今日も登記と格闘中

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今日も登記と格闘中

朝イチから登記の波に飲まれる

朝のコーヒーを一口すする間もなく、パソコンを立ち上げた瞬間から戦いが始まる。登記関係のメールが山ほど届いていて、どこから手を付けていいのかわからなくなる。たった一人で切り盛りしているから、全部の処理を自分でやらなくてはいけない。45歳、元野球部とはいえ体力にも限界がある。朝から全力疾走しているような感覚で、気づけば昼になっていることもしょっちゅうだ。

メールの確認だけで1時間

「お世話になります。至急お願いできますか?」そんなメールが5通も10通も届く。緊急が重なると、もはや何が本当に急ぎなのか分からなくなる。ひとつひとつ目を通して、依頼の内容を読み解き、必要な情報を整理するだけで1時間以上かかってしまうこともある。自動化したい気持ちは山々だけど、結局、人の判断が必要な案件ばかりで、機械には任せられない。

依頼書と本人確認書類のチェック地獄

登記申請に必要な書類はとにかく多い。しかも依頼人によってフォーマットがバラバラで、こちらが確認して修正を依頼しなければならないことがほとんど。以前、登記原因証明情報に西暦と和暦が混ざっていたことがあり、それを見逃して法務局から補正通知が届いたときは、正直泣きたくなった。小さなミスが命取りになる世界で、集中力は常にMAX。だけど、年々その集中力がもたない。

補正通知に振り回される日々

せっかく提出した登記申請も、法務局から戻されることがある。いわゆる補正通知というやつだ。これが届くと、また一からチェックし直し、修正して再提出しなければならない。通知が来るたび、「そんな細かいことで?」とため息が漏れる。真面目にやっていても報われない瞬間が、司法書士の仕事には多い。

法務局の「細かすぎる」ご指摘

この間は、住所の番地にハイフンが入っていないというだけで補正を食らった。登記の本質には全く関係ない部分なのに、形式に厳しいのがこの業界だ。しかも、法務局によって指摘ポイントが微妙に違うのもやっかいなところ。「あっちではOKだったのに、こっちではNG?」そんなことも日常茶飯事だ。どこに合わせればいいのか分からず、まるでゴールのないマラソンを走っている気分になる。

何度も出すのが当たり前になってきた

慣れてくると補正通知が届く前提で動いてしまう自分がいる。「まあ一発で通ることなんてないよな」と。そんなあきらめが染みつくと、本来の正確性に対する意識が薄れていくのも怖いところだ。依頼人に説明するときも、「念のため、補正が来るかもしれません」と保険をかけるのが常套手段。プロとしてどうなんだと思いながら、そうせざるを得ないのが現実だ。

ミスはしていない…はずなのに補正

細部まで見直して、「これは完璧だ」と思って出した書類に補正がかかると、自信が揺らぐ。自分の判断が間違っていたのか、それとも基準が変わったのか。原因がわからない補正は、精神的にかなり堪える。実はそういうとき、前職の野球部時代の「納得いかない判定」みたいな感覚がよみがえる。「なぜ俺だけ…」という被害者意識が芽生えてしまう。

オンライン申請の便利さと罠

今ではほとんどの登記がオンライン申請になった。昔と比べて格段に便利になったけど、思いがけないトラブルも多い。特にデータのやりとりに関する制限やシステムの不具合には、何度も泣かされている。便利なはずのオンラインが、逆に作業を増やしている矛盾にイライラする日もある。

添付ファイルの容量制限で四苦八苦

PDFファイルを添付しようとして「サイズオーバーで送信不可」というエラーに何度遭遇したことか。スキャナーの解像度を下げたり、画像を圧縮したりと、登記業務とは無関係な作業に時間が奪われる。依頼人からは「早くして」と急かされるし、自分はファイルサイズと格闘しているしで、精神的にもかなりキツい。スムーズにいったことなんて数えるほどしかない。

圧縮しても足りないこのストレス

圧縮してもまだ大きいときは、内容を分割して再構成するという手間のかかる作業が待っている。それに伴って、ファイル名や構成も見直す必要があり、ひとつの申請にかかる時間が倍以上に膨らむこともある。「紙で送った方が早かったかもしれない」と思ってしまうことさえある。

紙に戻したくなる瞬間

電子化が進んでも、まだまだ紙の信頼感は根強い。ファイルが壊れたり、データが飛んだりするリスクを考えると、物理的に手元にある書類の安心感には敵わない。オンラインだから効率化できるという幻想に、いつまで付き合えばいいのか…正直わからなくなるときがある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。