朝から全部うまくいかないそんな日はある
朝の目覚ましを止めた時点でなんだか違和感。メールを開けば、急ぎの案件に限って書類が足りない。依頼人からの折返しもない。予定が狂いに狂って、午前中にはもう心が擦り切れている。何をやってもうまくいかない日、たまにある。そんな日に限って、外は雨だったりする。こういう日って、不思議と重なるんですよね。やっぱり自分の運が悪いのか、それとももう歳なのか。少しでもリズムが狂うと、自分を保つのが難しくなる年頃だなと痛感する。
電話一本で崩れたメンタルの城
午前10時、事務員が顔色を変えて「まだ連絡ありません」と一言。あの瞬間、わたしの中の小さな希望が崩れ落ちた。たった一本の電話が来ないだけで、その日一日のテンポが乱れる。わかってる、相手にも事情がある。でもこっちは予定を組んで動いてる。返事が来ないと、その次の案件にも影響が出る。そうやって、芋づる式に「ダメな自分」が頭の中を占領していく。昔の自分なら笑って流せたのに、今は妙にこたえる。
「〇〇さんからまだ連絡ありません」その一言の破壊力
連絡がない、というだけで胃がきゅっと縮む。特に登記関係でこちらが依頼を出していて、相手の反応待ちの場合、返事が遅れると「自分の進行ミスなのでは」とすぐに考えてしまう。もちろん相手の都合なんだが、こちらの責任感が強ければ強いほど、返事がない=自分の管理ミスという思考回路になる。経験を重ねるほど、本来なら図太くなるべきなんだけど、逆に「ミスを許されない空気」に飲まれて、気づかぬうちに心がやられていく。
思考停止したまま車を運転する時間が一番つらい
地元での業務なので車移動が多い。助手席に誰かが乗っていればまだ気が紛れるけど、一人きりの車内は考え事には絶好の空間。だけど今日みたいな日は、何も考えたくないのに、頭の中は反省と後悔のリフレイン。あの時もう少し丁寧に伝えていれば、とか、なぜ確認しなかったんだろう、とか。ラジオすら耳に入らない。ただひたすらに「やっちまったなあ」のループ。移動時間が苦行に変わるのが、こういう日の特徴。
自分が悪いのはわかってるけど責めるな自分
ミスしたのは自分だと理解してる。だけど、わざとやったわけじゃない。気を張ってたつもりだし、準備も怠らなかった。完璧にこなしたつもりでも、現場では予期せぬことが起きる。それなのに、自分の中のもう一人が容赦なく責めてくる。「またかよ」「向いてないんじゃないか」なんて、どこかの悪魔の声が聞こえてくる。この自己否定との闘いが一番しんどい。誰よりも自分に厳しくしてしまうのが、真面目な性格の損なところ。
昔なら一晩寝たら忘れてたことが忘れられない
20代、30代の頃は、失敗しても「まあ、明日頑張ろう」で終われていた。けれど今は、一晩寝ても頭の中でその場面が再生される。布団の中で目を閉じると、その日の自分の失敗が浮かんでくる。思い出したくないのに思い出す。眠れない。こんなことが続くと、「もう限界かもしれないな」とすら思ってしまう。それでも明日は来るから起きるしかない。無理に元気になる必要なんてないけれど、立ち上がらざるを得ないのが現実。
他人と比べたら終わるけど比べてしまう
同業者のSNSや知人の活躍を見て、「なんで自分だけこんなに失敗ばかりなんだ」と落ち込むことがある。他人と比べたらいけないと頭ではわかっているけど、人間そんなに強くない。事務所の規模、収入、依頼件数。気にしないようにしても、ふとした瞬間に比較の感情が湧いてしまう。そして自分をますます責めてしまう。そうなると、仕事がうまくいっているように見える人さえ、少し遠くに感じてしまう。
メンタルの立て直し方はあってないようなもの
「これさえやれば元気になれる」なんて都合のいい方法は存在しない。それでも何かをしないと、沈んだ気分はますます深くなる。メンタルの立て直しって、結局は自分との対話だと思う。誰かに頼れるならいいけれど、一人で抱えるしかないなら、自分の中にある「小さな元気の芽」をどう育てるか。自分だけの回復パターンを、日々の試行錯誤で見つけていくしかない。
