焦って決めた不動産取引が僕を壊した日

焦って決めた不動産取引が僕を壊した日

焦って決めた不動産取引が僕を壊した日

なぜあの日、焦って決めてしまったのか

あの時の自分に「ちょっと待て」と声をかけられたら、今の苦しみは少しは減っていたかもしれません。不動産会社の営業マンが笑顔で「この物件、他にも見てる人がいて…」と言ったとき、焦りが一気に募りました。内見してその場で「仮押さえ」をした時点で、もう逃げられない空気ができあがっていました。実際にはその「他に見てる人」は存在したのかどうかもわかりません。でも「逃したら損」という感情が、冷静な判断を鈍らせていたのは事実です。

時間がないと錯覚させる不動産会社の常套句

「早い者勝ちです」「決断の早い方が得です」──こういうセリフは、不動産会社の営業トークでよく使われます。今思えば、まるでバーゲンセールの売り文句のようなものですが、当時の僕は完全に信じきっていました。実際のところ、その物件は1ヶ月後も売れ残っていました。僕が焦らされて契約したことに気づいたのは、もうすべての手続きが終わった後です。あのとき「ちょっと考えさせてください」と言えていたら…と思うたび、胸の奥がギュッと痛みます。

元野球部気質が招いた「決断の早さ」

僕は昔から「迷ったら即行動」が信条でした。高校時代、野球部の監督に「迷うやつはチャンスを逃す」と叩き込まれて育ち、それが今も染みついています。だからこそ、営業マンの言葉を聞いた瞬間、「ここで決めなきゃダメだ」と思ってしまったんです。でも、不動産取引は打席の勝負とは違います。タイミングも大事だけど、それ以上に慎重な検討が必要だった。スポーツのノリで人生を左右する契約を交わしてしまったのは、今となっては笑えない教訓です。

契約してから気づいたことは全部遅かった

契約が済み、鍵を受け取ったあと、現実は静かに牙をむいてきました。最初は「まあ、住めば都」と自分に言い聞かせていたんですが、小さな違和感が積み重なって、やがてそれは大きなストレスになっていきました。引っ越し祝いに友人を呼んだとき、「ここ、思ったより音響くね」と言われた一言が、地雷のスイッチだったんです。

重要事項説明書は読んだけど理解してなかった

一応、宅建士の説明は聞いていたし、重要事項説明書も目は通しました。でも「騒音に関するトラブル履歴あり」とか「共用部分の修繕予定あり」といった一文に、「まぁ大丈夫だろ」と楽観していた自分がいます。実際には、上の階の足音が毎晩ゴトゴト響くし、ベランダの排水管からは定期的に水が漏れます。自分が普段、依頼者に説明している“リスク”を、いざ自分が受け取る側になると、いかに聞き流していたか痛感しました。

ローン返済額が想像以上だった理由

金利0.8%という言葉に安心して契約したものの、月々の返済と固定資産税、管理費、修繕積立金、駐車場代…それらが合算されると、思っていた以上の負担になりました。事務所の収支が不安定な時期は、もう胃がキリキリしました。「司法書士ってこんなに稼げなかったっけ?」と、自分の収入を恨むようになった瞬間もあります。

騒音と湿気と…住んでみてわかる苦痛

建物の構造も古く、窓を開けるとすぐ近所の工場の騒音が入り込みます。押し入れにはカビが発生しやすく、毎月のように除湿剤を取り替える日々。「こんな部屋でも、もう戻れないんだ」と思うと、憂鬱でベッドから起き上がるのも一苦労でした。これは単なる家の問題じゃない。僕の人生そのものがじわじわと侵食されていくような気分でした。

クレームを言っても「自己責任」の一言

管理会社に相談しても「契約前に説明してますので」と取り合ってもらえず、不動産会社に電話しても「その件は所有者さまの判断で」と逃げられる始末。誰も責任を取らない世界なんだと、改めて実感しました。司法書士として法律の現場にいながら、自分がこんなにも無力になるとは。悔しさよりも、むなしさの方が大きかったです。

事務所経営にも影を落とす精神的ダメージ

家のストレスは、確実に仕事にも影響しました。朝起きた瞬間から「帰りたくない家」に思えてしまうと、事務所に向かう気力すら湧きません。集中力も切れがちになり、業務ミスも増えていきました。結果、信用を落としそうになり、自己嫌悪がさらに加速していきました。

朝からため息が止まらない日々

朝、玄関のドアを開けるたびに「また今日も始まるのか」と気が重くなりました。スーツを着る手もどこか重く、スマホを握っていても心ここにあらず。まるで空気の中に自分だけが沈んでいるような感覚でした。依頼者と向き合っていても、心のどこかで「引っ越しのこと、また考えなきゃ」と雑念が浮かび続ける。日常が、まるで霧に包まれているようでした。

仕事中も頭の片隅に「買わなきゃよかった」が居座る

登記申請をしていても、どこか気持ちが乗らない。クライアントの笑顔を見ても、自分だけ取り残されたような気分になることが増えました。パソコンの画面を見つめながら、「今の自分が相談を受けたら、何て助言するだろう」とふと思う。でも、そのときの自分にはそれができなかった。そこに一番の苦しさがあるんです。

愚痴を言える相手がいないという孤独

こんなこと、誰に言えばいいのか分かりませんでした。事務員さんに打ち明ければ気を遣わせてしまうし、同業の友人には「自業自得だな」と笑われそうで、結局、誰にも言えないまま日々を過ごしていました。「愚痴を言える相手がいない」──この静かな孤独が、一番つらかったのかもしれません。

事務員さんに打ち明けるわけにもいかず

普段から気遣い上手な事務員さんですが、あくまで職場の関係。こちらの私生活まで踏み込ませるのは、どうにも抵抗がありました。しかも自分が抱えてるのは“ちょっとした失敗”ではなく、“人生の軌道を誤った感”に近いもの。打ち明けて「大変でしたね」と言われても、心が軽くなるようなことではなかったんです。

結婚していれば違ったかもしれないという妄想

誰か相談できるパートナーがいたら、違っていたのかもしれない。夜、誰もいない部屋でひとり電気をつけるとき、「家族がいればもう少し前向きに受け止められたんだろうな」と思ったりします。とはいえ、それは妄想にすぎません。現実は、僕一人。決断も、失敗も、自分だけが引き受けなければならないのです。

それでも一歩ずつ、取り戻すためにしていること

今は少しずつ、生活を立て直そうとしています。住環境は簡単に変えられないけれど、心の持ちようや習慣を少しずつ整えていくことはできる。まずはそこから始めようと、少しずつですが前に進んでいます。

家計を見直し、趣味を再開して心を繋ぐ

無駄なサブスクを解約し、毎月の支出を細かく見直すところから始めました。また、昔やっていたキャッチボールも週末に復活させました。体を動かすと、ほんの少しですが心も晴れる気がします。住む場所は失敗してしまったけど、生き方まで失敗したとは思いたくない。だからこそ、日々の小さな行動を積み重ねていくしかないんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