のモヤモヤを映し出しているかのようだった。時計の針は21時を回り、事務所にはもう誰もいない。静まり返った空間で、キーボードを打つ音さえ虚しく響く。心も体も疲れ切っていると、普段は流せるような些細な事務作業ですら、どうしても前に進めなくなる時がある。

なんでもない登記簿が重たく感じた日

それは地方の小さな物件の所有権移転登記。特に難しい内容ではない。添付書類も整っていて、申請書もすでに下書き済み。あとは押印して電子申請するだけ。でも、その“あと一歩”が踏み出せなかった。理由はない。ただ、「やりたくない」と思ってしまった。それが現実だった。書類を前にしてぼーっとしていたら、ふと学生時代の試合を思い出した。9回裏、ツーアウト満塁、フルカウント。打たれたくない、でも投げなきゃ終わらない。そんな緊張感に近い何かが、その書類にもあった。

誰にも言えない「やりたくない」の正体

「やりたくない」なんて、司法書士として言ってはいけない言葉だとどこかで思っていた。でも、ふと立ち止まった時にこみ上げるこの気持ちは、ただの甘えじゃない気がした。業務の重圧、孤独な環境、頼られるプレッシャー、ミスを恐れる毎日。どれも積み重なって、心をすり減らしている。疲れているのに、それを口に出せない職業病みたいなものが、きっと自分の中にもあるのだと思う。

元野球部でも投げ出したくなる瞬間

野球部時代は、どんなにきつい練習でも仲間がいた。「しんどいな」と言い合える相手がいた。でも今は違う。一人で判断し、一人で処理し、一人で結果を背負う。プロとして当たり前と言えばそれまでだが、人間だからこそ、たまには投げ出したくもなる。書類を破ってやりたい、なんて思う日もある。そんな夜を乗り越えて、また翌朝、机に向かう自分を少しだけ褒めたい。

事務員さんの気遣いが心に刺さる

「先生、あとはお願いしてもいいですか?」と事務員さんが笑顔で帰っていく。その言葉に悪気は一切ないのは分かっている。それでも、なんだか急にずしんときた。自分に任されるのが当たり前になっている責任。それを“気遣い”という形で引き受けるたびに、見えない重荷が増していく。

「お先に失礼します」の破壊力

夕方18時。事務員さんが帰る時に言う「お先に失礼します」が、なぜだか寂しく聞こえる。昔は「お疲れ様」と返していたはずなのに、最近は「はい…」とつぶやくのが精一杯。誰かが帰るたびに、事務所に残された自分の存在がどんどん浮いていく。帰宅したところで、誰かが待っているわけでもない。だったらせめて仕事くらい頑張らなきゃ…そんな思考が、また自分を追い詰めていく。

独りきりの事務所で感じる焦りと孤独

パソコンの画面には、未処理の案件がずらり。進めなきゃと思いながら、手は止まったまま。焦りが募るけど、体が動かない。事務所の蛍光灯の音すら耳障りに感じてくる。こんなに頑張ってるのに、どうしてこんなにも孤独なのか。司法書士になって、責任を背負うことの意味はわかっていた。でも、“一人で背負い続ける”とは思ってなかった。

何のために仕事してるんだっけと考える

気がつけば夜中。目の前の書類はそのまま。そんなとき、ふと自問する。「何のために働いてるんだろう?」お金?生活?名誉?全部少しずつは当てはまる。でも、一番の理由が見えなくなった時、仕事はただの“作業”になる。それが一番つらい。やりがいを見失うと、手が止まるのも当然だ。

依頼者の言葉に救われることもある

そんな夜の翌日、不意にかかってきた依頼者からの電話。「先日はありがとうございました。先生のおかげで助かりました」たったそれだけの言葉なのに、心に沁みた。どんなに報酬が少なくても、そんな一言で「やっててよかった」と思える。これは、この仕事ならではの報酬なのかもしれない。

「本当に助かりました」がくれるエネルギー

誰かにとって、自分の仕事が「救い」になっている。それを実感できる瞬間は、他の何よりも力になる。「誰でもできる仕事じゃない」と思えた時、自分の存在意義を少しだけ信じられるようになる。いつもそんな言葉をもらえるわけじゃない。でも、その“たまに”が、自分を支えてくれている。

でも次の瞬間にはまた現実

一瞬、報われた気持ちになっても、目の前の現実は変わらない。山積みの仕事、止まったままの処理、そしてまた新しい依頼。結局、ぐるぐると同じ毎日。でも、昨日よりちょっとだけ元気が戻ったなら、それでよしとしよう。そうやって、どうにか一日一日を乗り越えている。

誰かにモテるより、誰かに頼られる方がいい

正直、女性にモテた記憶なんてほとんどない。でも、最近は「頼りにしてます」と言われる方が、何倍も嬉しいと感じるようになった。司法書士として認められることが、自分の存在証明になっている。見返りなんてなくていい。ただ、必要とされたい。それが日々の原動力になっている。

それでもやっぱり、たまには優しくされたい

理屈では分かっている。仕事があるだけありがたい。人の役に立てるのは幸せなこと。でも、人間だから、時にはただ「大丈夫?」って言ってもらいたくなる。愚痴をこぼす場所がないまま、日々を積み重ねていくと、そんな当たり前の優しさに飢えてくる。何も特別なことはいらない。ただ、話を聞いてくれる人がほしいだけ。

地方暮らしと孤独のバランス感覚

地方で一人、司法書士事務所をやっていると、良くも悪くも「自由」だ。でも自由は孤独と表裏一体。誰に縛られることもなく、自分の裁量で働ける反面、全部の責任は自分が負う。静かな町の夜は、思ったよりも心に響く。都会の喧騒が恋しくなることもあるけど、だからこそこの土地で必要とされる仕事をしているんだと自分に言い聞かせる。

もう一回、やり直せるとしたら

もし人生をやり直せるとしたら、自分はまた司法書士を目指すだろうか?正直、分からない。でも、今の自分ができることは、今日を生き抜くこと。それだけだ。答えなんて出なくても、目の前の依頼者に誠実に向き合う。それが唯一、自分を支えてくれる軸なのかもしれない。

司法書士じゃない人生もあったのかもしれない

会社員として誰かの下で働いていたら、もっと気楽だっただろうか?あるいは結婚して家庭を持っていたら、夜の孤独も違っていたのだろうか?いろんな「もしも」が頭をよぎるけれど、今さら戻ることはできない。だからこそ、今ある場所で踏ん張るしかない。

けれどこの仕事に戻ってくる理由

やめたい、逃げたいと思った夜は何度もある。でも、それでも結局、自分はまたこの机に戻ってきている。愚痴ばかり言いながらも、やっぱり人の役に立ちたいと思っているからかもしれない。うまく言葉にはできないけど、「ありがとう」と言ってもらえた時の感覚を、どこかでまた味わいたくて、今日も机に向かう。

愚痴を言いながらも、また一歩進む夜

誰にでも、書類を見るのもつらい夜はある。司法書士だって、立ち止まりたくなる日がある。だけど、それでもまたペンを取る。キーボードを叩く。少しずつでも、前に進む。愚痴をこぼしながらでも、止まらなければ、それでいい。そんな夜があっても、きっと大丈夫。あなたも、わたしも。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