とりあえずコンビニに逃げる習性
やけに疲れた日は、とにかくコンビニに寄る。意味はない。けど、何かしら「選ぶ」という行為が、気分を少しリセットしてくれる気がする。コーヒーとチョコを買って、駐車場で食べながらぼんやり空を見上げる。ほんの5分だけど、この“無の時間”があるとないとでは全然違う。忙しくても、心だけは少し休ませたい。事務所に戻る前の儀式みたいなものだ。
ホットスナックと缶コーヒーの無言の癒し
レジ前のホットスナック。あの誘惑に勝てる日は調子がいい日。負けた日は、それだけで今日のダメさを確認してるような気分になる。でも、あえて食べると少し元気になる。からあげ一本が、メンタルの支えになる瞬間もある。あと、缶コーヒー。何種類もあるのに、結局いつも同じやつを買ってしまう安心感。こういう小さな“ルーティンの安定”が、心のバランスを保ってくれているのかもしれない。
あえて誰かと話さずに静けさに沈む
事務員とも今日はほとんど会話しない。誰かと話すのがしんどい日もある。無理して元気に振る舞う方が、心がすり減るから。誰にも迷惑をかけず、そっと自分をいたわる時間がほしい。静かな事務所で書類を並べて、意味もなく引き出しを整理したりする。こうして気を紛らわせてるうちに、いつの間にか感情の波も少し落ち着いてくる。不思議とそういう日は、机の上も綺麗になる。
自分なりの回復ルーティンを見つける
人によって「癒されるもの」は違うと思う。趣味がある人はそれに没頭すればいい。でもわたしは特に趣味らしい趣味もない。だから、小さな習慣が大事になる。野球部時代のクセで、たまに素振りすることもある。意味なんてない。でもその動作に安心する。あとは、ただただ深呼吸。とにかく、心が荒れないように、できる範囲で自分を守る。メンタル回復って、派手じゃなくて地味な積み重ねだ。
掃除か散歩か筋トレか元野球部的には素振りか
素振り、意外と効く。竹ぼうきでもいい。腕を振ると少しずつ血が巡るのがわかる。気持ちも少しずつ持ち直す。散歩もいい。誰にも見られず、ただ歩くだけの時間。スマホも見ずに、空気を感じることができる。こういう“体を使って心を整える”方法は、地味だけど確実。失敗に頭を支配されるより、動いてみることが何よりの薬になる。
大声で「しんどい」って心の中で叫んでる
外では言えないけど、心の中では何度も叫んでる。「しんどい」「逃げたい」「今日は終わりにしたい」。そう思うこと自体、悪くない。吐き出せないまま溜め込む方が、ずっと危険だ。誰かに言えないなら、自分だけでもちゃんと受け止める。弱音を吐けない人ほど、心が壊れる。だからわたしは、声に出さなくても「しんどいな」って素直に認めるようにしている。それが、再び動き出す第一歩になる。
明日に向かうのがしんどい夜にできること
仕事が終わっても、心が休まらない夜はある。明日が怖い。また同じ失敗を繰り返すかもしれない。そんな不安が、布団の中で静かに膨らんでいく。だけど、完全に元気になろうとしなくてもいい。少しでも前を向けるように、今日の夜だけは、自分を甘やかしてあげたい。完璧じゃなくても、少しだけ立ち直れたら、それで充分だ。
やるべきことの中で「今日はもういい」を許す
リストに並ぶやるべきこと。その中で「今日はもういい」と言えるかどうかが、回復の鍵になる。全部やろうとすれば心が追いつかない。だから、あえてスキップしてもいい。明日回しても大丈夫なものは、潔く明日にする。完璧主義をやめるのは怖い。でも、自分を壊すよりはよほどましだ。ちょっと不真面目になるくらいでちょうどいい。
誰にも見せないノートに今日の愚痴を書く
誰にも見せないノートに、今日の出来事を全部書き出す。綺麗な言葉じゃなくていい。むしろ汚い言葉のほうがいい。感情を吐き出す場所があるかどうかで、眠りの質が変わる。書き終えるころには、少しだけ気持ちが軽くなる。愚痴の中に、自分の気づきが混ざってることもある。「ああ、ここがきつかったんだな」ってわかるだけで救われる。