誰にも言えないまま溜まっていく日常の小さなトゲ
ふとした拍子に「ああ、今これ誰かに話したいな」と思っても、その「誰か」がいない。日々の細かいトラブルや、職場でのちょっとしたイラつき、書類のミス、お客さんの理不尽な言葉。それらを飲み込んでしまうと、まるで小さなトゲが体内に刺さったままになるような感覚がある。最初は気にしないふりをしていても、時間が経つとそのトゲがズキズキと痛み出す。誰にも見えない傷だからこそ厄介で、処理の仕方がわからない。気づいたら、それが毎日少しずつ積み重なって、心が重くなっていることに気づく。
黙って頷くだけの自分が限界を迎える瞬間
人に何かを頼まれたとき、理不尽だと思っても「はい」としか言えないことがある。司法書士としてやっていると、時に「魔法使い」みたいな扱いを受けることがある。急ぎの登記、無理な日程、説明しても理解してもらえない複雑な手続き。だけど、お客さんはお構いなし。だから、結局「わかりました」と答えてしまう。誰にもそのしんどさを打ち明けられないまま、溜まっていくストレスに、ある日突然ぷつんと糸が切れそうになる。「俺は何やってるんだろう」って虚しくなる瞬間がある。
心のどこかで「聞いてほしい」と思っている
「愚痴りたいだけなんだよな」って、口に出せば軽くなるはずの言葉。でも、誰かにそれを言うことができない。昔は、野球部の仲間と居酒屋でビール片手に語った夜もあったけど、今はそんな場もない。LINEを開いてみても、誰に送ればいいかわからない。そっと閉じて、また黙々と仕事に戻る。「話を聞いてくれる誰か」がいてくれたら、もっと心が軽くなるのに、と思う。
吐き出す場所がないと怒りも悲しみも腐る
感情は出しきらないと腐る。それがここ数年でわかったことだ。怒りも、悲しみも、悔しさも、心の奥底にしまい込んでばかりいると、自分でも処理できなくなる。変な夢を見たり、急に涙が出たり、どうにもならない焦燥感に襲われたり。あれは感情の腐敗だ。感情は生もの。新鮮なうちに誰かと分け合えれば一番いい。でもそれができないと、ただただ臭いものを抱えて生きている感じになる。
言葉にしない優しさが自分を追い詰める
「言わないのが大人」「我慢ができるのが男」。そういう考え方に、ずっと縛られてきた気がする。特にこの仕事をしていると、「感情的になるのは格好悪い」とか「自分を律するべき」と思い込んでしまう。でも、その結果として、結局一番苦しくなっているのは自分自身なんだ。相手に配慮するふりをして、自分を後回しにしてばかりいると、いつか心が崩れる。
強く見せたい気持ちが孤独を生む
「大丈夫です」って口癖のように言ってしまう。しんどい日も、イライラした日も、寂しい夜も、結局「大丈夫」で乗り越えてしまう。強く見せたい。頼られたい。でも、それってただの虚勢だったと、夜になると気づいてしまう。そしてまた後悔する。「あのとき少し弱音を吐けばよかった」と。強がるほど、誰もこちらに手を差し伸べてくれなくなる。それが、孤独というやつなのかもしれない。
本音を言える関係が一つもない現実
ふと気づくと、今の自分のまわりには「業務連絡」しかしない人間関係ばかりになっていた。事務員とも、必要なことしか話していない。友達とも、たまにSNSで近況を見る程度。本音を言える人間関係って、気づかないうちにどこかに消えていた。自分から切ったつもりはないけれど、話さない時間が積み重なると、それは自然消滅に近い。そしてまた、「話す人がいない」ことに気づくとき、やっぱり苦しくなる。
愚痴を言う相手がいないことの弊害
愚痴って、ただのマイナス発言だと思われがちだけど、実は心のバランスを保つ大事な手段なんじゃないかと思う。誰かに聞いてもらうことで、初めて冷静になれたり、客観視できたりする。けれど、それができない環境に長くいると、自分の中で感情が暴れ出す。感情の吐き出し口がないというのは、静かに自分を壊していくものなんだ。
不満は沈黙のまま膨張する
