独身司法書士ペンよりも重い孤独を持て余す
司法書士・シンドウの朝は静かだ
事務所のシャッターを開ける音が、通りに乾いた金属音を響かせる。まだ誰も歩いていない。新聞配達の少年と、猫。あとは、コーヒーの湯気くらいしか動きがない。
玄関の郵便受けには、またDM。たいていは士業向けのセミナー案内か、結婚相談所からのチラシだ。
「またか。こっちは人より書類のほうが多いってのに……」
机に向かって、ペンを取る。依頼人の登記申請書。誰かの家族の話を、書類として処理する。そんな日常が、もう何年も続いている。
サトウさんとの距離感
「おはようございます、先生」8時45分。ぴったり。
事務員のサトウさんは無表情のまま挨拶をする。彼女は30代半ば、冷静沈着。手続きの抜けもなく、調べ物も早い。
――だが、どこか“探偵モノ”の助手のような雰囲気がある。名探偵コナンでいうなら灰原タイプだ。何を考えているのかわからないが、確実にこちらより頭が回る。
彼女は黙ってパソコンを立ち上げ、登記情報を精査し始める。雑談はない。たまに目が合えば、あいまいな笑みが返る程度だ。
だが、それがいい。深入りしないことが、今の自分には心地よい。
ペンの軽さと孤独の重さ
「司法書士って、書類にハンコ押してるだけなんでしょ?」
昔、そう言われたことがある。
その通りだと思う。でも――
「このハンコ一つで、誰かの人生が動いてるんだよな…」
そう思うたび、ペンを握る手が少しだけ重くなる。
今日は相続登記だ。亡くなった方の財産を家族に分ける手続き。表面上はシンプルな“作業”でも、裏にはたくさんのドラマがある。泣いて、揉めて、でも前に進まなきゃならない家族の姿。
自分には…そんな家族はいないけれど。
昼休みの沈黙
昼は、コンビニの冷やし中華。サトウさんは外に食べに行った。
ひとり事務所に残って、テレビもつけず、黙々と麺をすする。
カレンダーに目をやると、土曜日に赤ペンで「草野球」と書いてある。
だが、メンバーはもう集まらない。みんな家庭を持ち、子どもができ、バットよりベビーカーを押すようになった。
「やれやれ、、、」
冷やし中華のタレが、書類の端に少し飛んだ。
サザエさん症候群の正体
日曜の夕方、テレビをつければサザエさん。
家族があって、ドジもあって、笑いがあって。
「…あんな暮らし、一回くらいでいいからしてみたかったな」
波平に説教されるカツオを見ながら、ビールを開ける。
部屋に響く、プシュッという音だけが返事。
土曜の事件
土曜、久々に相談の電話が入った。
「実は、父が亡くなりまして…土地のことで兄と少し…」
声の主は、女性だった。感情を抑えているが、張りつめていた。
「登記は私どもでお手伝いできます。お兄様との関係が悪化しないうちに、手続きを進めましょう」
自分でも驚くくらい優しい声が出た。彼女は電話口で、小さく「ありがとうございます」と言った。
その一言が、今日の孤独を少しだけ和らげてくれた。
元野球部の記憶
帰り道、グローブを持った少年たちが公園にいた。
自分も、あんなふうに声を出していた頃があった。
キャッチャーマスクを外して、大声で味方に指示していた。仲間がいて、勝ち負けがあって、拍手があった。
今は、誰も拍手はくれない。書類を正しく仕上げても、感情を表すのは印鑑だけだ。
エピローグ
夜、机に戻って、ふと気づいた。
サトウさんが置いていったお菓子の包み。メモに「おつかれさまです」と走り書きされている。
やれやれ、、、
思わず、笑ってしまった。
ペンよりも、たしかに孤独は重い。でも――今日は少しだけ、持て余さなかった。