渡す相手のいない合鍵と、錆びないように保つ心の話

渡す相手のいない合鍵と、錆びないように保つ心の話

渡す相手のいない合鍵と、錆びないように保つ心の話

独りの事務所、増えていく鍵

司法書士という仕事柄、鍵は増える。事務所の出入口、書庫の金庫、郵便受け、自宅に実家。そして、なぜか余っている合鍵。机の引き出しに無造作に入っている小さな金属片を見ていると、ふと「これ、誰かに渡せたらな」と思うことがある。でも現実には、渡す相手はいない。鍵は誰かと空間を共有するための道具だけれど、僕の人生には「共有する空間」がそもそもない。そんなことを考えるたび、鍵の存在がちょっとだけ切なくなる。

いつの間にか机の引き出しに溜まる合鍵

特に意識して集めたわけじゃない。でも、なぜか増えていく。何かあった時のために作ったスペアキー。昔付き合っていた女性に渡そうかと考えていた鍵も、結局引き出しの中。結局、使われることのなかった鍵たちが、僕の生活の「空白」をそっと物語っているように見える時がある。事務所で疲れた顔を洗ったあと、ふとその引き出しを開けて、鍵を手に取ってはまた戻す。そういう瞬間が、いつの間にか日常の一部になっていた。

事務所用、実家用、自宅用…増える理由は他人のためじゃない

仕事上、鍵の管理は当然ながら厳重だ。重要書類の保管庫、登記関連の保管室、古い契約書を保管する部屋。それぞれに鍵があり、僕ひとりで責任を持って管理する。鍵が増えるのは、仕事の都合。でも、それだけじゃない気がする。たまに「渡すかもしれない誰か」のことを考えて、つい余分に作ってしまう鍵がある。だけど、結局その誰かは現れない。つまりこれは、自分の妄想に付き合わされて生まれた鍵。滑稽だけど、本当の話だ。

「誰かに渡す日」の妄想だけが残っている

あの頃、少しだけ真剣だった相手がいた。お互い忙しくて、結局自然消滅したけれど、「鍵、渡そうか?」と考えた時の自分の顔を今でも思い出す。期待とか、希望とか、そういうものを手のひらに握りしめていた。鍵を握るその手が、誰かに向けて開かれる日を想像していた。でも、現実は違った。今、僕の手の中には鍵だけが残っている。その鍵をどこにも持っていけないまま、また一日が過ぎていく。

司法書士という仕事の「入り口」と「締まり」

司法書士の仕事は、入口と出口を作る仕事だ。新しい生活の始まりに登記を行い、誰かの人生の一区切りに立ち会う。でも、僕自身の人生には、入り口も出口も見えないまま、ただ鍵を閉め続けているような気がする。誰かに「おかえり」と言える生活には、もう縁がないのかもしれない。そう思いながら、毎朝鍵をかけて出勤し、夜に鍵を開けて一人帰宅する。その動作が、心の蓋もまた閉じてしまっているような気がしてならない。

人の人生の節目に関わるのに、自分には誰もいない

相続登記の手続きをしながら、亡くなった方の想いに触れることがある。婚姻届けの証人欄にある名前や、共有名義の不動産。そこには確かに誰かとのつながりがある。でも、僕自身はどうだろう。事務所で一人、書類をチェックしながら「自分には何が残るのだろう」と思う瞬間がある。人の人生の大事な場面には立ち会えるのに、自分の人生の中では誰も登場してこない。そんな違和感が、日に日に心に染みてくる。

登記の鍵は開けられるのに、心の鍵は閉じっぱなし

司法書士としてのスキルは年々上がっている。複雑な登記もスムーズに処理できるようになった。でも、自分の心の鍵はどうだろう。人には「こうすれば解決できますよ」と言えるのに、自分のことになると何も開かない。過去の失敗、誰かに拒まれた経験、そういう小さな傷が錠前を固くしているのかもしれない。「鍵はあるのに、鍵穴が見つからない」そんな感覚がずっと続いている。

