序章 見慣れた地図に潜む違和感
それは、月曜の朝だった。いつものように渋いコーヒーをすすりながら、古びた机の前に座っていた。すると、少し緊張した面持ちの女性が、一枚の公図を手にやってきた。
「この土地、何かおかしくないですか?」 地目や地番ではなく、境界線の微妙な位置に目を留める依頼人。ぼんやり眺めていた僕も、次第にその違和感に気づき始めた。
依頼人が持ち込んだ一枚の公図
紙はわずかに黄ばんでいて、角には折れ目があり、誰かの手で何度も開かれたことが伺える。問題は、線の引き方だ。境界線が、少し右に寄っている。
「登記情報とは一致しているのですが……」と、僕は答えたが、心の中では確信が揺らぎ始めていた。これは、単なるミスじゃない。
境界線の微妙なズレと疑念
本来なら真ん中に引かれるべき線が、なぜか少しだけ外側に膨らんでいる。それが意味するのは、面積の増加、すなわち得をしている者がいるということだった。
線一本で人の利益が変わる。地味で地道な世界だが、これが司法書士のリアルだ。
調査開始 背後に浮かぶ過去の影
翌日、法務局で取得した登記簿と照合してみると、不思議な記録が見つかった。10年前、ある時期だけ所有者が変わっていたのだ。
しかも、その登記は数ヶ月で元に戻されていた。何があったのか。仮登記?贈与?それとも、、、。
地主の証言と異なる記憶
土地の持ち主である老人に話を聞きに行った。年季の入った縁側に座りながら、彼は「あの頃、測量があってな」と語った。
だが、その年に測量が行われた記録はどこにもなかった。どうやら、誰かが「非公式に」動いていたようだ。
登記簿と照合された真実の痕跡
地番の変遷と筆界の調整、それに伴う地積の微妙な増減。明らかに何かを意図した動きがあった。まるで、それを知る者だけに向けた“未来図”のようだった。
書かれたものに従うしかないこの世界で、それが嘘だとしたら、何を信じればいいのか。
サトウさんの冷静なひとこと
「こっちのほうが怪しいですね」 静かに公図を見つめながら、サトウさんがつぶやいた。僕が3時間かけて出した仮説を、たった15秒で追い越していく。
あいかわらず、しっかりしている。というより、僕が頼りないだけか。
数字よりも、筆跡が物語る
「これ、筆跡が違いますよ」 サトウさんが指さしたのは、境界線をなぞったように引き直された細い線。拡大して見ると、他の部分とは明らかにタッチが違っていた。
怪盗キッドも真っ青の“すり替え”テクニックに、僕は思わず頭をかいた。「やれやれ、、、どうしてこうも毎回こんなことに」
やれやれ、、、またかという既視感
この手の境界トラブル、実は少なくない。けれど、今回は裏にある動機が見えにくい。なぜ、わざわざ手間をかけてまで境界をいじる必要があったのか。
それを知るには、もう少し深く掘り下げるしかなかった。
似たような事件を思い出す
数年前、同じように土地の面積をわずかに拡大していた案件があった。登記名義は変えずに、筆界だけを操作していた。
そのときの目的は、建ぺい率ギリギリの増築だった。今回も、そうした“合法ギリギリ”のトリックか。
過去の案件から学んだこと
結局、書類だけを見てもダメなのだ。現地を歩き、人の話を聞き、手書きの跡をじっと眺める。手間を惜しんでは真実に届かない。
そして何より、大事なのは「疑う力」だ。書かれていることこそ、時に一番の偽りになる。
隠された移転登記と亡き所有者の名
古い登記の中に、故人の名が残っていた。その名義が一時的に外れたあと、再び戻された記録。だが、それは“生前の本人の意志”によるものではなかった。
まるで、誰かが未来を「書き換えた」かのようだった。
境界を操作したのは誰か
犯人は、すでに亡くなったはずの地主の弟だった。昔、不動産業を営んでいたという彼は、兄の土地の将来価値を読んでいた。
公図と筆界、そして法的な抜け道を利用して、誰にも気づかれぬまま少しずつ線をずらしていたのだ。
公図に描かれた“未来”とは何だったのか
それは、欲望が描かせた夢の設計図だった。線を引くことで、数十坪の利益が生まれる。誰かの未来のために、過去が上書きされていた。
公図が示していたのは、真実ではなく“願望”だったのだ。
結末 過去を塗り替えたインクの行方
犯人はすでに他界していたが、僕たちは訂正申請を行い、境界線は元に戻された。依頼人は涙ぐみながら何度もお礼を言ってくれた。
だけど、ふと思う。きっとこの先も、どこかで誰かが“未来を描く”ことだろう。紙とペンだけで。
シンドウが導き出した答え
不正を暴くのは、気持ちが良い仕事じゃない。だけど、信じてくれる人がいる限り、僕はこの面倒な仕事を続けるしかないのだろう。
「まったく、俺ってやつは、、、」 自嘲気味に笑うと、サトウさんが冷たく言った。「そのセリフ、10回目ですよ」
真実は線の外にあった
真実とは、書かれていないところにこそ宿る。線の中ではなく、線の外に。それは地図でも登記簿でもなく、人の行動にこそ現れるものなのだ。
だから僕は今日も、境界線の先を見つめている。誰かが描いた“未来”の、その奥を。