司法書士という仕事は、細かい確認や丁寧なやり取りが求められる。だけど、人間だもの、納得できないこともある。ミスを押しつけられたり、理不尽な納期を押しつけられたり。でも、その度に「まあ、仕方ないか」と飲み込んでばかりいると、腹の中にどんどんガスが溜まっていくような感覚になる。そしてある日、突然爆発しそうになる。だけど爆発すらできない。それが一番苦しい。
気づけば独り言が増えている
最近、気がついたら一人でブツブツ言っている。誰もいない事務所で、「それは無理だろ…」とか「なんで俺がやらなきゃなんねんだよ」とか、つい口に出してしまう。独り言って、自分でも気づかないうちに始まってるから怖い。でも、それだけストレスを溜め込んでいる証拠なんだと思う。誰かに話せないから、せめて空気に向かって発している。それって、かなり危ない状態だよなと思う。
怒りの矛先が自分に向かうこともある
愚痴を言えない日々が続くと、自分の中で怒りの行き場がなくなってくる。そして最終的に、それが「全部自分が悪いんだ」という自己否定に変わっていく。あのとき、もっと上手く説明できていれば。もっと要領よく処理していれば。結局、怒りの矛先が自分になり、自分で自分を責めるようになる。そうして気づけば、自己肯定感が底をついている。これが、静かに進行する心の病なんじゃないかと思っている。
ただ「わかるよ」と言ってほしかった
大した解決なんていらない。ただ、「わかるよ」「それはしんどいよね」と言ってくれるだけで救われることって、たくさんある。でも、そういう相手がいないと、共感をもらうことさえ贅沢に思えてくる。そして、それがまた孤独を深くする。「言えない」のではなく「言っても仕方がない」と諦める気持ち。それが、心の沈黙を生むんだと思う。
正論より共感が欲しかっただけ
たまに勇気を出して誰かに愚痴ってみることがある。でも返ってくるのは「でもそれはあなたにも責任があるよね」とか「考え方を変えれば楽になるよ」とか、正論ばかり。そんなのはわかってる。そうじゃなくて、ただ「うんうん、大変だったね」って寄り添ってほしかっただけなのに。正しさを押しつけられるたびに、もう話すのはやめようって思ってしまう。
否定されるのが怖くて口を閉じる
誰かに弱音を吐こうとするとき、一番怖いのは「そんなことで?」と笑われたり、否定されたりすること。だから言わない。言えない。そうやって何年も生きてきた。でも、それって結局、自分で自分を追い詰めているんだよな。傷つくのが怖くて沈黙を選び、沈黙がまた自分を苦しめる。この繰り返しを断ち切るには、まず「誰かと話すこと」が必要なんだと思う。
それでも今日も仕事は待っている
愚痴を言えない日々、孤独に押しつぶされそうな夜。それでも朝は来て、仕事は待っている。司法書士というのは、感情に流されてばかりではいられない職業だ。だからこそ、自分なりの心のメンテナンスが必要だと思っている。誰かに話すことができなくても、自分の中でちゃんと感情を整理する時間を作る。それだけでも、少しは救われる。
苦しい日々の中で支えになるもの
毎日が苦しい。でも、支えになるものがないわけじゃない。たとえば、事務員がくれるさりげない一言や、思いがけず届くお客様からの「ありがとう」。そんな小さなことが、想像以上に心に染みることがある。だから今日も、机の前に座って、登記の書類と向き合う。ひとつひとつ終わらせていく。それが、俺にできる仕事だ。
元野球部の性か根性だけはある
「気合いと根性で乗り切る」なんて言葉は時代遅れかもしれないけど、元野球部の俺にとっては、まだまだ通用する精神論だ。愚痴を言えなくても、しんどくても、とにかく前に進む。バットを振り続けてきたあの頃の自分が、いまも心の中で応援してくれている気がする。泣き言を言えないなら、その分だけ仕事で結果を出すしかない。
小さなありがとうが明日をつなぐ
それでもやっぱり、愚痴を言いたくなる日もある。そんなときに、たまたまお客さんからもらった一言、「助かりました」「頼んでよかったです」。それだけで報われた気持ちになる。不思議だけど、その「ありがとう」ひとつで、もう一日頑張ろうって思える。誰にも言えない夜を超えるには、ほんの少しの優しさで十分なのかもしれない。