登記簿が語る遺言の影

登記簿が語る遺言の影

静かな依頼人

古びた登記簿と一枚の写し

朝のコーヒーがまだ温かいまま、事務所の扉が音もなく開いた。入ってきたのは、地味なスーツを着た中年の男性。手には封筒と、少し折れたコピー用紙の束が握られていた。

「相続登記をお願いしたいんです」と、彼は淡々と告げた。その声には感情の起伏がなく、何かを隠しているようにも感じられた。

封筒を受け取り、中を覗くと、写しの遺言書と数年前の登記事項証明書が入っていた。だが、妙なことに気づくまでに時間はかからなかった。

「ちょっとした相続なんですけど」

彼が言った「ちょっとした」という言葉の裏には、何かしらの大きな影が潜んでいる気がした。経験上、そういうときに限って碌なことがない。

登記簿の名義人の死亡時期と、遺言書の日付に奇妙なズレがあった。死後に作成された書面? いや、まさか。まずは冷静に調べるしかない。

「サトウさん、これ、ちょっと確認してみてくれませんか」と声をかけると、彼女は面倒くさそうに「はいはい」とパソコンに向かった。

過去と現在のずれ

サトウさんの違和感

「この登記簿、平成十八年の合筆の記録があるのに、今出された写しにはそれが載ってませんね」サトウさんは指先で画面を軽く叩いた。

つまり依頼人が持参したのは、古いまま更新されていない登記事項証明書だったというわけだ。それ自体は珍しいことではない。だが、なぜ彼はわざわざ古いものを?

さらに、現行の登記簿を取り寄せてみると、新たな登記がいくつもなされており、所有者の変遷が想定より複雑になっていた。

記載と現実の小さな不一致

「この筆界、地図情報と違ってます。変更登記が抜けてるかもしれません」とサトウさん。手際よく補正案を打ち込んでいく様子は、もはや探偵助手レベル。

僕は正直、専門外の細かい地積や座標の確認にうんざりしながらも、登記簿に現れない「何か」が気になっていた。

「やれやれ、、、今日も平穏無事には終わらなそうだな」と、いつものように独りごちた。

消された地番

登記情報提供サービスに残された痕跡

国のオンライン登記情報提供サービスで検索をかけてみると、依頼人が主張していた土地の一部が検索でヒットしなかった。

「消された?」とサトウさんが眉をひそめた。「違う。合筆か分筆されて、別の番号になってるだけかもしれん」と僕。

しかしその後の調査で、登記簿の一部が抹消登記によって削除されていた事実が明らかになる。それは、過去の相続に関係した手続きだった。

固定資産課での意外な証言

市役所の固定資産課を訪ねると、担当者が「あの土地、実際には別の人が固定資産税を払ってますよ」と淡々と答えた。

しかもその名前は、遺言書に一切出てこなかった、全く別の相続人だった。登記はされていないのに、実態としての所有が移っている?

この瞬間、頭の中で『金田一少年の事件簿』ばりの「犯人はこの中にいる!」的な音楽が鳴った気がした。

もう一つの遺言書

封印された封筒と遺されたメモ

依頼人宅を訪問した際、仏壇の引き出しから封印された封筒が出てきた。中には、新たな遺言書と、手書きのメモ。

「本当のことは、登記簿に書けなかった」──そう記された文字は震えていた。誰かを守るための沈黙だったのかもしれない。

この時点で、依頼人は驚くほど冷静だった。「これで、やっと肩の荷が下ります」とさえ言った。

書かれた日付と名前の謎

新しい遺言書は、前回のものより日付が新しく、しかも相続人の構成も異なっていた。これは効力を持つ可能性が高い。

だが、そこにはなぜか、登記簿に一切関与していなかった女性の名が。「誰ですか、この人?」とサトウさん。

依頼人の顔が強張る。「妹です。戸籍には……載っていませんが」。戸籍に載らない? つまり非嫡出子か? そうなると相続分は?

