家庭裁判所の申立てがこんなに面倒くさいとは思わなかった

家庭裁判所の申立てがこんなに面倒くさいとは思わなかった

家庭裁判所の申立ては地味に心を削られる

司法書士として働く中で、登記や相続、会社関係の書類仕事ももちろん大変なんですが、地味に一番堪えるのが家庭裁判所の申立てです。見た目はただの書類仕事。でも実際やってみると、まるで細い針で心をチクチク刺されるような作業の連続です。仕事だからと割り切ってはいるものの、「また家庭裁判所のやつか」と思うたび、軽くため息が出ます。特に休日明けの月曜日に控えていると、もう日曜の夜から憂鬱になります。こういうのって、他の士業の方にもあるあるなんでしょうかね。

書類の種類が多すぎて何度も確認

家庭裁判所の申立てでまずぶつかるのが、「何をどこに出すか」の確認地獄です。相続放棄、成年後見、遺言検認…それぞれ提出書類も記載内容も微妙に違います。しかも裁判所によって要求される添付書類や記載方法が微妙に違う。ネットで「東京家庭裁判所の例」とか見つけても、自分の担当は地方。結局、電話確認→折り返し待ち→また確認という流れになります。まるで間違い探しのプロになった気分です。

不備を防ぐためのチェックがエンドレス

一発で受理されることって本当に稀です。なので、提出前にこちらで何度も見直すんですが、それでも何かしら指摘されます。しかも、指摘が「内容に問題がある」ではなく、「この欄の余白が足りない」とか、「この用語は裁判所の基準と違う」とか。言われてみれば確かにそうだけど、そこまで気にします?と愚痴りたくなるようなレベル。完璧を目指すほど精神が摩耗していきます。

それでも漏れるのが現実という悲しさ

どれだけ慎重にチェックしても、最後に「あ、この戸籍謄本、除籍じゃなくて改製原戸籍だったわ…」なんてこともあります。こういうときのダメージは本当に大きい。何が悲しいって、依頼人に説明するときです。「、もう一度…」という言葉を言いながら、心の中では地面に埋まりたくなります。野球部時代のミスとは違う、じわじわくる敗北感です。

依頼人の事情聴取が予想以上に重い

家庭裁判所案件では、依頼人の家族関係や人生そのものに深く関わることが多く、書類作成の前に長時間の聞き取りが必要です。中には、話すたびに涙を流す方もいますし、言葉にできない思いを抱えて沈黙してしまう方もいます。こちらも人間ですから、話を聞きながら胸が締め付けられるような感覚になります。登記とはまったく違う重さがあるのです。

感情の渦に巻き込まれてしまう危うさ

最初のうちは「業務だから」と線を引いていました。でも何件も続けていくうちに、感情を持ち込まないなんて無理だと悟りました。依頼人の過去の苦労話、家族との確執、看取りの話…それらを「申立書」という冷たいフォーマットに落とし込む作業は、自分の心を無理に無感情にしないとできません。でもそれって、いつか自分の感情が摩耗する危険な作業だと思っています。

共感しすぎて帰り道がつらくなる

正直、重たい話を聞いた日の帰り道はしんどいです。夕焼けが妙に胸に刺さるし、コンビニで買ったおにぎりが無味に感じることもあります。ひとり暮らしの部屋に戻って、ふとテレビをつけても笑えない日もあります。そんな日は「自分がこの仕事をやってて良かったのか」とさえ思います。共感する心がなければ楽だけど、それがなければ司法書士なんて務まらないのも事実で…難しいところです。

申立書の作成は誰のためなのか見失う

家庭裁判所に提出する申立書は、形式も内容も非常に厳格です。しかしその内容は、依頼人の切実な事情が詰まったものです。作業の途中で「これは裁判所のために書いているのか、それとも依頼人のためなのか」と自問することがあります。冷静に見れば両方のためなのですが、作業が煩雑になればなるほど、目的がぼやけてしまう瞬間があります。

裁判所用か依頼人用か 自問する時間

ある時、依頼人から「裁判所ってそんなに細かく見るんですか?」と聞かれ、思わず笑ってしまいました。「そうなんですよ。こちらが書類の型に合わせて人の人生を縮める感じですね」と半ば冗談めかして言いましたが、内心は複雑でした。本当にそれでいいのか?誰のための申立てなのか?そう思う時間が増えていくと、気持ちがズシンと重くなります。

