眠る前にだけやってくる静かな孤独に潰されそうになる夜
夜になると急に心がざわつく理由
昼間は忙しさに追われて、何も考えずに過ぎていく。それでも夜、布団に入って明かりを消すと、途端に頭がうるさくなる。やらなきゃいけないことを終えたはずなのに、心は休まらない。誰かと話すこともなく、今日一日を振り返る相手もいない。眠りに落ちる前のわずかな時間に、静かすぎる部屋で「このままでいいのか」と、答えの出ない問いが浮かんでくる。それが毎晩のように繰り返される。
一日を乗り切った後に訪れる空白
今日も仕事は山積みで、相談も登記もギリギリまで詰まっていた。事務員も忙しそうだったから、話しかける余裕もなかった。そんな一日を終えて帰宅すると、やるべきことは全部終わっているはずなのに、心がぽっかりと穴の空いたようになる。何かを達成した気持ちよりも、「また同じ一日が終わった」という実感だけが残る。時計を見て、「ああ、もうこんな時間か」と思うたびに、この空白がじわじわと広がってくる。
達成感がないまま日々が終わっていく
忙しいのに、何も手応えがない日がある。登記が無事に完了しても、ありがとうの言葉があっても、心の中には充実感が残らない。昔は「お前がいなきゃ困るよ」と言われるたびに、少し誇らしかった。でも今は、それすらも機械的なやりとりに感じることがある。達成感ってなんだったんだろうと思う。ただタスクをこなす毎日になっていないか、自分でもわからなくなる。
今日も何も変わらなかったと思ってしまう癖
毎日同じようなことを繰り返していると、「今日も結局、何も変わらなかったな」と思ってしまうことが増えた。小さな進歩はある。書類が一つ進んだとか、クライアントとの関係が少し良くなったとか。でも、それを噛みしめる余裕がないのか、単なる「やることリストの消化」として処理してしまう。変わらない日々が積もることで、余計に「孤独」が染み込んでくるのかもしれない。
孤独が身に染みるのはいつも布団の中
外ではそれなりに気を張っているし、仕事に集中していれば寂しさなんて感じない。でも、寝る前だけはどうしてもごまかせない時間だ。誰もいない部屋で、静かに横たわっていると、「ああ、俺は一人なんだな」と実感する。誰かに愚痴を聞いてほしいわけでもなく、ただそばにいてくれる人がいれば…と思ってしまう。そういう夜が、年々増えている気がする。
誰とも言葉を交わさない日が増えた
最近ふと気づいたんだけど、事務所以外で誰かと喋る日がほとんどない。コンビニの店員さんに「袋いりません」と言うくらいで、一日が終わっていく。昔はそんなことなかった。友達と飲みに行ったり、誰かから電話が来たり、週末に予定が入ってたり。でも今は違う。静かすぎる生活が、まるで当たり前のように馴染んでしまっている。慣れてしまった分、たまに無性に怖くなる。
眠るだけの時間が怖くなる瞬間
本当はただ寝るだけのはずなのに、その時間が一番苦手だ。布団に入った瞬間から、不安や後悔や、なぜか昔のどうでもいい出来事までが頭の中をグルグル回り出す。なぜあのとき、あんな言い方をしてしまったんだろう。なぜあの人と連絡を絶ってしまったんだろう。そんなことばかりが出てきて、眠気も吹き飛ぶ。体は疲れてるのに、心が休まっていないというのは、本当にしんどい。
画面の向こうにいる誰かを探してしまう
そんな夜には、ついスマホを開いてしまう。SNSをスクロールして、誰かが何かを呟いているのを眺める。でも、自分からは何も発信できない。ただのぞき見るだけ。誰かの幸せそうな投稿や、充実した日々を綴った文章を読むたびに、「自分だけが取り残されているんじゃないか」という気持ちになる。そして結局スマホを閉じて、また孤独に戻る。そんなことの繰り返しだ。
仕事が忙しいのに心が満たされない矛盾