事務員さんには見せられない本音

うちの事務員さんは、真面目でよく気がつく。僕にとっては貴重な存在だ。でも、彼女には見せられない本音がある。「先生、休日何してるんですか?」と聞かれて、「録画したドラマ見てるよ」と答えながら、実際はただぼーっと天井を見てるだけの日も多い。寂しさや空虚さは、なかなか他人には見せられない。でも、話してしまいたい気持ちが募る夜もある。

彼女がいるかと聞かれて「まあまあ」と誤魔化す日々

「先生って、絶対モテますよね〜」と軽いノリで言われても、冗談で返すしかない。「いやいや、そんなことないよ〜」と笑って、心では「そりゃ、そう見えるかもな」と苦笑してる。実際は、もう何年も誰かとちゃんと付き合っていないし、LINEもほとんど業務連絡ばかり。誰かと日常を分かち合うということが、遠い昔の話になっている。

優しさと孤独の板挟みに耐えるのも、もう疲れた

人にはできるだけ優しくありたいと思っている。でも、優しさって時に自分をすり減らす。誰にも文句を言わず、頑張ってしまう性格が、孤独を深めているのかもしれない。孤独を感じた夜に、誰かの優しさに甘えたいと思っても、それが叶わない。そんな夜が続くと、だんだん「もう誰にも優しくしなくていいんじゃないか」と思ってしまう自分が怖くなる。

鍵がなくても誰かと繋がっていたい

物理的な鍵がなくても、心がつながることで救われることがある。司法書士仲間の集まりや、昔の同級生とのLINEグループ、何気ないやりとりにホッとすることもある。直接会うわけでもない。でも、「誰かがいる」と感じられるだけで、少しだけ前向きになれる。人はやっぱり、一人では生きられないんだなと思う。

SNSでのつながりじゃ埋まらない現実

SNSではフォロワーがそれなりにいる。でも、それが心の支えになるかと言われると、そうでもない。いいねが付いても、会話が弾んでも、それは画面の向こうの話。鍵を持って訪ねてくるような人間関係とは、全くの別物だ。だからやっぱり、リアルで会える誰かが欲しい。鍵を渡せる、そして鍵を受け取れる関係が、やっぱり羨ましい。

司法書士仲間の集まりが、唯一の救いになることも

年に数回ある、地元の司法書士会の懇親会。気乗りしないときもあるけど、行ってみると意外と救われる。仕事の愚痴を言い合いながら、「おれも一人だよ」と肩を叩いてくれる同期がいる。家庭を持ってる人ばかりじゃないし、似たような悩みを持ってる人も案外多い。そう思うと、自分だけじゃないって実感できて、少しだけ楽になれる。

「おまえもか」と言ってくれた同期の言葉

ある日、同期にぽろっと「鍵、余ってんだよね」と話したら、「おまえもか」と笑ってくれた。その一言に、救われた気がした。人とつながるって、派手な言葉じゃなくてもいい。ただ「わかるよ」と言ってくれる存在がいるだけで、また明日も頑張れる。そんな瞬間が、僕にはたまに必要だ。

それでもこの鍵は捨てずに取っておく

今のところ、この鍵は渡す相手はいない。でも、それでいいとも思っていない。いつか、何かの拍子で誰かが僕の人生に入ってきてくれるかもしれない。そんな日が来るまで、鍵は錆びないように、ちゃんと保管しておく。いつでも渡せるように。もしかしたら、それが僕なりの希望なのかもしれない。

無意味に見えるけど、希望だけは捨ててない

合鍵を作るたび、「また無駄なことしたかな」と思う。でも、そう思う自分の奥には、ほんの少しだけ「誰かが来るかもしれない」という期待が残っている。その期待がある限り、人生はまだ閉じられていない気がする。だから僕は、今日も机の引き出しに鍵をしまって、明日もまた事務所の鍵を開けるのだ。

未来の誰かが「合鍵、ちょうだい」と言ってくれる日まで

もしそんな日が来たら、どんな顔をするんだろう。照れくさくて、うまく言えないかもしれない。でも、その日を夢見て、今日もまた一人で施錠して、そして開ける。誰かのためにではなく、自分のために。未来を開けておくために、心の鍵も、そっと磨いておこうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。