分かっているのにまたやらかす自分が情けない

分かっているのにまたやらかす自分が情けない

分かってるのに間違える瞬間の情けなさ

「やっちゃった…」と思った瞬間、頭が真っ白になります。ちゃんと確認したはずなのに、どこかで気を抜いてしまっていた。司法書士という仕事はミスが許されない場面が多いだけに、小さな見落としでも自分を責めたくなります。お客様の大切な手続きに関わっている以上、「わかってたのに間違えた」なんて言い訳は通用しません。なのに、気づけば同じような失敗を繰り返している。あの瞬間の情けなさは、経験を積んでも薄れることがありません。

頭では理解していたはずなのに

たとえば、不動産登記の住所の番地をひとつ間違えたことがありました。資料も何度も確認し、登記簿もきちんと見たはず。でも、「あれ?」と思ったときには提出済み。頭では「ここ注意しないと」とわかっていたのに、手が勝手に動いていたんでしょうね。こういうとき、経験が裏目に出るというか、慣れから来る油断が一番怖いんです。「ミスしないように」と気を張るのが常ですが、慣れはその張り詰めた糸を緩ませてくる。

焦りが招く判断ミスの連鎖

急ぎの案件が2件重なったときでした。電話が鳴りっぱなし、事務員さんからの確認依頼も重なる中、「これはすぐ終わるから」と軽く処理したつもりの書類が、あとから見たら別案件のものとごっちゃになっていた。ひとつのミスが次のミスを呼び、取り返しのつかない状態になりかけたこともあります。焦りは判断力を鈍らせ、自分の中で「できるはず」の思い込みが暴走を始めるんです。

「確認すればよかった」が口癖になる

結局、こういうミスのあとは「確認しとけば…」と何度も自分に言い聞かせる羽目になります。気づけば口癖のようになっている「確認不足だった」が、まるで自分の標語のようで、笑えません。書類を出したあとに目を閉じて「あ、あれチェックしたっけ?」と不安になることもよくあります。そんなときの胃の重さと、誰にも言えない情けなさ。確認していれば…そればっかりです。

経験年数とミスのギャップ

司法書士としてもう20年以上やってきて、事務所も地元でなんとかやってます。でも、年数が増えた分だけ「ミスなんてしない人」という目で見られているのを感じるんですよね。それがプレッシャーにもなるし、逆にミスしたときの落差も大きくなる。ベテランだからこそ許されない、そんな空気感に、自分で自分を追い詰めている部分もあります。若いころより失敗の重さが増している気がします。

「ベテランなのに」のプレッシャー

ある日、法務局の担当者に軽く指摘されたとき、「あれ?稲垣さんでもこんなことあるんですね」と笑い混じりに言われたことがありました。悪気はなかったんでしょうが、その一言が妙に胸に刺さりました。「ベテランなのに」って言葉は、まるで「あなたは完璧であるべき」という無言の圧力のように響く。年を重ねてもミスはするし、人間なんだから…と思っても、それを自分で許せないのがまた苦しいんです。

完璧を求めすぎる自分との戦い

自分に厳しくあるのは悪いことじゃない。でも、それが過ぎると、自分を許せなくなってしまう。完璧でなきゃいけない、他人に迷惑をかけちゃいけない、そう思い詰めるほどに、小さな間違いが大きな罪に思えてくるんです。「なんでこんな簡単なこともできないのか」と自分を責める声が止まらない。これはある意味、完璧主義というより、自己肯定感の低さかもしれません。

自己嫌悪のループから抜け出せない

ミスした日は、帰宅後もずっと引きずります。夕飯を食べながら、風呂に入りながら、ずっと頭の中で「なんであれに気づけなかったんだ」と反芻してしまうんです。酒を飲んでも、音楽を聴いても、どこかでその自己嫌悪の声が止まらない。そして次の日の朝、また顔を引きつらせながら事務所へ向かう。このループはしんどいです。

夜中に思い出して眠れなくなる

布団に入っても、ふと目を閉じた瞬間に昨日の出来事が再生されることがあります。「あのときこうしてれば」「なんであそこで止まらなかったんだ」と考え始めると止まらない。スマホで意味もなくSNSを眺めたりして、気づけば午前3時なんてことも。眠れない夜ほど、ミスの痛みは増幅されて、翌朝の体も心も重くなる。自己嫌悪ってほんと、夜に牙をむくんですよね。

小さなことほど心に残る不思議

大きな失敗は、むしろその場で対応に追われてるから引きずらないことが多いんです。でも、ちょっとした名前の誤字とか、書類の並べ間違いとか、そういう小さなミスこそ、後になってじわじわ効いてくる。なんでかっていうと、「ちゃんとできたはずのこと」だからなんですよね。できたのにやらなかった、その事実が自分を刺してくる。ほんと、情けなくて泣けてきます。

それでもまた明日も仕事に向かう理由

こんなに情けなくて、自己嫌悪で、プレッシャーに潰されそうでも、それでも僕は毎日、事務所に来て仕事をしています。やめようと思ったことも何度もあります。でも、不思議なことに、ほんの小さな出来事が、その日の救いになったりする。たとえば、お客さんの「助かりました」というひと言だったり、事務員さんの何気ない気遣いだったり。完全じゃない自分でも、まだやれることがある。そう思えるだけで、なんとか立ち上がれます。

依頼人の「ありがとう」が支えになる

先日、相続手続きを終えた依頼人が、涙ぐみながら「本当に助かりました」と言ってくれました。実はその案件、途中で書類にミスがあって、こっそり修正したやつだったんです。でも、それを知らない依頼人のその言葉が、まるで救いのように胸に届きました。「自分なんか…」と思ってた気持ちが、少し和らぐんです。たった一言でも、人って救われるんだなと。

ミスがあるからこそ、慎重にもなれる

間違える自分を責め続けていても仕方がない。むしろ、その経験があるからこそ、次に同じミスをしないようにしようと思える。失敗は恥ずかしいし、苦しい。でも、そこにちゃんと向き合うことで、少しずつでも「慎重さ」という武器が身についてくる気がしています。ミスゼロは無理でも、減らす努力はできる。それだけでも、十分なんじゃないかと最近は思うようになりました。

完璧じゃないけど、それでも進む

独身で、地方で、モテないし、愚痴ばっかりの自分でも、仕事だけはちゃんとやりたい。そう思って毎日事務所を開けています。間違えることもあるけど、誠実であることは忘れずにいたい。誰かの力になれたとき、自分の不完全さも、少しは意味があるんじゃないかと信じたくなる。完璧じゃない。でも、それでも進む。それが、僕なりの答えです。

同じように悩む誰かの励みになれたら

この記事を読んでくれたあなたが、もし「自分も同じだ」と感じてくれたなら、それだけで僕は報われます。司法書士に限らず、誰しも間違えるし、落ち込むし、嫌になることもあると思います。でも、そういう弱さを抱えながらも働いている人の存在が、きっと誰かの支えになるはず。だから、間違えてもまた立ち上がる。それを続けていけたらいいなと、今は思っています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。