周りから見れば、仕事もあって、経営も成り立っていて、恵まれていると思われているのかもしれない。だけど、自分の中では何かが欠けている。やることはあるのに、やりがいが感じられない。それは、仕事の性質が変わったのか、自分が疲れてしまったのか…はっきりとはわからない。ただ、昔のような情熱は、もう残っていない気がする。
依頼はあるのに心は疲弊していく
ありがたいことに、依頼は定期的に入ってくる。それに対応していれば、表面上は問題なく過ごせる。でも、心の中では疲労感が抜けない。どんなに丁寧に対応しても、伝わらないこともあるし、クレームに近い反応を受けることもある。そんなとき、自分の存在意義ってなんだろう、と考えてしまう。人の役に立つ仕事だと思って始めたはずなのに、いつからか「こなすこと」が目的になってしまっている。
頑張っても誰にも見られていない気がする
仕事をしていて一番虚しいのは、「頑張っても誰にも気づかれない」と感じる瞬間だ。仕事なんて自己満足だと言われればそれまでだけど、誰か一人でも見ていてくれたら、それだけで救われることがある。でもこの仕事、基本的に裏方だ。問題が起きなければ感謝もされず、トラブルがあれば矢面に立たされる。そんな日々が続けば、誰だって擦り減っていくと思う。
ふとした瞬間に浮かぶもしもの人生
眠れない夜には、決まって「もしも違う人生を選んでいたら」と考えてしまう。別に後悔しているわけじゃないけれど、あのときの選択次第で今とはまったく違う道を歩んでいたのかもしれないと思うと、少しだけ心がざわつく。司法書士じゃない人生、自営業じゃない人生、結婚していた人生。そんな妄想が、夜の静けさに紛れてふと顔を出す。
別の道を選んでいたらという妄想
例えば、高校時代の友人の中には、会社勤めで家庭を持っているやつもいる。そいつのSNSを見るたびに、「もし自分がそっちの道を選んでいたら」と考える。定時で帰って家族と夕飯を囲む生活。子どもの運動会でビデオを回す週末。自分には無縁の世界だと思いながらも、ほんの少し、羨ましさを感じるときがある。そしてすぐに「いやいや、俺には無理だ」と打ち消す。それでも残るのは、言いようのない寂しさだ。
あのとき結婚してたらと考える夜
一番リアルに想像してしまうのは、昔の彼女とのもしもの未来だ。結婚の話も少し出ていたけど、タイミングが合わなくて別れた。今どうしてるのかは知らないけど、たぶん幸せにやってるんだろう。もし結婚していたら、夜のこの静けさはなかったかもしれない。隣に誰かがいるだけで、こんなにも違うものなのかなと思ってしまう。でも、それも今さら取り戻せるものじゃない。
それでもまた明日も仕事に行く理由
ここまで書いてきて、自分で読んでても面倒くさいやつだなと思う。でも、そんな自分でも、毎朝ちゃんと起きて、事務所に向かう。誰にも褒められなくても、誰にも見られてなくても、やるべきことをやる。それが、今の自分にできる唯一の強さなのかもしれない。たとえ孤独でも、役目があるというのは、案外心を支えてくれるものだ。
誰かの役に立っているというかすかな実感
たまに、「あのとき助かりました」と言ってもらえることがある。その一言で、数週間のしんどさが報われることがある。だからこそ続けられているんだと思う。人に感謝されるって、やっぱり大きい。たとえ日常の9割が孤独でも、その1割があるから、やっていける。司法書士なんて地味な仕事だけど、誰かの人生の一部に関われているという感覚が、自分を支えている。
ひとりでもやれるという意地の正体
最後に残るのは、たぶん意地なんだと思う。「ひとりでもやれる」「誰にも頼らなくても生きていける」そう思いたい気持ち。それが支えであり、同時に足かせでもある。でもこの意地があるから、今の自分がある。いつかは誰かと一緒に過ごす未来があればいい。でも、もしそれが来なくても、せめて自分だけは、自分を見捨てずにいたい。そう思って、また明日も机に向かう。