求められる形式と現実の狭間で葛藤

形式美を求められる裁判所、現実の泥臭さを抱える依頼人。その間でバランスをとるのが司法書士の役割だと分かってはいます。でも、ときにはそのギャップが苦しくなるのです。依頼人の気持ちを優先して書いた言葉が、「裁判所的にはNGです」となると、書き直しながらなんともいえないやるせなさを感じます。

時間単価を考えるとやるせなさが募る

家庭裁判所の申立て業務は、時間がかかる割に報酬が決して高くありません。丁寧にヒアリングし、書類を何度も見直し、電話や郵送にも手間がかかる。その時間を時給換算すると、コンビニバイトよりも低い日があるのでは?と思うほど。もちろん金だけがすべてじゃないけど、「これで生活していけるのか?」と冷静になる瞬間は多々あります。

実は割に合っていない申立て業務

以前、家庭裁判所案件が3件連続した月がありました。その月の売上は目減りし、労力だけがかさんでいくという最悪の展開に。しかも、そのうち1件は申立書の訂正で2往復。精神的にも身体的にも限界ギリギリ。「自分、何してんだろ」と思いながらコンビニのレジ横で100円の肉まんをかじってました。あれ、泣きたくなるほど味がしなかった。

でも断れない依頼の空気感

割に合わないと分かっていても、目の前の依頼人が「お願いします」と言えば断れない。たぶんこれは性格の問題です。優しすぎるとか、人が良すぎるとか、そう言われたこともあります。でもたぶん、「断って楽になる自分」と「引き受けて疲れる自分」を天秤にかけて、後者を選んでしまうんですよね。損な生き方だと思います。

事務員も静かに苦しんでいる

家庭裁判所の申立て業務に疲れているのは、自分だけではありません。事務員の彼女も同じように苦労しています。書類の作成補助や電話のやり取り、郵送の準備など、直接見えない部分でずっと動いてくれている。ときどき無言で深いため息をついている姿を見ると、「俺だけじゃないんだな」と思い知らされます。

ミスの許されない書類に対するプレッシャー

申立書類の記載ミスは命取りです。特に家庭裁判所は厳しく見てくるので、事務員も神経をすり減らしています。以前、一文字だけ変換ミスがあって、それが大問題になったことがありました。彼女は何度も謝っていたけれど、こちらとしても責められませんでした。むしろ、そのプレッシャーの中でよく頑張ってくれてるなと感じました。

自分だけがつらいわけじゃないと気づく瞬間

どうしても一人事務所だと「自分ばっかりしんどい」と思いがちです。でも、事務員の姿を見ていると、支えられているのは自分の方なのだと実感します。愚痴を聞いてくれて、ミスも受け止めてくれて、黙って残業もしてくれる。本当はもっと感謝を伝えなきゃいけない。けれど、気恥ずかしくてなかなか言えないのが本音です。

地味だけど避けて通れない業務

家庭裁判所の申立ては、派手さは一切ありません。黙々と書類に向き合い、見えない苦労を重ねる毎日。でも、それでもやめられないのは、この業務が人の人生を少しでも前に進める手助けになるから。どんなに愚痴をこぼしても、どんなに疲れても、「この仕事をしてよかった」と思う瞬間が、確かにあるのです。

司法書士としての責任と覚悟

司法書士になって十数年、いまだに迷うことも多いです。でも、家庭裁判所の申立てを通して、責任の重さと、それを受け止める覚悟が少しずつ育ってきたのも事実です。誰にも褒められないし、報われないことも多いけれど、それでも続けている自分を、少しは認めてやってもいいのかもしれません。

正直言うと逃げたくなることもある

面倒な申立てが溜まっていると、正直逃げたくなることもあります。机の上の書類を見ながら、「温泉でも行ってのんびりしたいな」と考えることもあります。でも、逃げなかった自分が、結局また依頼を受けて、書類に向き合っている。その事実に、ちょっとだけ救われたりもするのです。

でも結局やってしまう自分がいる

どれだけ面倒でも、どれだけ疲れていても、やるべきことはやってしまう。文句を言いながらも動いている。たぶんそれが、自分なりの誠実さであり、司法書士という職業への答えなんだと思います。今日もまた、家庭裁判所への申立書類に向き合いながら、自分の小さな戦いを続けていきます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。