静かすぎる一日に思うこと
今日は、朝からずっと静かだった。電話も鳴らないし、メールの通知も一切ない。急ぎの案件もなければ、雑談を交わす相手もいない。事務所に一人でいるような気分になる。もちろん事務員はいるし、書類も山積みになっている。でも、誰にも呼ばれない、誰からも声をかけられない時間が続くと、「あれ、自分って今、必要とされてないのか?」という思いがふとよぎる。この感覚、誰かに話せるようで、誰にも話せない。
メールも電話もない日が一番つらい
たとえば、依頼が立て込んでいる時は心身ともに疲れるが、それでも「ああ、自分に頼ってくれてるんだ」と感じることができる。逆に何の連絡もない一日は、体は楽なはずなのに、心がどこまでも沈んでいく。スマホを何度も確認して、通知が来てないか確認してしまう。誰にも求められてない日って、こんなにも孤独なんだと、改めて思い知らされる。元野球部の頃は、試合に出なくてもベンチから声をかけられたり、名前を呼ばれるだけで、居場所があった。
声をかけられないことは存在を否定されるようで
人は誰かに必要とされたい生き物だ、なんて話を聞くけれど、まさにそれだと思う。小さな「先生、ちょっといいですか?」の一言が、どれだけ心を支えてくれるか。その一言がない日は、存在を感じられない。事務員にさえ「お先に失礼します」と言われるだけで、「今日、自分はここにいた意味があったのか」と疑ってしまうこともある。
事務所には人がいるのに孤独
物理的には一人じゃない。けれど、精神的には完全に孤立していると感じる日がある。事務員は真面目に仕事してくれてるし、無駄なおしゃべりをしないのは良いことだ。でも、それが逆に寂しさを生む。何気ない会話や雑談が一つもないと、ただの「仕事場」でしかなくなってしまう。
事務員との距離感に悩む日々
気を使って話しかけないのか、それとも単に興味がないのか。どちらなのかはわからない。でも、こちらから話しかけても反応が薄いと、「もう黙ってた方がいいか…」となってしまう。昔はもう少し気軽に話せた気がするけれど、お互い忙しさに飲まれて、心の余白がなくなってしまったのかもしれない。
気を遣って話しかけないのか 興味がないのか
「事務所では余計な話はしない方がいい」と思っているのかもしれない。でも、こっちは誰かと人間らしい会話をしたい。登記の話や手続きの進捗以外の、ほんの数分でも「今日、寒いですね」とか、そんな一言がほしい。それだけで、ああ、自分はここに居てもいいんだと思えるのに。
こちらから話しかけても続かない会話
話しかけてみても、相手の返事が「はい」「そうですね」で終わってしまうことがある。その瞬間、「あ、もう話すのやめよう」と感じてしまう。悪気がないのはわかっている。忙しいのかもしれないし、ただ話下手なだけかもしれない。でも、こちらの心がすり減ってるときには、その一言が刺さる。
登記の仕事に感謝の言葉は少ない
司法書士の仕事は、目立たない裏方だ。登記が無事完了しても、それが「当たり前」と思われているから、感謝の言葉がもらえることは少ない。トラブルがあったときには連絡がすぐ来るけど、何も問題なく終わったときには、誰からも連絡は来ない。
ありがとうより先に出るクレーム
たとえば、登記完了の報告メールを送った直後に「ところで登録免許税ってこんなに高かったっけ?」なんて返信が来ることがある。正確に説明していても、後から何かしら言われることは多い。ありがとう、の一言より先に疑問や不満が届くと、「自分はミスをしないためだけにここにいるのか」と思ってしまう。
「あなたに頼んでよかった」と言われた記憶
時には感謝されることもある。でも、それは年に数回あるかどうかだ。だからこそ、その一言が忘れられない。「あのとき、先生にお願いして本当によかったです」と言われた時は、帰り道の足取りが違った。人は言葉で救われる。その日を励みに、また淡々と仕事を続けている。
必要とされないと 自分が何者かわからなくなる
自分の存在価値を、他者の言葉や反応に依存しているような気がしてならない。仕事を通して自分を認めてもらいたい。誰かに「ありがとう」と言ってもらいたい。その一心でここまで続けてきたけれど、それがない日は、自分が何者かわからなくなる。
仕事が終わっても達成感が湧かない
業務をすべてこなして帰路につく。でも、心は満たされない。何かをやり遂げたという実感がわかない。ただ「やるべきことをやった」だけの一日。それが毎日続くと、「何のためにこの仕事してるんだろう」と考えるようになる。
自分の存在価値を仕事で埋めようとすると危うい
気づけば、自分の価値を仕事でしか測っていなかった。誰かに頼られたい、感謝されたい、その欲求が肥大化していく。けれど、それが満たされないと、自分の存在すら危うく感じるようになる。それはとても不安定で、危険な考え方だと頭ではわかっていても、心はなかなか追いつかない。
昔の野球部だった頃の感覚を思い出す
あの頃は、勝っても負けても誰かと一緒だった。ミスしても「ドンマイ」と声をかけてもらえたし、ベンチにいるだけでも「お前が声出してくれると助かる」と言われた。必要とされることに、技術や立場は関係なかった。あの感覚を、今の仕事で感じられる日が来るだろうか。
あの頃は誰かと繋がっていた
高校のグラウンドで、泥だらけになりながら白球を追っていた頃。誰かがミスをしたら、みんなでカバーした。自分が失敗しても、誰かが背中を押してくれた。そこには「一人じゃない」という確かな実感があった。今は、その繋がりが恋しくてたまらない。
「お前が必要だ」と言われる喜び
たった一言で、人は生き返る。「今日、お前がいて助かったよ」――その言葉があるだけで、明日も頑張ろうと思える。司法書士の仕事でも、そんな瞬間がもっと増えればいいのにと願う。自分も、誰かにそんな言葉を届けられる存在でありたいと思う。