疲れが顔に出すぎて鏡が怖い

疲れが顔に出すぎて鏡が怖い

鏡に映る自分に驚いた朝

朝起きて、何気なく洗面所の鏡を覗いた瞬間、「誰だこれ」と本気で思った。目の下にはくっきりとしたクマ、顔色はくすみ、口角は見事に下がっている。確かに昨日は遅くまで仕事をして、寝たのは午前3時。しかも、ろくに晩飯も食べずにインスタント味噌汁だけで済ませたのだった。こんな生活を続けていれば、そりゃあ顔にも出る。それでも、「まさかここまでとは」と呆れるような老け顔がそこにいた。

疲れの正体はどこに現れるのか

疲れは体よりも先に、顔に出る。これは私の持論だ。体の痛みは、ある程度無視できる。しかし、顔に出た疲れだけは隠せない。依頼人と向き合うとき、自分の顔がどれだけ「疲れてます」と語ってしまっているか、時々ゾッとする。どんなに資料を揃えても、どんなに丁寧に説明しても、相手が見るのは最初に映る「顔」。人間、見た目が9割とはよく言ったものだ。

目の下のクマとたるみの主張

司法書士という仕事は、意外と目を酷使する。登記簿、委任状、住民票、何から何まで細かい文字が並ぶ書類ばかりだ。そんな文字を日がな一日見続けていれば、自然と目も疲れる。最近は老眼も進んできて、焦点が合わないまま無理に読もうとして目を細めることも多くなった。それが顔のシワとなり、クマとなり、どんどん「老け顔」に拍車をかけていく。

口角が下がるだけで人相が変わる

忙しさで笑う機会が減ったのもあるのかもしれない。気づけば口角が常に下がった状態になっていて、自分で写真を見るたびに「怖っ」と思ってしまう。これじゃあ、相談者も話しかけづらいだろうなと反省はするものの、忙しい日常の中で意識的に笑顔を作る余裕なんて、正直言ってない。人相って、生活の鏡なんだとつくづく思う。

「顔に出てますよ」の一言が突き刺さる

ある日、常連の依頼人に「先生、疲れてません?」と言われた。たぶん、気遣ってくれた言葉だったのだろう。でも、内心ではかなり刺さった。自分では隠しているつもりだったのに、隠しきれていないという現実。あの瞬間、鏡に映る自分の顔が一瞬で脳裏に蘇った。

依頼人からの指摘が一番こたえる

特に信頼関係ができている依頼人からの一言は、本当に効く。体調を気遣ってくれてるのはありがたい。でもその裏に、「この人に任せて大丈夫かな?」という無意識の不安もある気がして、怖くなる。顔に疲れを出すということは、仕事の信頼にも関わるのだと痛感した瞬間だった。

事務員にも気を使わせてしまう現実

うちの事務員も、最近は私の顔色を見て声をかけるタイミングを図っているようだ。ある日、「今日はご機嫌ナナメですね」と笑いながら言われたが、それってつまり「いつも不機嫌そう」ってことか…?そんなつもりはなくても、疲れが顔に出て、無言で空気を悪くしている自分がいた。職場の雰囲気も、顔ひとつで左右してしまう。それがまたプレッシャーになる。

司法書士という仕事の「顔」への影響

私たち司法書士は「士業」と呼ばれる専門職。専門知識や正確な処理能力が求められるのはもちろんだが、同時に「この人に任せて安心」と思ってもらえる“雰囲気”も大事だ。その“雰囲気”の大半は、結局のところ「顔」で伝わる。疲れた顔、険しい顔は、それだけで損をするのが現実だ。

登記ミスよりも怖い「不機嫌そうな顔」

登記の記載ミスや書類不備は確かに致命的だが、それよりも日常的に怖いのは「この人、怖いな」「感じ悪そうだな」と思われてしまうことだ。特に初対面の相談者にとっては、第一印象が全て。その第一印象の9割が「顔の雰囲気」で決まると思うと、気を抜けない。けれど、疲れているとどうしても顔に出てしまう。この矛盾がつらい。

信頼を損なうのは表情から

いくら実績を積んでも、表情が暗いと「なんとなく不安」と思われてしまう。これは士業だけでなく、接客業全般に言えることだろう。けれど司法書士の場合、相談者は人生の大事な局面で来所してくることが多い。「この人なら大丈夫」と思ってもらえる雰囲気作りの第一歩が、顔の印象なのだと、最近やっと気づいた。

