独身司法書士の食卓は今日も明るくない
誰かと食卓を囲んだのはいつだったか、思い出せない。毎日の業務に追われ、気づけば夜。事務所を出るころには近くのスーパーも閉まっていて、残る選択肢はコンビニだけだ。20代のころは「好きなものを選べる自由がある」と前向きに考えていたが、今はもう「誰とも向き合わずに済む便利さ」に甘えているだけなのかもしれない。冷たい照明の下、買い物カゴにおにぎりとカップ麺を放り込む。それが今日の、そして明日の自分の食事風景だ。
仕事が終わるころには選択肢はコンビニしかない
登記の締切や相談対応、事務処理に追われて時計を見れば21時。事務員はとっくに帰っていて、静まり返る事務所で一人、キーボードの音だけが響く。外に出ても、商店街はシャッター通り。唯一明かりを灯すのが駅前のコンビニで、その存在が救いにも見える。高校時代、野球部で汗まみれになった練習帰り、仲間と食べたコンビニの唐揚げ棒はごちそうだった。でも今は、孤独な背中を照らす唯一の灯りでしかない。
温めますかの優しさにほだされる
「温めますか?」とレジの店員に聞かれるだけで、なんだかほっとする。誰かに気にかけられることが、こんなにもありがたいなんて。相手はマニュアルどおりに言っているだけだと分かっていても、それでも温められるのは弁当だけじゃない気がする。時折、学生らしき若い女性が笑顔で対応してくれると、それだけで「今日も頑張って良かった」と思ってしまう。哀れだとは自覚しているが、それが今の心の支えだ。
店員の年齢と自分の孤独を重ねてしまう夜
レジに立つ若い店員の年齢をふと考えてしまう。「この子、二十歳くらいかな…」なんて思うと、自分が45歳だという事実が突き刺さる。もし結婚していれば、娘がこのくらいの年齢でもおかしくない。そう思った瞬間、袋を受け取る手が一瞬止まる。今日もまた、誰とも言葉を交わさず、テレビの音だけが響く部屋に帰るのだ。唐揚げ弁当とストロング缶が唯一の楽しみ。それが司法書士という肩書の、実態だったりもする。
自炊を諦めた日から歯車が狂い出した
昔はそれなりに自炊もしていた。味噌汁を作り、卵焼きに挑戦した日もあった。でも、仕事に追われるにつれ「洗い物が面倒」「買い出しが手間」と言い訳が増えていき、気づけばキッチンにはホコリが溜まり、冷蔵庫には水しか入っていない。忙しさと孤独が、自炊という習慣を奪っていった。あの頃ちゃんと続けていれば、少しは違ったのかもしれない。でも「たられば」は一番虚しい。
炊飯器がただのオブジェになった瞬間
事務所の隅に置いた炊飯器、最初は「昼食を節約するぞ」という意気込みで買った。だが半年経っても使ったのは最初の数回だけ。今ではホコリを被っていて、上に書類を乗せている始末。同じように「健康のため」と買ったフライパンも、コンビニの袋の下敷きだ。買うときはいつも“これで変わる”と信じている。けれど、結局は続かない。そんな自分に毎回がっかりするけれど、それもまた慣れてしまっている。
誰かのために作る料理が一番うまいという現実
誰かのために作る料理には、意味がある。自分のためだけでは頑張れないが、家族や恋人、友人のためなら手間を惜しまない。昔付き合っていた彼女のために作ったオムライス、あれは自分史上最高にうまくできた一品だった。今はもうそんな相手もいないし、あのフライパンはサビて使えないかもしれない。料理をしないというより、誰かと食べる場がないから料理ができない。それが本音だ。
忙しすぎて夕飯すら義務になった
「食べる」という行為が、楽しみではなく“作業”になって久しい。空腹感に従って口に押し込むだけで、味わうことはあまりない。ましてや「今日は何食べようかな」なんて悩む余裕すらない。食事ですら効率を優先する自分に、「これでいいのか」と疑問が浮かぶこともあるが、今さらどうにもできない。効率よく栄養を摂る。それが司法書士の夕飯スタイルだなんて、誰が決めたんだろう。
登記の締切と空腹のはざまで
「今日中に処理してほしいんです」と午後4時に言われた案件を、夜までかかってようやく片付けたとき、すでにお腹はぺこぺこ。けれど満腹よりも、まずは処理完了という達成感が勝る。その後で手に取るのは、カロリーメイトと缶コーヒー。これだけで何とかなる。そう思い込んでいるが、内臓は悲鳴をあげているかもしれない。司法書士という仕事は、時に身体のことすら後回しにさせる職業だと実感する。
おにぎりをかじりながらPDFを確認する日常
電子申請の画面を前に、おにぎりを片手にPDFを睨む姿は、もはや日常の風景。食べることと働くことが同時進行なのが、今の僕の生活リズムだ。かつて野球部時代は、栄養管理にうるさかった自分が、いまやコンビニの海苔の切れ端にさえ栄養を感じてしまう始末。「健康って何だっけ」と苦笑しながら、またひと口。この暮らしに慣れるのが怖い。けれど、それが現実でもある。
食事も書類も噛み締める余裕がない
仕事の書類を1ページずつ丁寧に確認する時間はあるのに、なぜかご飯を味わう時間はない。味噌汁の香りに癒やされる時間、白米の甘さに感動する瞬間、それらがすっぽり抜け落ちている。最近では「腹に入れば何でもいい」と思ってしまうこともある。でもふとした瞬間、「誰かと食事をする時間って、どれだけ貴重だったのか」と胸が詰まる。食事はただの栄養補給じゃない。誰かと分け合う時間こそが、本当の意味だったのだ。