自分の老後が不安すぎて他人の相続に集中できない日もある

自分の老後が不安すぎて他人の相続に集中できない日もある

朝から相続の相談なのに頭の中は年金のことばかり

朝の9時から、60代後半のご夫婦が遺言と相続の相談で来所された。にこやかに資料を差し出され、しっかりした資産リストまで持参。ところが、私はその瞬間から「自分はあと20年後どうなってるんだろう」と頭の中で電卓を叩き始めてしまった。年金だけで食べていけるのか。今のままで老後に備えられるのか。そんな計算がグルグル回って、肝心の相続の話に集中できない。お客さんの前では真面目に振る舞っていても、内心はずっと不安に襲われていた。

年金定期便を見るたびにため息しか出ない

先日、自宅のポストに年金定期便が届いた。開いてみると、受給見込額の少なさに愕然とした。今まで真面目に働いてきたつもりでも、国民年金だけでは到底暮らせそうにない。「ああ、自営業ってこういうところで現実を突きつけられるんだな」と思った。昔の同級生が公務員になって、安定した年金をもらえることを羨んでしまう自分が情けない。でもそれが正直な気持ちだ。

将来の生活費の計算に現実逃避したくなる

老後の生活費を試しにExcelでざっくり計算してみた。住居費、食費、医療費、雑費……どれも削れそうにないし、物価上昇もある。70歳でひとり暮らしをしている姿を想像すると、急に足元がグラつくような不安に襲われた。老後の蓄えを増やすには今の仕事をもっと頑張らなきゃいけないのに、気持ちがついていかない。

数字が並ぶと余計に老いが迫ってくる気がする

銀行の残高と年金の試算表、それに加えて老後の支出リスト。数字に囲まれると、まるで自分の老いを数値化されているようで怖くなる。どこにも余裕はなく、何一つ安心できる要素がない。「あと何年生きるのか」なんて想像すればするほど、余計に胸が苦しくなる。数字って、残酷だ。

依頼者の幸せな家族写真が目に刺さる

相続相談の際、依頼者が家族写真を持ってきてくれることがある。子どもたちの笑顔、夫婦で写る旅行先の風景、孫に囲まれた誕生日パーティーの様子。そういう写真を見るたびに、「この人には支えてくれる人がたくさんいるんだな」と羨ましくなる。こっちは一人暮らしのまま、将来の写真なんて想像すらできない。

笑顔の相続人たちと独りの自分

遺産分割協議の場で、兄弟姉妹が穏やかに話し合う様子を見ると、胸の奥がチクリと痛む。争いのない相続は仕事としてはスムーズだけど、個人的には少しつらい。誰かと老後を支え合うという感覚が、自分にはあまりに遠い。誰にも迷惑をかけたくないけど、誰にも頼れない未来も、それはそれで恐ろしい。

独身であることに言い訳できなくなってきた

若い頃は「今は仕事に集中してるから」「そのうち結婚するさ」と言い訳していた。でももう45歳。最近では「結婚しなかった」のではなく「できなかった」のかもしれないと、静かに受け入れつつある。それでも、老後を一人で過ごす想像にはなかなか慣れない。自分だけが取り残されたような気持ちになる。

先生はご家族いらっしゃるんですかの破壊力

雑談の流れでふと聞かれるこの質問。悪気がないのはわかってる。でも、「ええ、一人です」と答えるたび、どこかに針を刺されたような痛みが残る。家族構成がないことがこんなに寂しく感じる日が来るなんて、思いもしなかった。笑ってごまかすのが精一杯だ。

遺言書を読む手がふと止まる瞬間

仕事柄、毎日のように遺言書を見る。そのたびに、「この人は自分の死後までしっかり考えているんだな」と感心する。でも、ふと自分のことを思うと、何も準備できていない。自分が突然倒れたら、誰が手続きをしてくれるんだろうか。遺言どころか、緊急連絡先すらちゃんと書いていない。そんな自分にハッとする。

他人の死後の準備が自分の死を意識させる

他人の死を日常的に扱うからこそ、自分の死も妙に現実的に感じる。「死後事務委任契約」や「エンディングノート」という言葉が、急に身近なものに感じられてくる。でも、いざ自分のこととなると、途端に筆が進まない。何を書けばいいのか、誰に託せばいいのか、考えれば考えるほど不安になる。

備えができているのはお客さんだけ

皮肉な話だが、相談に来るお客さんの方がよほど備えができている。相続対策も、終活も、しっかり考えて行動している。一方こちらは、日々の業務に追われるばかりで、自分の老後の設計には手をつけられていない。人のことばかりやっていて、自分のことが全くできていない。それが一番の問題かもしれない。

自分だけが置いてけぼりのような気分になる

周囲の人が次々と老後の準備を整えていく中、自分だけが時間の流れに取り残されているような気持ちになる。未来に対する備えがないのは、自分が未来を信じきれていないからかもしれない。老後のことを真剣に考えるほど、虚しさだけが残ってしまう。

仕事中でも老後資金の計算が頭から離れない

登記簿をチェックしている最中に、「あれ今月の積立っていくらだったっけ?」と考え出してしまう。集中すべきタイミングで、老後の不安が脳裏をよぎる。そんな自分に「仕事に集中しろ」と言い聞かせるが、なかなか気持ちは切り替えられない。誰かと話したいけど、話せる人もいない。

毎月いくら積み立てれば安心なのかが分からない

ネットや書籍を読んでも、「老後に必要な資金は3000万円」とか「月10万円の積立が理想」とか書いてある。だけど、現実問題として、そんなに余裕のある生活じゃない。今すぐ取り組める金額でもなければ、将来の見通しも明るくない。結局、安心なんて幻想でしかないのかもしれない。

住宅ローンもないのに安心できない不思議

持ち家だし、ローンもない。それなのに、なぜこんなに不安なんだろう。たぶん、経済的な問題よりも「一人でいること」そのものが不安なのだと思う。病気になったとき、孤独を感じたとき、支えてくれる人がいるかどうか。それが老後の安心感を決めるのかもしれない。

愚痴っぽいけど誰かに聞いてほしい

こんなことを毎日考えていると、どうしても愚痴っぽくなってしまう。でも、誰かに聞いてもらえるだけで気が楽になる気もする。同業の誰かと語り合える場があればと思うこともある。独立して一人で事務所をやっていると、そういう場もなかなかないのが現実だ。

事務員さんには重すぎて言えない話

優しい事務員さんがいて助かっている。でも、こういう個人的で内向きな話は、彼女に話すわけにもいかない。自分の老後の不安とか、孤独感とか、泣き言みたいな話は、聞かせる相手を選ぶ。結局、心の中にしまったまま、また次の相続相談に向かう日々が続いていく。

心配しすぎですよと笑われるのが一番つらい

たまに相談できそうな相手ができても、「そんなの心配しすぎだよ」と軽く笑われてしまう。その瞬間、ああやっぱり話すんじゃなかったなと後悔する。不安の感覚は人それぞれ。軽く流されると、自分の感情そのものが否定された気がして、余計に孤独になる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