土地の真の所有者

見落とされた合筆登記

調査を進めると、5年前に土地が合筆されていたにもかかわらず、その手続きが法務局に完全には反映されていなかったことがわかった。

原因は、書類上の記載ミス。旧番地がそのまま書き込まれ、正規の手続きとして成立していなかったのだ。

これを正さなければ、相続登記など到底できない。つまり、僕の出番というわけだ。

司法書士としての一手

過去の登記原因証明情報を一枚一枚確認し、関係者への聞き取りも含めて真の所有者を導き出す。

申請人の意向を尊重しながらも、僕は法に基づいた正しい道筋を選んだ。現実はドラマのように都合よくはいかない。

それでも、真実に近づいていく過程が、嫌いじゃない。まるで野球の9回裏の逆転チャンスみたいに。

やれやれ、、、またこのパターンか

相続人の中の裏切り者

新たな相続人の登場により、親族会議が再び紛糾した。「そんな人、聞いたこともない!」と怒鳴る伯父。

だが、DNA鑑定と戸籍外証明によって、存在は事実として証明された。相続は感情ではなく、法に従うしかない。

「やれやれ、、、サザエさんの波平ですら、ここまで怒らないよ」と僕はつぶやいた。

隠されていた過去の調停記録

家庭裁判所に問い合わせたところ、かつて非公開で行われた遺産調停の記録が存在していた。

そこには、依頼人の母が、婚外子の存在を隠すよう家族に求めた証言が残されていた。口外すれば、家名が潰れると。

つまり、真実はずっと伏せられていたのだ。登記簿の背後にある人間のドラマが、ついに姿を現した。

証明された真実

登記簿の一行が示す決定的な証拠

再申請された登記が無事に完了し、登記簿に「令和七年八月七日 相続による所有権移転登記」と記載された。

その一行が、長い家族の葛藤と争いの結末を静かに物語っていた。紙の上で完結するのが、司法書士の仕事だ。

けれどもその一行の重みを、僕は誰よりも知っている。

サザエさんの家系図より複雑

「結局、相続人って全部で何人いたんですか?」とサトウさんがぼそり。「8人。でも、4人は最初存在すら知られてなかった」

「サザエさん一家より複雑ですね」「ほんとにな」。最後に僕たちは、珍しく声を揃えて笑った。

事件が解決したあとに訪れるこの静けさが、僕は嫌いじゃない。

依頼人の涙

明かされた故人の意志

依頼人は新しい登記簿を見つめながら、ぽつりと「母は、ずっと自分を責めていたと思います」と言った。

その目には、涙が浮かんでいた。紙の向こうに、母の本当の思いが届いたのだろう。

誰もが知らなかった遺言の影。それを照らし出すのが、僕たちの仕事なのだ。

サトウさんの言葉に救われる夜

夜になって事務所に戻ると、机の上にサトウさんが置いた缶コーヒーがあった。メモには「おつかれさま」の一言。

「……サトウさん、たまに優しいよな」とつぶやくと、物陰から「聞こえてますよ」と冷たい声が返ってきた。

やれやれ、、、この事務所は、事件より手ごわい。

再び日常へ

書類の山とコンビニ弁当

翌朝、いつものように大量の書類がデスクに積まれていた。「……昨日までの感動、ゼロだな」と苦笑する。

コンビニ弁当を片手に、また新しい一日が始まる。事件の余韻は、もうどこにも残っていない。

だが、心の中には、確かに小さな火が灯っていた。

「次の事件、来ないといいですね」

「そうですね。来ないといい……けど、来ますよ。きっと」サトウさんの淡々とした声が、妙に説得力を持っていた。

事件は終わった。だが人生という登記簿には、まだまだ空白の行が残されている。

僕たちは、それを一つずつ埋めていく仕事をしている。それだけは、たぶん、誇れる気がする。

エピローグ 登記簿が見たもの

記録の中に残る人間の物語

登記簿はただの記録じゃない。その一行一行には、誰かの人生と、誰かの嘘と、誰かの願いが詰まっている。

静かで無機質な文字列の奥に、確かに息づく物語。それを見つけるのが、僕の仕事であり、人生だ。

やれやれ、、、次の物語がもう始まってる気がしてならない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