静かな山あいの土地トラブル
電話の向こうの声は、くぐもっていて少し震えていた。「道が、通れなくなったんです」。
地方の山間部にある古びた宅地、そこへ向かう道がふさがれてしまったらしい。
正直、最初はいつものご近所トラブルかと思っていた。だが、そう簡単ではなかった。
地役権ってそんなに大事なのか
「地役権ってのは、要は“通っていい権利”です」
依頼人の老夫婦は頷きながらも、まだ疑念を抱えている様子だった。
「じゃあ、それが消されたら、通れなくなるってこと?」――その通りです。問題は、誰が、なぜ、そんなことを。
依頼人はぼそぼそと経緯を語る
「昔はね、兄貴の土地だったんですよ。私道も含めて。でも相続のときに分けて……」
分けていない。登記上はそうなっていた。だが記録を見る限り、何かが変だ。
紙の上では確かに通れることになっているのに、実際には門扉が設置されていた。
現地調査という名の遠足
久々の遠出だった。晴れ渡る青空、緑深い山々――だが心は晴れなかった。
立ちはだかる門扉は無言の圧力を放っていた。これはただの私道ではない。
近所の住民も腫れ物に触るような目でこちらを見ていた。
通れなくなった道と怒る老夫婦
「ここは私らの道ですよ!あの門はあとから兄が勝手に……!」
年老いた依頼人の声は悲鳴に近かった。生活がかかっているのだ。
このまま通れなければ、宅配も介護も止まってしまう。事態は深刻だ。
そこに地役権は確かにあった
地積測量図、謄本、古い覚書の写し――すべてを照らし合わせた。
確かに過去に地役権は設定されていた。しかも永久的なものだったはずだ。
なのに、なぜいま使えなくなっている?誰が、どうやってそれを消した?
サトウさんの一言で何かが動く
「この図面、何か変じゃないですか」
サトウさんが指差したのは、平成初期の図面の隅だった。
そこにだけ、不自然な破線が書き足されていた――訂正印も、何もない。
気付けば事務所で独り汗をかいていた
山から帰ったあと、事務所で一人図面を見つめる夜が続いた。
やれやれ、、、もう少し涼しい季節だったら良かったのに。
冷房は古くて効かず、うちわだけが頼りだった。
登記簿に残された微かな痕跡
古い登記簿謄本を読み込む。文字はかすれ、インクはにじんでいた。
だが、あった。地役権の設定日。そしてその数ヶ月後、抹消の記録。
奇妙なことに、抹消の申請人が“本人”となっていた。依頼人は否定した。
昭和の時代に交わされた合意書
市役所の文書庫で見つけた合意書は、確かに二人の署名捺印入りだった。
しかし、その文字が依頼人の書体とはあまりに違っていた。
まるでドラえもんの世界から抜け出してきたような、雑で単純な偽造だ。
なぜそれが抹消されたのか
結論は明白だった。兄が勝手に署名をまねて抹消登記を出したのだ。
だが、抹消には司法書士の関与が必要。つまり、誰かがグルになっている。
さて、その“誰か”の正体を突き止めなければならない。
そして浮かび上がる怪しい司法書士の名
「キリサキ」――聞き覚えのある名前だった。
数年前、強制執行の案件でニアミスした、あの風貌と口の軽さは忘れがたい。
サザエさんに出てきそうな三角の髪型と、無理に若作りした服装も印象的だった。
登記をしたのは俺と同業者
同業者がグレーなことをしているのを暴くのは気が重い。
でも、ここで黙っていたら司法書士なんて名乗れない。
俺は重い腰を上げて、そのキリサキの事務所へと向かった。
再調査で見つけた秘密の覚書
「これ、見たことある?」キリサキの机にあった封筒をサトウさんが指差した。
中には、依頼人の“同意”とされる覚書。だがそれはコピーだった。
しかも、筆跡鑑定に出すまでもなく明らかに別人のもの。
そこに込められた本当の狙いとは
兄は、宅地開発会社に土地を売るために地役権を邪魔に思っていたのだ。
通行を止めて、価値を一時的に下げて買い叩かせる。
古典的だが、今でも使われる手口だった。まるで怪盗キッドの変装のように。
依頼人の兄と争いの火種
最後に兄と面談した。否定はしなかったが、目は泳いでいた。
「通行なんて、今どき意味ないだろ」――その一言に老夫婦は肩を落とした。
だが俺は、その場で通知書を手渡した。公証人付きの正式な警告文だ。
兄が勝手に通行を封じた理由
結局、兄の理由は“嫌いだから”だった。
過去の相続トラブル、古傷が癒えないまま地役権が引き金になった。
ああ、法ってのは人間のドロドロに無力だと痛感する瞬間だった。
最終的に誰のための道なのか
調停の末、道は開かれた。地役権は復活し、門扉は撤去された。
でも、依頼人はそっと言った。「あの道はもう通らないかもしれません」
それでも、形式が守られたことが大事なのだ――俺はそう思っている。
法では割り切れない家族の絆
書類は整っても、心のわだかまりは残る。
サトウさんは「それでも、仕事ですから」と淡々とまとめた。
冷たいが、正しい。司法書士の仕事は、感情と切り離されているのだ。
決着と安堵と少しの疲労
事務所に戻ると、サトウさんが紅茶を差し出してくれた。
「今回もお疲れ様でした。次は贈与の相談が3件入ってます」
やれやれ、、、もう少し余韻を楽しませてくれよ。
サトウさんの冷たい紅茶が沁みる
氷がカランと鳴る音が、妙に耳に残った。
事件は解決したが、心は晴れないまま。
それでも俺は、また次の依頼に向き合うのだった。
そして誰も地役権を使わなかった
登記簿には確かに記録が戻った。
だが、老夫婦はその後、他所の土地へと移ったらしい。
使われない道、それでも、そこに意味はあった。
残された登記簿がすべてを語る
俺は謄本の最後のページを閉じた。
窓の外は蝉の声が響き、夏がゆっくりと遠ざかっていくようだった。
そしてまた、静かな司法書士の日常が戻ってくるのだった。