午前八時の呼び鈴
いつものように事務所でコーヒーを淹れようとしていたら、インターホンが鳴った。相変わらずタイミングが悪い。やれやれ、、、と思いつつ、扉を開けると見慣れない中年女性が立っていた。
「あの、隣の空き家に誰か住んでるんです」彼女はそう言って不安げに眉を寄せた。まだ眠気が抜けていなかったが、話を聞かないわけにはいかない。
依頼人は隣家の主婦
依頼人は、町内に長年住むという主婦だった。隣の家は3年前から空き家で、誰も出入りしていないはずなのに、ここ数日、夜になると物音や光が見えるという。
「風で揺れるだけかもしれませんが、でも電気がついてるんです。電気、止まってたはずなんですよ」
オカルトか、近所の子どもの悪戯か。どちらにしても司法書士の仕事じゃない。と思いきや、登記の問題が関係するかもしれないということで、渋々調査を引き受けることになった。
空き家になった理由
その家は元々、町内でも有名な古道具屋だった。主が亡くなり、相続人が名乗り出ず放置されていたらしい。よくある話だ。
固定資産税は市が管理していたが、所有権は未だに故人名義のまま。おそらく法定相続人が相続放棄をしたのだろう。
登記簿を見ると、確かに名義は10年前に亡くなった男で止まっていた。その息子は東京にいるという噂だが、実際のところ誰も彼の所在を知らない。
孤独死と相続の断絶
戸籍をたどると、亡くなった主には一人息子がいた。だが、その息子は死亡届が提出されていた。5年前、東京で自殺したということになっている。
「じゃあ、誰がそこに住んでるっていうんだ?」ぼそりと独りごちると、サトウさんが冷静に言った。「幽霊ですか? さすがに非科学的ですね」
やれやれ、、、と思いつつ、私は翌朝、その空き家へ足を運ぶことにした。
サトウさんの調査メモ
サトウさんは無駄に優秀だ。夜、遠くからその家を観察していたらしい。彼女のメモには、午後8時に2階の部屋の明かりが灯ったと記されていた。
「電気止まってるんじゃなかったか?」私は眉をひそめた。「はい、東京電力に確認しましたが、契約はずっと解約されたままだそうです」
それならば、ランプかバッテリー式の何かか。どちらにしても、誰かが内部に侵入して生活しているという証拠だ。
夜な夜な灯る二階の窓
問題の二階の部屋には、昔ながらの障子がある。確かに、夜になるとぼんやりと明かりが浮かび上がる。まるで人が住んでいるように。
私は思わず、「ドラえもんに出てくるのび太の部屋かよ」とツッコミたくなったが、もちろんそんなことは言わない。
現実に空き家に誰かが住んでいるとしたら、それは法的にも問題だ。無断占有は不法行為にあたる。
訪問調査の失敗
私は空き家の玄関前に立った。ポストにはチラシとほこりが詰まっていた。チャイムを押すと、音が虚しく響くだけで応答はない。
しかし、そのとき、二階の障子がカタリと揺れたような気がした。風か、それとも、、、
「あんた、なにしてんの!」背後から声が飛び、私はびくりと振り返った。近所の老婆が、不審者を見る目で私を睨んでいた。
郵便受けの中の違和感
ふと、ポストの中のチラシの下に何かが挟まっていた。手帳サイズのノート。中には、整った字でこう記されていた。
「見つけないでくれ。私はここで静かに暮らしたい」
一体誰が、何の目的で、、、? 事件の匂いが濃くなってきた。
元所有者の息子の登場
数日後、思いがけない人物が私の事務所を訪ねてきた。名乗った名は、死亡届が出されていたはずの元所有者の息子だった。
彼は驚くほど痩せこけていて、目の奥が虚ろだった。だが免許証や戸籍には、確かに彼の名があった。
「僕は、、、死んだことになっているけど、生きてます」そう言って彼は苦笑した。
東京在住のはずが
話を聞くと、彼は東京での借金や人間関係から逃れるため、自ら死亡届を偽造して提出させたらしい。協力者は、知人の司法書士、、、
なんてこった。そんなことがまかり通るのか?「ええ、だから今はここでひっそりと暮らしてたんです。父の家に」
その声はか細く、どこか悲しげだった。
真夜中の通報
そんな矢先、空き家から「誰かが倒れてる」との通報が入った。救急車のサイレンが響く。まさか、彼か?
現場に駆けつけた私は、救急隊員に引き止められながらも状況を確認した。彼は自分の胸を押さえて倒れていた。
栄養失調と心労だった。病院で目を覚ました彼は、静かにこう言った。「もう、逃げるのはやめます」
叫び声と人影
近所の住民たちの証言からも、誰かが夜中に呻いていたことは事実だった。誰もが幽霊を疑ったが、実際には生きていた「亡霊」だったのだ。
「サザエさんじゃなくて、まるでゲゲゲの鬼太郎ですよ」サトウさんがぽつりと漏らした。
私は苦笑した。こんな案件、普通の司法書士じゃ扱わないだろう。
封印されていた部屋
家の奥にある一室は、誰にも開けられていなかった。鍵がかかっていたその部屋の中には、父親の遺品と共に息子の手紙が山のように積まれていた。
そこは、彼にとって「生き延びるための棲家」だったのだ。
私は静かに手帳を拾い上げた。
元住民の幻影
人は、ときに過去に縛られる。彼にとって、父の家は現実から逃げ込むための仮初の世界だったのだろう。
だが、それももう終わりだ。現実は動き出している。
やれやれ、、、司法書士ってのは、書類だけじゃ済まない仕事だな。
戸籍と登記の齟齬
私は登記と戸籍の再調査を行い、真実を記録に残す準備を始めた。死亡届の訂正、住所の正確な把握、すべてやり直しだ。
「まるでルパンの偽造パスポートですね」サトウさんが皮肉を込めて言った。
笑うしかなかった。
一人二役の真相
彼は東京で「死んだ男」として葬られ、地方で「生きた亡霊」として暮らしていた。それが、事件の正体だった。
空き家に住んでいたのは、まさに“住んではいけないはずの男”だった。
私は、静かに書類を閉じた。
日記に書かれた最後の言葉
家の整理をしていたとき、彼の日記が見つかった。最後のページには、こう書かれていた。
「父の家で、もう一度、生き直したかった」
私は、それをそっと封筒に入れ、静かにその家を後にした。
空き家の本当の住人
誰もが忘れた家。誰もが住んでいないと思っていた家。その家に、本当の意味で“帰ってきた”男がいた。
もしかしたら、あの明かりは、彼が最後に見た「希望」だったのかもしれない。
私は青い空を見上げながら、そっとため息をついた。