朝のメール通知に潜む違和感
その朝、いつものようにメールを開いた瞬間、背中に冷たい汗が流れた。電子申請の完了通知が届いていたのだが、心当たりがない。前日に依頼された登記申請は、まだ必要書類が揃っていないはずだった。
「なにこれ……送ってないぞ」とつぶやきながら、画面を何度も更新する。しかし、何度見返しても申請番号と内容に間違いはない。
これがただのシステムの不具合であれば良かったのだが、その直感はすぐに現実のものとなる。
未完了のはずの電子申請
前日、申請人である依頼者の遠藤氏は、まだ戸籍の取り寄せを依頼したばかりだった。その書類が届くには早くても数日かかるはず。つまり、申請するには物理的に無理がある。
それなのに、なぜか完了処理がなされていた。内容は相続登記で、被相続人の名義を息子に変えるというものだった。
「いや、これはおかしい…」俺は自然と口から言葉が漏れた。
サトウさんの冷静な一言
「送ったのはシンドウさんじゃないですか?」サトウさんがノートPCを覗きながら冷たく言った。いつもながら、感情の起伏が読み取れない。だがその目は何かを見逃さない光を放っていた。
「いや、絶対に違う。俺、申請ボタン押してないもん」
「じゃあ誰が押したんでしょうね。…亡くなった人とか」
謎の完了通知と封じられた記録
おかしいのは通知だけではなかった。電子申請の操作履歴を確認しようとしたが、ログに異常があった。申請が受け付けられた日時が空白になっていたのだ。
普通なら、「誰が、いつ、どの端末から送信したか」が明記されている。しかしそれが、まるで最初からなかったかのように抜けていた。
「やれやれ、、、サザエさんのノリなら、ここで“バカねぇ〜カツオ!”って笑って終わるんだがな」苦笑いしか出なかった。
操作ログの不在
「サーバートラブルかと思いましたけど、これは意図的に消された可能性がありますね」サトウさんが言う。
「操作ログなんて消せるもんなのか?」と聞くと、彼女は小さくうなずいた。
「普通はできません。でも、内部の人間なら、やろうと思えば…」
二重に送られたデータの痕跡
よく見ると、データ送信履歴が二重になっていた。ひとつは本物。もうひとつは、数分後に微妙な形式で再送信されたもの。
つまり、最初の申請は破棄され、偽の申請にすり替えられたということか。
なにか底知れぬ悪意のようなものが、じわじわと背中に迫ってくる気がした。
登記官との曖昧な会話
法務局に電話をかけると、登記官は曖昧な返答を繰り返した。明らかに何かを隠しているような口ぶりだった。
「その申請は、確かにこちらで受理されました」
「でも、それ以上の情報は個人情報保護の観点からお答えできません」
本庁からの転送という言い訳
「今回の申請は、地方出張所ではなく、本庁からの転送です」
そう言われても納得がいかなかった。そもそも本庁に申請された記録すら見つからないのだから。
どこかで記録の帳尻が合わせられている。まるで、何かの痕跡を意図的に消しているように。
過去の案件との奇妙な一致
さらに過去の案件を洗い出していくと、似たようなパターンの申請がいくつも浮かび上がってきた。
すべて、ある一人の司法書士名義で申請されており、その人物は数年前に突然廃業していた。
「まさか…その司法書士が関わってるのか?」
依頼人が抱えていた秘密
依頼人である遠藤氏に再度連絡すると、彼は思いがけないことを口にした。
「実は父の死後、すぐに誰かが通帳とカードを持ち去ったんです」
「今回の相続も、実は私ではなく、兄の意志でやろうとしていたことだったんです」
故人と電子証明書の接点
被相続人である父のマイナンバーカードは、まだ有効だった。それが誰かに悪用された可能性が浮上する。
たとえば、父が死ぬ直前に申請の下書きが残っており、それを第三者が掘り起こしたとすれば…。
何も知らない家族を装って、裏で手続きを乗っ取ることは可能だ。
家族内での対立と代理申請
遠藤氏の兄は、かつて大きな借金を抱えていたという。遺産が分割されれば自分の取り分が減る。
そのため、すべてを自分の名義にしようと、電子申請を偽装したのではないか。
「電子は便利だけど、冷たいな。人の悪意をそのまま運んでしまう」俺はそう感じた。
サトウさんの推理と突き刺さる事実
「お兄さん、前に不正アクセスで捕まった過去がありますよ」サトウさんが調べ上げた情報は的確だった。
しかも、その時に使われたIPアドレスと、今回のアクセス履歴の一部が一致していたのだ。
「この件、立証できますよ。たぶん、電子証明書を使って本人になりすましたんです」
真犯人の申請は一度きり
兄が申請したのは一度だけ。それを複製して別の端末から送信することで、自分の存在を消した。
法務局のデータベースには痕跡が残っていた。削除されたように見えて、完全に消すことはできなかったのだ。
その証拠が決定打となり、事件は警察の手に渡された。
過去ログに記された不在の証拠
「あのとき、父の通帳を探していたんじゃなくて、カードを探してたんだな…」遠藤氏がつぶやいた。
人は亡くなっても、デジタル上ではまだ“生きている”。そして、その影を悪用する者もまた、生きているのだ。
真実は、過去ログという誰も見ない闇にこそ、静かに潜んでいた。
電子申請が証明した人間の嘘
「便利なものほど、怖いんですよ」サトウさんが、ポツリと言った。
「紙なら偽造を疑うのに、デジタルだと人は信じきってしまう」
俺は思わず天井を見上げた。やれやれ、、、ほんとに、時代に置いていかれそうだ。
紙の書類では残らなかった痕跡
今回の事件は、もし紙でやっていればすぐに不審に気づかれていたかもしれない。手書きの筆跡、印鑑のズレ、郵送の時間差。
だが電子の世界は違う。一度通ってしまえば、すべてが正当な手続きとして処理されてしまう。
そこにあるのは、ただのデータ。しかしそのデータが、誰かの未来を変えてしまうのだ。
やれやれとつぶやいた午後
午後の静かな事務所に、キーボードを打つ音だけが響く。
「これからは、操作ログも証拠保全していくべきですね」とサトウさん。
俺は書類棚に寄りかかりながら、小さくつぶやいた。「やれやれ、、、おっさんには厳しい時代だよ」