遺産に触れぬ者の告白

遺産に触れぬ者の告白

朝の封書とコーヒーの匂い

差出人不明の依頼状

朝、事務所に届いた一通の茶封筒。切手の消印は隣町、差出人欄は空白。コーヒーをすすりながら開封した俺は、そこに綴られた数行の文章に眉をひそめた。 「十年前に相続放棄した土地が、今さら俺の名義になっている。調べてほしい」とだけあった。 雑誌の読者投稿かと思うような唐突な話だったが、そこには古びた登記簿のコピーが同封されていた。

サトウさんの冷たい分析

「これは、放棄したにもかかわらず登記が戻ってるってことですね」 コーヒーの香りとは対照的に冷静な声。いつものようにPCの前に座るサトウさんが呟いた。 「誰かが操作したのか、それとも放棄自体が形式的だったのか、興味深いですね」 その興味深いという言葉が、俺にとっては地雷だった。やれやれ、、、また厄介な案件に足を突っ込むことになりそうだ。

放棄されたはずの権利

十年前の相続放棄届出書

市役所で原本の閲覧を申請した。確かに依頼人の名前で相続放棄の手続きがされていた。 家庭裁判所の受理番号もあり、形式的には完全に放棄されている。 だが、放棄されたはずの土地の登記がなぜか彼の名義に戻っていたのだ。しかも最近の日付で。

登記簿に残された違和感

登記簿を精査していくと、法務局の記録にある「登記原因」が、どこか奇妙だった。 「相続放棄解除」と書かれていたのだ。そんな用語、司法書士試験でも見た覚えがない。 「サトウさん、こんな登記原因、見たことある?」と聞くと、「フィクションならあります」とだけ返された。

遺産を狙う影

名義変更された農地

問題の土地は、かつて依頼人の父が所有していた山あいの農地だった。 だが、その土地は十年前に放棄されたはず。にもかかわらず、最近になって突然、依頼人の名義で登記が復活していた。 しかもその数日後、その土地を担保に小規模なローン契約が組まれていた。

旧地主の息子が語る過去

町の古老のような人物が語ってくれた。「あの土地には地下水が流れていてね、最近、水源として業者が狙ってるって噂だよ」 まさかと思いつつ、法務局で登記を見直すと、確かに水利権に関する記述が増えていた。 誰かが、この放棄されたはずの遺産に再び価値を見出し、それを利用しようとしている。

古い実印と偽造の痕跡

筆跡鑑定の依頼

依頼人が提出した実印と、登記に使用された書類の印影が明らかに違っていた。 押印位置、朱肉の濃淡、そして紙質。これは、誰かが実印を模して書類を作った可能性が高い。 筆跡鑑定士に依頼したところ、「微妙だが、別人の可能性が高い」との結果が出た。

消えた戸籍謄本

さらに不審なことに、依頼人の戸籍謄本が役所の保存期限を待たずに「誤廃棄」されていた。 誤廃棄なんて言葉は便利な隠れ蓑だ。戸籍がなければ、相続人かどうかも検証が難しい。 誰かが意図的に消したとしか思えなかった。

やれやれ、、、やっぱり面倒だ

俺は机にうずくまり、眉間を押さえた。 コーヒーはすでに冷め、サトウさんは黙って紅茶を淹れている。 「でもここまで来たら、最後までやるしかないですね」と言われたら、俺には頷く以外の選択肢はなかった。

町の噂と裏の土地取引

空き家バンクの落とし穴

町の「空き家バンク」制度に乗じて、複数の物件が不正に名義変更されていた。 調査を進めると、問題の土地もその一環で操作されたことが分かってきた。 自治体と地元の不動産業者がグルになって、放棄された土地を合法的に見せかけて処分していたのだ。

サザエさんのオープニングに隠された伏線

くだらない話かもしれないが、事件の構図はどこか『サザエさん』のオープニングに似ていた。 誰かが魚を落とし、それを次々と他人が拾い、最後はカツオが奪って逃げる――そう、責任が転がされ続ける構造だ。 「魚を拾ったのが俺なら、最後に落とすのは誰だろうな」と呟いて、我ながら妙な例えだと思った。

嘘を継ぐ者たち

甥の証言と矛盾する供述

依頼人の甥が、「おじさんは土地を欲しがってた」と証言した。 だが、依頼人はそんなことを一度も言っていない。供述調書には不自然な訂正跡が残っていた。 どうやら誰かが裏で証言内容を操作していたようだ。

銀行口座の動き

土地担保に組まれたローンの入金先が、第三者名義の口座であることが判明した。 口座の名義人は、元々放棄された土地の近隣住民だったが、なぜか現在は不動産会社の顧問を名乗っている。 点と点が線になりつつあった。

証拠は登記に残っていた

法務局の古い記録

最後の鍵は、法務局に保管されていた「閉鎖登記簿」だった。 そこには、十年前に行われた一連の抹消登記の中に、なぜか日付の整合性が取れない修正履歴があった。 実は、当時の担当者が私的に修正を加えていた可能性が浮上した。

サトウさんが見つけた決定的事実

「この地番、実は合併前の古地番でしか登記されてないです」 サトウさんが指差した帳票には、誰も気づかなかった盲点が記されていた。 合併前の旧地番で復活登記がされていたため、誰も怪しまず名義変更が進んでいたのだ。

最後に笑うのは司法書士

依頼人の涙と真実

調査結果を告げると、依頼人は肩を震わせて泣いた。 「本当に、放棄したと思っていたんです。もう、終わったと思っていたのに…」 司法書士である俺は、黙って手続きを戻す方法を説明した。それが、俺の仕事だから。

不動産登記法が守ったもの

最終的には、法務局も調査に応じ、不正登記は抹消された。 旧地番の扱い、委任状の不備、そして印影の不一致――登記法の一つ一つが、真実への道をつないでいた。 やはり、登記というのは信頼の記録なのだと痛感した。

事件のあとで

コーヒーと文庫本と独り言

「結局、あの甥が一番怪しかったってことか…」 午後の静かな事務所で、冷めたコーヒーを口にしながら一人呟いた。 文庫本を開くと、ルパン三世の「俺たちの獲物はいつも裏切るんだよ」という台詞が目に飛び込んできた。

シンドウのつぶやきと静かな夕暮れ

夕暮れの事務所、シャッターを下ろす音が静かに響く。 「やれやれ、、、もう少し平和な日常が続けばいいんだがな」 サトウさんは無言で片付けを続けていたが、わずかに口元が笑ったような気がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