休日は誰からも連絡が来ないけど来るフリをしてます
休日なのに休まらないという現実
カレンダーに「予定なし」と表示されている日曜日。誰とも会わず、電話もLINEも来ない。そんな休日に限って、逆に心がざわざわすることがある。スマホを机に置いても、つい何度も画面を見てしまう。通知が来るフリをして、ちょっと顔をしかめたり、メッセージを打つふりをしてみたり。自分でも痛々しいなと思いながら、そうしないと「完全にひとりぼっちだ」と思ってしまいそうで怖いのだ。休みなのに心が休まらない――そんな感覚、司法書士という孤独な仕事をしているからこそ、余計に沁みるのかもしれない。
スマホを手放せない理由
本来、休日というのはスマホから離れて過ごすものかもしれない。でも、自分にとってスマホは「他人との接点を保つための命綱」だ。依頼人からの急な連絡が来ることもあるし、登記の進捗に関しての確認連絡が入ることもある。そう思って手元に置いているが、実際はまったく鳴らない。ただの言い訳だ。LINEのアイコンを見つめながら、「そろそろ誰かが頼ってくれてもいい頃じゃないか?」と勝手に思ってしまう。でも現実は静かで、通知音ひとつ鳴らない部屋に、ため息だけが響いている。
通知が鳴らないと不安になる
以前、スマホを家に置き忘れて事務所に行った日があった。その日はなんとも落ち着かず、仕事にも集中できなかった。「もし大事な連絡が来てたらどうしよう」と、頭の中で何度も不安がループする。結局、何の連絡も来ていなかったのだけれど、その沈黙がかえって傷ついた。つまり、心のどこかで「誰かに必要とされていたい」という欲求があるのだ。司法書士としては冷静沈着であるべきなのに、人としては不安定なバランスで日々を生きている。連絡が来ないときほど、「誰にも必要とされていない気がする」――そんな不安が顔を出す。
誰にも頼られていない気がする瞬間
昔は「誰からも頼られない」ことが、自由で気楽に感じていた。でも年齢を重ね、責任を背負う立場になると、逆にそれが空虚に思えるようになってきた。仕事の連絡が多すぎても困るくせに、ゼロだとそれはそれでつらい。まるで砂漠に一人立っているような感覚だ。風が吹いても誰の声も届かない。そうなると、自分の存在意義が揺らぐ。今ここにいても、いなくても大して変わらないのでは?――そんな思考にすらなってしまう。だから、つい「誰かから連絡が来るフリ」をして、心のバランスを取ってしまうのだ。
誰かから連絡が来るフリをしてしまう理由
「そんなことしても虚しいだけだよ」と言われることもある。でも、休日に誰とも接点がないという事実を認める方が、もっとつらいのだ。自分は誰かに必要とされている――そう思えるだけで、生きる力になる。だから、スマホを耳に当てて「うん、わかった。じゃあ後で連絡する」と独り言のように話すこともある。自分でも滑稽だと思うが、それが自分なりの精神安定法なのだ。こうでもしないと、やってられない時がある。
“忙しい人”でいたいという見栄
「忙しい」と言える人間は、それだけで社会の一部にいる感じがする。逆に、「暇です」と言うと、一気に距離を置かれるような気がする。司法書士という職業柄、頼りにされる立場でいなければならないというプレッシャーもある。だから、つい「今日も電話が鳴って大変でさ」などと、事務員にも嘘を交えて話してしまうことがある。でも実際は、誰からも連絡は来ていない。忙しいフリで保っているプライドが、自分の中にひっそりとある。
元野球部の名残かもしれないプライド
中学高校と野球部に所属していた頃、常にチームの誰かと関わり、声を出し合い、支え合っていた。あの頃の「つながり」が、今の孤独とやけに対照的に思える。だからか、「誰かとつながっていたい」という感情が強く残っている。グラウンドでかけられた「ナイスプレー!」の声が、今では幻のように思える。あの声の代わりを、スマホの通知音で埋めようとしている自分がいる。それだけ、今の自分には声をかけてくれる誰かが足りていないのだ。
周りに弱さを見せられない性分
司法書士という仕事は、信頼と正確さが命。だからこそ、感情的になることや弱音を吐くことはあまり良しとされない。結果として、心の中で抱えている不安や孤独は表に出せず、どんどん内側に溜まっていく。人に頼ることも苦手だし、プライドも邪魔をする。そうやって「大丈夫なフリ」を続けていくうちに、だんだん自分がどこに向かっているのかわからなくなってくる。ただ、そんな自分を誰かが理解してくれるだけで、少しだけ救われる気がするのだ。
事務員さんとの距離感と孤独
たった一人の事務員さんがいてくれることは、本当にありがたい。ただ、彼女(または彼)との関係には、やっぱり一定の距離がある。自分の愚痴や弱音をそのままぶつけるわけにもいかない。逆に気を遣わせてしまうし、職場の空気が悪くなるのも避けたい。だからこそ、余計に孤独を感じる場面が多くなってしまう。せっかく人がいても、本音を言えないというのは、結構こたえる。
優しさと不器用さが空回りする日々
事務員さんにはなるべく働きやすい環境を提供したいと思っている。でも、自分の言い方が強かったり、逆に遠慮しすぎて要望が伝わらなかったりで、うまくいかないこともある。たとえば、休憩のタイミング一つとっても、「今は話しかけちゃダメかな?」と思わせてしまっているかもしれない。優しさが空回りしてしまうと、結果として誰にも頼れない状態を自分で作ってしまっている。まさに悪循環だ。
「先生」と呼ばれることの重さ
司法書士として「先生」と呼ばれる機会は多い。でも、その呼び方にふさわしいだけの人間かと言われると、自信がない。むしろ、そう呼ばれるたびに、自分の中の不安や孤独が増幅されていくような気さえする。「先生=強い人」みたいなイメージがあるからこそ、本音や弱音を出しにくい。結果として、誰にも頼られない休日にすら、「先生らしく」スマホを握って、誰かからの連絡を待ってしまうのだ。
誰かと雑談したいだけの時もある
別に仕事の話じゃなくてもいい。ただちょっとした雑談――たとえば「今日暑いですね」とか「最近どこか行きました?」みたいな、そんな話ができる相手がほしい時がある。でも地方で一人で事務所をやっていると、そういう相手もなかなかいない。そう思ってカフェに行っても、なぜか店員さんにすら話しかけられない自分がいる。たぶん、孤独に慣れすぎてしまったのかもしれない。
少しずつでも楽になるために
こんな日々をただ受け入れるだけじゃなく、少しでも心を軽くする方法を模索していきたい。といっても、急に変われるわけじゃないから、まずは「自分の弱さを受け入れる」ところから始めてみようと思う。誰にも頼られない休日があることも、それはそれで仕方ない。でも、そんな自分を笑い飛ばせるようになれたら、少し楽になれる気がするのだ。
誰かに頼るという選択肢
最近、SNSで同業の司法書士さんの投稿を読んで、「あ、自分だけじゃないんだな」と感じることが増えた。もしかしたら、自分も誰かに声をかけてみればいいのかもしれない。頼るのが苦手でも、一言「最近どうですか?」と送るだけで、何かが変わるかもしれない。自分が発信することで、誰かが安心してくれるなら、それもまた一つのつながりだと思う。
孤独と向き合うより寄り添う
孤独をなくそうとするのではなく、孤独とうまく付き合っていく。そんな発想の転換が、自分には必要だったのかもしれない。「誰かから連絡が来るフリ」をしていた自分を、今は少しだけ笑えるようになった。誰からも連絡が来ない日があっても、自分自身とつながっていられれば、それでいい。そんなふうに思えるようになったのは、たぶん、少しだけ心が柔らかくなってきた証拠だと思いたい。