登記簿は完璧なのに人生が未登記

登記簿は完璧なのに人生が未登記

誰よりも正確に書類を仕上げているはずなのに

法務局に提出する登記申請書は、寸分の狂いも許されない。補正をもらえば信用に関わるし、何より自分自身が許せない。そんな日々をもう20年近くやってきた。建物の表題部も所有者欄もきっちりと埋めて、取引先からの信頼もそこそこ得ている。仕事のミスは許さない。それが司法書士のプライドだ。でもふと気づいた。書類の中は完璧に整っているのに、自分の生活はまるで未登記だ。台所は散らかり、予定は曖昧、誰かと過ごす未来は白紙のまま。人生を構成する要素が、仕事以外すっぽり抜けていることに、気づいてしまった。

登記ミスゼロでも生活の段取りは毎日崩壊寸前

不動産の権利関係は頭に入っているのに、ゴミ出しの曜日がいつなのかが分からなくなる。予定をGoogleカレンダーに入れても、見返す暇がない。朝はメールの返信、昼は電話、午後は法務局、夜は書類作成。そんな毎日の繰り返しで、生活の段取りは常に綱渡りだ。以前、冷蔵庫の中に腐った豆腐を3つも発見したとき、自分でも笑ってしまった。期限を守るのが仕事なのに、牛乳の賞味期限は守れない。登記はミスゼロを目指しているのに、生活はエラー続出。何かがおかしいと、ようやく認めるようになってきた。

ミスは許されない職業なのに、自分には甘すぎる

司法書士の世界では、「うっかり」は致命傷だ。補正が入れば時間も信用も失う。だからこそ、書類に関しては常に二重三重のチェックをしてきた。なのに自分の健康診断は5年も放置。歯医者には行くたびに怒られる。人には完璧を求められる仕事なのに、自分自身には驚くほどルーズ。これは、仕事で神経を使いすぎている反動なのかもしれない。つい先日も、自分の通帳の暗証番号を思い出せずに、窓口で立ち尽くした。登記の申請番号はすぐ出てくるのに、自分のことになるとサッパリだ。

日々の仕事に追われて自分の人生が空欄になっていく

申請書にはびっしりと情報を詰め込むのに、手帳にはほとんどプライベートの記録がない。仕事は順調なように見えて、気づけば自分の人生のページが真っ白だ。休みの日には何をしていいかわからず、とりあえず事務所に来てしまう。趣味も人付き合いもどこか遠のいてしまった。書類が増えるほど、人生の中身は薄くなっていくようで、焦りすら感じる。

登記事務所は回ってるけど、俺の心は空転中

外から見れば、個人事務所を一人で切り盛りして立派に見えるかもしれない。だが、内実はギリギリの綱渡りだ。事務員さん一人が頼りで、彼女が休んだ日は地獄。電話対応、接客、申請、書類作成、全部一人でこなすと、もう夜には思考が停止する。目の前の仕事は確かに片付いていく。でも、心のなかはいつももやがかかったままだ。何を目指して頑張っているのか、自分でもよく分からない。

クライアントの幸せを支えながら、自分の幸せは置き去り

登記が完了して笑顔でお礼を言ってくれる依頼者を見るたびに、やりがいは感じる。人の人生の節目に立ち会える仕事。それは確かに素晴らしい。でも、ふと鏡を見ると、くたびれた顔が映っている。人の幸せを支えることに夢中になりすぎて、自分の幸せを考える余裕がなくなっていた。誰かの新生活のスタートに寄り添うたび、自分の生活はどこに向かっているのかと考え込んでしまう。

日付と原因を記録できる人生ならどれだけ楽か

登記には「原因」と「日付」という欄がある。売買なら売買、相続なら相続。その出来事がいつ起こったか、なぜ起こったかを明確に記録する。あれが人生にもあったら、きっともっと整理しやすいのに。あのとき彼女と別れた理由、あの選択をした日付、それが記録として残っていれば、今の自分を少しは理解できるかもしれない。感情も、選択も、何も残っていないから、ふとしたときに「俺って何してきたんだっけ?」と立ち止まることがある。

気づけば45歳 独身 書類だけが俺の人生を証明する

仕事は確かにしている。でもそれ以外は、誰にも知られていない。結婚歴もなければ、子どももいない。SNSもほとんど更新しないし、プライベートな写真なんて数えるほどしかない。登記情報提供サービスを通して、全国の物件情報はすぐに引っ張ってこられるのに、自分の人となりを証明できるものが何もない。法務局には記録が残っているけれど、人生には記録がない。それが一番、寂しい。

表題部はあっても使用者欄がずっと空白

登記簿の表題部には、建物の構造や面積、築年数がしっかり書かれている。まるでそれが「存在証明」のようだ。でも、俺の人生はどうか。表題部があっても、そこに誰が住んでいるのか——いや、誰かと住んでいるのかが空白のまま。仕事が終わって帰る家には誰もいない。使い道のない広いベッドと、テレビの音だけが響く部屋。その空白に名前が入る日は、いつか来るのだろうか。

昔は夢があった 元野球部の俺にこんな未来は見えてなかった

中学高校と野球一筋だった俺は、まさか書類に囲まれる人生を送るとは思っていなかった。グラウンドで仲間と笑い合い、勝って泣き、負けて悔しがった日々。あのころは、未来がまぶしかった。司法書士になったのは、正直言えば「手堅く食っていける仕事」という理由。でも、気づけばそれに飲み込まれて、自分が何を望んでいたのかすら忘れていた。

女性と話すより登記情報提供サービスのほうが気楽

婚活アプリを入れてみたこともある。でも、誰かと話すのが億劫になってしまう。何を話せばいいか分からないし、相手にどう見られているか気になる。それよりは、登記情報提供サービスで物件の履歴を見る方がずっと気が楽だ。そこに感情はない。正確な事実だけが並んでいる。それが今の自分にとって、どれほど安心できるものか。人とのやりとりが怖くなるなんて、昔の自分には想像もつかなかった。

同級生の結婚報告より登記完了通知の方がうれしい俺

LINEで届く「結婚しました」の報告に、心のどこかでモヤっとする。でも、法務局から届く「登記完了通知」の方がずっと安心する。手続きが終わった安心感、ミスなく終えた達成感。それが、自分が生きている証のように感じてしまう。同級生たちは家族を持ち、子どもを育てている。その横で、俺は一人、完璧な登記を仕上げている。このギャップに苦笑いしながらも、「まぁ俺は俺だ」と、今日もまた申請ボタンを押す。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