忙しさに紛れて気づかなかった変化
日々の業務に追われるうちに、自分の中で何かが少しずつ変わっていった気がする。でもその“何か”が具体的に何だったのか、はっきりとは言えない。ただ一つ確かに覚えているのは、以前はもっとぐっすり眠れていたことだ。布団に入れば数分で寝息を立てていた頃が、遠い記憶になっている。いつの間にか、眠ることが「作業」になり、「任務」になり、「苦行」になった。眠りに落ちることすら仕事と同じくらい難しくなってしまった。
帰宅後も気が張ったままの夜
夜、事務所を出たあとも、頭の中では依頼者の顔や明日の予定がぐるぐる回っている。事務員は定時で帰るが、自分はコンビニで弁当を買って、事務所に戻って残業することもある。ようやく家に帰って風呂に入っても、完全には気が抜けない。寝ようとすると、妙に耳が敏感になって、時計の針の音さえ気になってしまう。自分のいびきすら「邪魔だな」と感じる始末だ。休んでいるようで、どこか常に警戒している自分がいる。
テレビの音が子守唄代わりになる日々
音のない空間にいると、不安が膨らむ。だから寝る前にテレビをつける癖がついた。再放送のドラマや通販番組を、ただぼんやりと眺めているだけ。内容なんて頭に入ってこない。ただ、人の声が流れていれば、なんとなく安心する。いつしかそれがないと眠れなくなった。部屋の明かりを消せないまま、画面の明滅を目に入れながら、浅い眠りに身を沈めていくのが、当たり前になっていた。
寝る時間があるのに眠れないという矛盾
「早く寝ればいいのに」とよく言われる。でも寝る時間が確保できていても、眠れるとは限らない。疲れていないわけじゃない。むしろ毎日ぐったりだ。それでも布団に入っても眠れない。目は閉じているのに、脳はぐるぐる働き続けている。「あの依頼、明日確認しなきゃ」「あの件、あの言い回しで良かったかな」そんな後悔や不安が、眠気よりも強く心にのしかかる。
昔は布団に入ればすぐだった
思い返せば、学生時代は寝ることに苦労した記憶なんてほとんどない。疲れた体が自然と眠りに引きずり込んでくれていた。試合後なんて、シャワーも浴びずにそのまま寝落ちしていたこともある。だけど、あの頃のような“無心で眠る”という感覚は、今では夢のように感じる。自分が変わったのか、生活が変わったのか、それとも時代のせいにしてしまいたいのか。
野球部時代は倒れるように眠れた
夏場の練習後は、体中が筋肉痛で、意識が飛ぶように寝ていた。呼吸を整える間もなく、気がついたら朝。寝つきが悪いなんて発想すらなかった。身体が限界まで動いていたからこそ、余計な思考が入り込む隙がなかったんだと思う。今は逆に、身体よりも頭が先に疲れる。だから余計、眠れなくなる。思考が止まらない夜は、本当にしんどい。
社会人になってからの変化に気づけなかった
就職してからも最初のうちは問題なく眠れていた気がする。でも、どのタイミングで「眠りにくくなった」のかは、はっきりとは覚えていない。たぶん、細かい不安が積もっていって、気づいたら眠れない体質になっていた。寝つきが悪いことを「甘え」と思っていた時期もあった。でも今ではそれが、心のサインだったのかもしれないと感じている。
一人で抱え込みすぎていたのかもしれない
独身で一人暮らし、そして一人経営。日々の業務も判断も、基本的に自分ひとりで処理する生活が当たり前になっていた。それが「男らしい」なんて思っていたけど、今思えば、ただの不器用だった。相談できる人がいないって、こんなにも精神に負荷がかかるのかと、最近になってようやく気づいた。
相談相手がいないことの重さ
たとえば、「この書類、これで合ってるかな」といった些細な確認でも、誰かがいてくれたらずいぶん違うと思う。事務員に聞けばいいのかもしれないが、彼女にも限界がある。プライベートな不安や将来の悩みなんて、気軽に話せる相手じゃない。夜、ひとりで考え込む時間が長くなっていくほど、眠気はどこかへ消えていく。
事務所での会話は最低限
うちの事務所は、基本的に静かだ。業務連絡以外の会話は少ないし、笑い声が響くようなこともない。たまにコンビニのレジで「温めますか?」と聞かれるだけで、妙に安心することがある。自分は今、誰かに声をかけてもらうことすら不足しているのかもしれないと思うと、ちょっと情けなくなってくる。
愚痴を言う相手がいないという孤独
飲みに行って愚痴をこぼす相手もいない。昔の友人とは疎遠になり、家族とは必要最低限の連絡しかしていない。話すことがないから話さないのか、話す元気がないからなのか…。でも、愚痴を口に出すことでスッと気持ちが軽くなることもある。そういう機会を自分から遠ざけていたのかもしれない。
誰かに話すだけで眠れた夜もあった
昔、ほんの短い電話で「今日も疲れたね」と言い合うだけで、なんだか安心して眠れた記憶がある。相手がどうとかじゃなく、自分の声が誰かに届いたという実感。それだけで、夜の孤独が少しやわらぐ。今はその“相手”がいない。誰かと話すだけで、心が軽くなることがあるってこと、もっと大事にしておけばよかった。
家族にも弱音を見せられなかった
「しっかり者」として見られたい、という見栄があったのかもしれない。親や兄弟にも、なるべく余計な心配はかけたくないと思っていた。でも、結局はそれが自分を苦しめていた。頼るってことが、弱さじゃないって、頭ではわかってる。でも、実際にはそれが難しい。だからこそ、眠れない夜が積み重なっていく。
眠れないことを恥ずかしいと思っていた
「寝られないなんて、根性が足りないだけだ」と昔は思っていた。そんな考えが、自分の首を絞めていた。眠れないことは、恥でも怠けでもなく、ちゃんと向き合うべき問題なんだと、ようやく認められるようになった。今もすぐに眠れるわけじゃないけど、少なくとも、自分を責める夜は減ってきた気がする。
無理していたことに気づくのはいつも遅い
仕事は真面目にやってきたつもりだ。だけど、「頑張ること」だけが正義だと思い込んでいた節がある。眠れなくなるくらいの無理を、なぜ誰も止めてくれなかったのか。いや、本当は気づいていたのに、自分が聞く耳を持たなかっただけなのかもしれない。
身体は正直にサインを出していた
頭では平気だと思っていても、身体は正直だ。背中が重い、呼吸が浅い、胃が痛い、目が覚める…。そういう小さなサインは、ずっと前から出ていた。でもそれを「気のせい」と片付けていた自分がいた。今になって、それらが全部つながって「眠れない」という結果になっていたのだと、ようやく理解している。
眠れない夜に背中が語る疲労
ときどき、布団の中で背中がジンジンと痛むことがある。何もしていないのに、筋肉が張っている感じ。これはもう、「疲労」ではなく「蓄積」だ。整体に行っても一時的。根本的に休まなければ、回復しない。そんな当たり前のことに、なぜ今まで目を向けられなかったのか。後悔は尽きない。
アラームの前に目が覚める恐怖
一番つらいのは、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまう朝だ。まだ寝ていたいのに、身体が先に緊張して目を覚ましてしまう。仕事が始まる何時間も前から、頭がスタンバイしてしまっているような感覚。そんな生活が続けば、どこか壊れてしまうに決まっている。なのに、また同じ毎日を繰り返してしまう自分がいる。