専門職ほど「見た目」が命取り

見た目だけで中身まで判断されるのは心外だが、世の中はそんなものだ。特に、信頼が命の仕事では、見た目は実績以上に評価されることもある。真面目にやってるのに…と嘆いてもしょうがない。顔に出すぎる自分をコントロールする術を、真剣に考えないといけない時期にきている。

デスクワークがもたらす顔面疲労

一日中座ってパソコンとにらめっこ。そんな生活を10年以上続けてきた。もちろん運動不足にもなるし、血流も悪くなる。気づけば顔色はどんより。頬もたるみ、むくみも取れない。これを「疲れの蓄積」と言わずして、何と言うのだろうか。健康診断よりも、自分の顔が体調を語っている。

PC画面のブルーライト地獄

特に目の奥の痛みと重さは深刻だ。夜になればなるほど画面の明るさが刺さるように感じる。最近ではブルーライトカット眼鏡も試してみたが、焼け石に水だった。目を酷使すれば、当然その疲れは顔全体に影響する。目が死んでると、顔全体が死んで見える。これは本当に恐ろしい。

表情筋の使わなさが逆に怖い

誰ともしゃべらない日もある。来所がない日、電話も鳴らず、ひたすら書類と向き合う時間。そんな日は笑うこともなければ、眉も動かさない。表情筋を全く使わない時間が長く続くと、顔が固まっていくような感覚になる。「老け顔」ではなく「無表情顔」と言った方が近いかもしれない。これもまた、疲れの一種だ。

じゃあ、どうすればいいんだ

正直、解決策があるのなら教えてほしい。とはいえ、何もしないままでは何も変わらない。疲れが顔に出るのは仕方ない。だけど、せめて少しでも和らげる方法を見つけていきたい。そんな思いで、自分なりの対策を模索している。

運動?睡眠?そんな時間どこにある

健康の基本は「運動と睡眠」だなんて、耳にタコができるほど聞いた。でも、現実にはそんな時間はない。夜中まで仕事して、朝は早くから電話対応。休日は行政書士との連携や研修。そんな生活の中で、「週に3回30分の有酸素運動」なんて、どこの世界の話だ?というレベルだ。

仕事終わりにジムに行く気力は残っていない

一度だけ、勢いで24時間ジムに入会したことがある。が、2回通って幽霊会員に。仕事終わりに運動なんて、そんな体力は残っていない。仕事後はもう、コンビニ弁当と風呂と布団しか頭にない。理想論はもう聞き飽きた。現実を生きるには、まず心の体力が必要だ。

「ちゃんと寝てますか?」の言葉が空しい

「先生、ちゃんと寝てますか?」と優しく言われると、それが逆に心にしみる。寝たい。そりゃ寝たい。でも、寝る前にやることが山積みなのだ。日中に処理しきれなかった書類、明日朝一で提出の申請書、メールの返信。全部、夜に持ち越される。そして寝不足になる。このループから抜け出せる日は来るのだろうか。

せめてもの抵抗としての「表情トレ」

最近、試しているのが「顔ヨガ」や「表情トレーニング」。とはいっても、風呂場でこっそり口を開けたりすぼめたりしている程度。でも、やらないよりはマシだと思っている。自分の顔を少しでも整える努力をしているという、自己満足の世界。でもこの小さな習慣が、いつか効果を出すことを信じたい。

こっそりやってる顔ヨガの話

誰にも見られないように、夜の風呂場でこっそり顔を動かす。口角を上げて、眉を持ち上げて、頬を膨らませる。最初は馬鹿馬鹿しいと思っていた。でも、これをやるとほんの少しだけ、血行が良くなる気がするし、終わった後は顔が軽い。続ける意味はあるのかもしれない。

それでも変わらぬ老け顔の哀しみ

とはいえ、鏡に映る自分は相変わらず疲れている。表情トレをしても、生活を根本から見直さない限り、大きな変化はないのだろう。でも、だからこそ思う。今できることを、無理せず、少しずつでもやるしかない。疲れが顔に出るのは、人間らしさの証かもしれない。そう、自分に言い聞かせて、今日も鏡の前に立つ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。