誰にでもある問いが怖くなった瞬間
「今、何の仕事してるの?」——ほんの何気ない一言が、ここ最近、僕にとっては重たい刃物のように感じることがある。地方の小さな司法書士事務所を一人で切り盛りしていて、決して無職というわけでもない。でも、なぜか「職業を聞かれる」ことに妙な抵抗感が湧くようになってしまった。若い頃には「司法書士です」と胸を張って答えていたのに、今ではその言葉を飲み込むことが増えている。自分の仕事に誇りがないわけじゃない。ただ、「それで食べていけるの?」とか、「最近はAIが取って代わるんじゃないの?」なんて言われると、余計なお世話だとわかっていても、心の中で何かが揺れる。
「今何してるの?」が胸に刺さる理由
友人と久しぶりに会ったときや、親戚の集まり、ちょっとした飲み会など、世間話の流れで当然のように飛んでくる「今、何してるの?」という質問。それに対して「司法書士やってます」と答えたときの反応が、最近どうにも重たい。「へえ、なんか難しそうな仕事だね」って返されるだけならいい。でも、そこで会話が止まってしまうのが、地味に堪える。相手に悪気がないのは分かってるし、自意識過剰なのも分かってる。それでも、なんとなく自分の存在価値がスッと薄くなるような気がして、つい話題を変えたくなってしまう。
名刺一枚に頼っていた自分
司法書士になりたての頃は、名刺を配るのが少し誇らしかった。大学を出て資格を取って、「ちゃんとした職業に就けた」って感覚が自信を支えていた。でも今思えば、あの頃の自信は肩書きありきだったのかもしれない。仕事の中身や、日々の苦労、人間関係のしんどさ、そして孤独——そういったものに触れないまま、「司法書士」という看板に寄りかかっていた。だからこそ、その看板が他人に響かなかったときに、自分の中でガラガラと何かが崩れる。
「司法書士です」と言えない気持ちの裏側
「司法書士です」って言えば、多少は尊敬されるかもしれない。でも、本音を言えば「司法書士であること」に疲れてしまっている自分もいる。忙しくて、ひとりで抱える案件も多く、事務員さんには頼れないこともある。婚活でも不利になるばかりで、なんだかやるせない。独身であることに引け目を感じてるわけじゃないけれど、どこかで「ちゃんとしてない」と思われるのが怖い。そういう感情が、「職業を聞かれるのが怖い」って感覚につながってるんだと思う。
肩書きと自分の価値のすれ違い
司法書士という職業に誇りはある。でも、それがそのまま「自分の価値」だとは、もはや思えなくなっている。日々のルーチンの中で、役所に走り、登記簿を確認し、依頼人の愚痴を聞きながら仕事を回していると、どうしても自分の人生の“意義”を考えてしまう。肩書きがあるのに、心が満たされない。誰かのためになっているのか、自分のために働いているのか、よくわからなくなる。
忙しいのに、なぜか満たされない
一日中予定が詰まっていると、達成感よりも疲労感が勝つ。数字や結果では評価されにくいこの仕事では、「何を成し遂げたか」が曖昧になりがちだ。誰かに感謝されることもあれば、クレームを浴びることもある。そんな日々の中で、ふと「自分は何のために働いているんだろう」と我に返ることがある。頑張っているのに、報われている感じがしない。そういう感覚が、自信の低下に直結している。
誰かに評価されたいと思ってしまう
別に褒めてほしいわけじゃない。でも、「すごいね」「大変だね」と言われると、どこかホッとしてしまう自分がいる。承認欲求なんて年齢とともに消えていくものだと思っていたけど、むしろ歳を重ねるほどに強くなっているのかもしれない。誰かに「それでいいんだよ」と言ってもらいたい。そうじゃないと、「司法書士をやっていて意味があるのか」と思ってしまうこともある。
「忙しい=立派」ではなかった
昔は「忙しいこと」が誇らしかった。休みがなくても、電話が鳴りっぱなしでも、「自分は必要とされている」と思えたから。でも最近は、ただ疲弊していくだけ。忙しさが「逃げ場所」になっていて、本当は立ち止まって考えるべきことから目をそらしていたのかもしれない。誰にも頼れず、ただ目の前の仕事をこなす毎日。それが本当に“生きてる”ってことなのかと問われると、言葉に詰まってしまう。
会話の中に潜むプレッシャー
ちょっとした雑談にも、意外なほど自分を追い詰める要素が隠れている。とくに、「職業は?」「どんな仕事してるの?」という質問は、自分がいまどれだけ消耗してるかをあぶり出してくる。相手にとっては悪意のない会話でも、こちらにとっては刃物にすらなる。
親戚との集まりがつらくなった理由
正月やお盆の帰省の場。親戚の誰かに必ず聞かれる。「あんた、今もまだあの司法書士やっとるの?」「景気ええか?」——悪気はないのはわかる。でも、その瞬間、何とも言えないむなしさに包まれる。期待に応えられているのか、周囲の“普通”と比べて自分はどうなのか。年々そういった会話がしんどくなり、最近では帰省そのものが億劫になってしまった。
自分で自分にレッテルを貼っていた
「司法書士なのに独身」「司法書士なのに事務所が小さい」——全部、自分で勝手に作ったレッテルだと、頭ではわかってる。誰もそんなふうに責めてはいない。でも、自分が自分を認められないとき、外の目ばかり気になってしまう。他人の反応を見ては落ち込み、比べては焦る。そんな毎日が続くと、自信も削られていく。
少しずつ答えが変わってきた
以前は「司法書士です」と答えること自体に戸惑いがあった。でも最近、少しずつ考え方が変わってきた。自分が何者であるかを決めるのは肩書きではなく、「どんな気持ちで仕事をしているか」だと思えるようになってきた。
「仕事はなんですか?」にこう答えてみた
ある日、喫茶店でたまたま隣り合わせた人に「どんなお仕事されてるんですか?」と聞かれた。そのとき僕は、「地元で司法書士をやってます。割と泥臭い仕事ばっかりですけど」と、肩肘張らずに答えた。すると、「そういう地味な仕事の人がいないと困るんですよね」と返ってきた。なんだか少し救われた気がした。大事なのは、相手にどう見られるかじゃなくて、自分がその仕事にどう向き合っているか。それだけなのかもしれない。
聞かれてもいいと思える日が来た
今でもたまに、「職業を聞かれるのが怖い」と感じることはある。でも、少しずつ「聞かれてもいい」と思えるようになった。見栄を張らなくてもいいし、無理に自分を飾る必要もない。肩書きよりも、“どんな気持ちで生きてるか”を大切にできるようになったことが、たぶん一番の変化だと思う。