登記完了目前の午後二時五十九分
「この書類、今日中じゃないとダメなんです!」と、目の据わった依頼人が押し込んできたのは、まさに午後2時59分。登記完了の受付は午後3時まで。ギリギリの滑り込み、まるでルパン三世が金庫の蓋を閉じる直前に滑り込むようなタイミングだった。
僕は慌てて書類を受け取り、目を走らせたが、妙に整いすぎている印影と筆跡に、胸の中で小さな違和感が灯った。「やれやれ、、、また厄介な案件かもしれないな」と、思わず口に出た。
サトウさんは既にPCを立ち上げ、オンライン申請の準備に入っていた。その目は冷たく鋭い。これはただの登記じゃない。
事務所に持ち込まれた奇妙な依頼
依頼人は、駅前の再開発地域にある古アパートの名義変更を急いでいた。理由を聞くと、「解体が迫っていて、補償金の受け取りに間に合わない」という。
しかし、その建物の持ち主は、数年前に亡くなっているはずだった。名義が変わっていないのに、今になってなぜ?
書類を眺めながら、背筋に冷たいものが走った。これは――誰かが意図的に“何か”を隠そうとしている。
不自然な委任状
委任状の印影は、完璧に押されていた。だが、あまりに完璧すぎる。しかも、他の書類と比べて筆跡が微妙に違っていた。
「これ、誰が書いたって言ってましたっけ?」とサトウさんが口を開く。「相続人の一人だよ」と僕が答えると、彼女は小さくうなずいた。
「じゃあ、その人に電話して聞きましょう。本人確認は司法書士の基本ですからね」彼女の口ぶりは、まるで明智小五郎だ。
筆跡と印影の微妙な違和感
電話の向こうから聞こえてきたのは、驚いたような声だった。「え?そんな書類、出してませんよ?」
僕は受話器を持ったまま目を閉じた。まさかとは思ったが、やはりそうか――これは偽造だ。
「やれやれ、、、間に合うのか、これ」時計は午後2時59分50秒を指していた。
謄本の中の空白
謄本を読み返すと、あるべきはずの住所変更の登記がなかった。ということは、この依頼人が持ってきた資料はすべて“加工”された可能性が高い。
不自然な空白、消された履歴、変わった名義人。サザエさん一家なら「波平がまた勝手に書き換えたのか」なんて笑える話だろうが、こっちは笑えない。
「時間ないですよ」とサトウさんが言う。まるでキャッツアイのアイのような目をしていた。
登記名義人の意外な履歴
調べてみると、登記名義人は生前に借金を抱えており、アパートには抵当権が設定されていた。その解除登記も今回の書類には含まれていない。
つまり、今回の依頼人は、その事実を“見えなくして”売却利益を得ようとしていた。補償金を騙し取る気だ。
時間との勝負だったが、これは放っておけない案件だった。
サトウさんの冷静な指摘
「これ、入力しません。オンライン申請止めます」と、サトウさんは僕のPCを閉じた。
「申請する前に事実確認です。これ以上進めたら、私たちが共犯になります」その言葉は重く、冷たく、そして正しかった。
僕は大きく息を吸い、依頼人に向き直った。「が、これは受任できません」
古い登記の裏に隠されたもの
さらに確認すると、古い登記にはもう一人の法定相続人の存在があった。今回の依頼人はそれを隠していた。
登記内容を偽って利益を得ようとするケースは、稀ではない。けれどここまで大胆な偽造は久しぶりだった。
依頼人は顔色を変え、何も言わずに書類をかき集めて逃げるように出て行った。
消えた一枚の書類
翌日、その依頼人が持ち込んだ資料の写しを整理していたサトウさんがふと口にした。
「これ、最初に見せてきた所有権移転の申請書、途中から別の紙にすり替わってたんじゃ?」
確かに、紙質が途中で変わっていた。提出寸前で“無害な書類”と入れ替えるつもりだったのだろう。
登記簿副本は誰の手に
役所に確認を取ると、数日前に“別の司法書士”の名前で同様の書類が提出されていたことがわかった。これは組織的な登記偽装かもしれない。
僕たちはその情報を司法書士会に報告し、正式な調査依頼を出した。
「サザエさんの次回予告みたいに言うと、『次週、シンドウ、会則違反と戦う!』ってとこですね」とサトウさんが笑った。珍しい。
司法書士協会からの一本の電話
協会の担当者は静かな声で、「実は、似たような事例が他にも数件あるんです」と語った。
つまり、これは氷山の一角。もしや、司法書士を偽装して偽造登記を繰り返すグループが――?
僕の背筋が凍った。こんな田舎町でそんな大それたことが?いや、だからこそ狙われるのかもしれない。
一分後に迫る締切と真実
あの日、サトウさんが申請を止めなければ、僕は犯罪に加担していたかもしれない。
「ギリギリで正義を取るのがシンドウ流ってわけですね」とサトウさん。そんなわけあるか。
「やれやれ、、、正義ってやつは、残業と同じくらい手強い」
最後の一分間
依頼人は後日、別件の詐欺容疑で逮捕された。アパートの補償金の支払いも一時保留となり、相続人全員の同意が必要とされた。
僕はというと、またも「やらなくてもいい修羅場」に巻き込まれた気分だったが、それでも依頼人のウソを見抜けたことに少しだけ満足していた。
そして今日も、事務所には新たな書類の山とサトウさんの冷たい視線が待っていた。「あの……僕、もう野球部のノック受けてる気分です……」